12. 川の町の天使

 濁流は、しばらく続いていました。

 勢いのついた流れの中に、いくつもの流木や、ひっくり返った小舟が、浮き沈みしていました。それから、町の人たちが投げ込んだガラクタの数々も、みんな泥水に飲み込まれて、やがて、きれいさっぱり流されてしまいました。

 しばらくして、建物の窓が、ひとつ、またひとつと開かれました。

 やがて、そのうちに誰かが、空を指差して言いました。

「天使だ!」「あれこそ、本物の天使だ!」

 ノエルは、翼をゆっくりと動かし、ガラコを橋の上にそっと下ろしました。

 ガラコはすぐに、鳥かごの扉をあけ、生えたばかりの翼が傷つかないように、丁寧にノエルを外にだしてやりました。

 ノエルの背中には純白の立派な翼、そして頭には、光の輪が輝いています。

 ノエルは言いました。

「ガラコ、あたしを天使にしてくれたのね?」

 ガラコは照れ臭そうに答えました。

「ああ、大失敗だ。せっかくの素質が台無しだな。いいどろぼうになれたのに」

「もうっ! 嬉しいくせに!」

 ノエルは、ガラコの顔に抱きつきました。

 そこへ、警官隊が駆けつけてきて、橋の両側からいっせいに、二人を取り囲みました。

「ガラコ、お前には数々の窃盗容疑がかけられている!」

 ノエルは、驚いて言いました。

「ガラコは、あたしを天使にしてくれたのよ? こんなに気高くて偉大で賢くて立派で目つきの悪いどろぼうを、捕まえちゃうっていうの?」

 警官隊の隊長が言いました。

「どろぼうはどろぼうですぞ、天使どの。それに、あなたにもいくつかの罪状がございましてな。器物損壊罪、窃盗罪、道路交通法違反、……おまけに、詐欺罪」

「詐欺? あたし、詐欺なんてしてないわ」

「あなたが天使というのは、本当ですか? ニセモノだという、もっぱらの噂ですがね……」

 そのとき、川の下流のほうから、気味の悪い低い声が聞こえました。

「イーヒヒヒ! そうとも、その二人を捕まえろ! 牢屋にぶち込んじまえ!」

 ノエルとガラコは、声の方を振り返り、驚きました。

「グリム!……リノ!」

 黒い翼で羽ばたく、グリムの尖った尻尾のさきには、緑色のローブの襟首を引っ掛けられて、リノがぶらさがっていました。

「ヒヒヒヒ! こいつはなかなか見どころのある悪党だ、オレが助けてやったぜ!」

 グリムは、リノを地面に落っことして、町中に聞こえるほどの、地響きのような大声でいいました。

「ほれ、早く逃げろ、捕まるなよ! 港で仲間が待てるぞ! たっぷりかき集めた寄付金と一緒にな! ヒーヒヒヒ!」

 リノは起き上がると、慌てて港に向かって逃げ出しました。

 それを聞いた町の人たちは、警官隊に向かって、いっせいに声をあげました。

「あいつを捕まえろ!」「港にも仲間がいるぞ!」「オレたちの寄付金を取り返せ!」

 警官隊が、リノを見たり、ノエルを見たり、もたもたしているのを見て、町の人たちは、一層激しく野次を飛ばしました。

「それが本物の天使だってことくらい、わからねえのか!」「とっととリノを追わねえと、今度はバスタブでも落っことすぞ!」

 警官隊は、恐ろしくなって、慌ててリノを追いかけました。一番後ろを走る警官隊の隊長が、振り返って、一言叫びました。「ガラコ! 次は現行犯で、必ず逮捕するぞ!」

 それで、橋の上には、ノエルとガラコが二人だけになりました。


 ……と、思ったのもつかの間、今度は、空からまばゆい光が舞い降りてきました。

 淡い虹のような色彩を放つ光は、あたりを優しく包み込むようです。

「ガブリエルさま!」

 空から降りてきたのは、大天使ガブリエルさまでした。

 ガブリエルさまは、竪琴を奏でたような澄み切った美しい声で、ノエルに語りかけました。

「ノエル。言いつけを破ったのですね?」

「ごめんなさい……」

「わたしは雲の上から、ちゃんと見ていましたよ。天使にあるまじき、目に余るふるまいの数々……」

「はい……」

「まだまだ、一人前の天使と認めるわけにはまいりません。せめてもう少し、お導きの稽古をなさい」

 ノエルは、仕方なくいいました。

「……わかりました。では、また天界に戻りますので、どうぞご指導を……」

「いいえ、お導きの先生なら、わたしよりも立派な方が、そこにいらっしゃるわ」

 ガブリエルさまがそっと振り返った先には、あくまのグリムが、目をパチクリさせていました。

「なに? オレがお導きの先生だ?」

「ああ、あんたならぴったりよ! とっても上手だったもの!」

 ノエルは、嬉しそうに、にっこり笑顔になりました。

「バカ! 冗談じゃねえ!」

 グリムは、慌ててその場から逃げ出しました。そして最後に、ノエルにいいました。

「おい、ノエル! 次は、オレの三連勝がかかってるぜ、忘れるな! キヒヒヒヒー!」

 ガブリエルさまは、今度はガラコに向かっていいました。

「ノエルの支えになってくださって、感謝しています。ありがとう、ガラコ」

 ガラコは、決まりが悪そうにいいました。

「よしてくれよ。大天使さまが、コソ泥にお礼だなんて……」

「まあ、そういわずに。ところで、あなたにご相談があるのですが、聞いてくださいますか?」

「まさか、あんたもなにか、取り返してこいっていうんじゃねえだろうな」

 ガラコは、ガブリエルさまからの思いも掛けない言葉に、とまどいました。

「この町の教会のことなんですが、あなたの手で、なんとか建て直していただけませんか?」

「えっ、オレが?」

 ガラコは驚きましたが、ノエルはそれを聞いて、大賛成しました。

「そうよ、ガラコ! どうせ隠れ家もなくなっちゃったんだし、あなた、なんでも作るの上手じゃない! どろぼうなんかより、ずっといいわ!」

「よせよ、オレに牧師にでもなれっていうのか? 冗談じゃねえや」

 あっさりと断ったガラコに、ガブリエルさまがいいました。

「ガラコ。ノエルを天使にしてくれたあなたが、どろぼうを続けるなんて、言わないでくださいね。どうか、わたくしからのお願いです」

 そういうと、ガブリエルさまは、ノエルの何倍も何倍もとびっきりのにっこり笑顔を、ガラコに向けました。

「わ、わかったよ、やるよ!」

 ガラコは、とうとう、教会の再建を引き受けてくれました。

「ありがとう、ガラコ!」

 ノエルはもう一度、白い翼を広げて、ガラコにぴったりと抱きつきました。

 川岸のカラフルな町並みからは、たくさんの人たちが顔を出し、新しく町にやってきた天使に、いつまでも歓迎の拍手と声援を送っていました。



 おしまい。

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天使ノエルと川の町 新星エビマヨネーズ @shinsei_ebimayo

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