降り積もる。

きゅうり漬け

降り積もる。

「また来年、会えるといいね。バイバイ!」

「うん、またね!」

喧騒、遠のく景色。目の前を二人の少女がそれぞれの道へと去っていく。

静寂、色とりどりの光。ただぼんやりと浮かんでいる。

また来年。

そんな言葉がいつまで聴けるだろうか。

嗚呼、僕は。僕はいつだってここにいるのに。


「おはようございます。……聞こえますか?」

サクラが呼ぶ声で目が覚めた。なんだか夢を見ていたようだ。何も覚えてはいないけれど。

外では雪がしんしんと降り積もる気配がする。冬の寒い朝、なかなか動くのも起きるのも億劫だ。だから僕はその場でじっと丸まったまま答える。

「サクラ? 早いね。どうしたの?」

サクラにしては随分早起きだ。いつもならまだぐっすり寝ているだろうに。

暖かかったから、とサクラは言う。僕には暖かさなど微塵も感じられないのだが、サクラが言うならきっと暖かいのだろう。そういうところに関しては、サクラは僕なんかよりずっと敏感だ。

「ふふ、少し外に出てみたらどうです? お日さまの光が気持ちいいですよ」

サクラに言われて、少しだけ外に足を踏み出した。ヒラヒラと降り落ちてきた雪が、太陽の光を受けて輝いている。地面では薄く氷を張った水たまりが、落ちてきた雪を受け止めていた。冬の澄んだ空気に吐き出した白い息が、ぼんやりと視界を曇らせた。世界は冬だ。まだ寒い。

耐えきれなくなって、僕は中へと引き返す。その様子を見ていたサクラがクスクスと笑った。

「そんなに暖かそうな格好をしているのに、随分寒がりなんですね」

「寒いものは寒いの。それより準備しなくていいの? いくら早起きでも、時間かかるでしょ」

サクラの準備はいつも長い。一体何にそこまで時間をかけているのか、僕にはまるでわからないけど、とにかく時間をかけるのだ。

「ちゃんとしてますよ。そっちはまだですか?」

「僕はまだいいや。サクラの準備が終わったら起こしてよ」

「うかうかしてると、あっという間に春になっちゃいますよ」

「うん……でも、もうちょっと、もうちょっとだけ……」

 もうちょっとだけ、暖かい家の中で眠らせて。


「そろそろ起きてください。寝坊ですよ」

 またサクラの声で目を覚ます。もぞもぞと起き出して外に出ると、すっかり雪が溶けた地面に、白と淡いピンクとを混ぜた花びらがふんわりと降り積もっていた。

 日差しに顔を顰めながら見上げると、すっかり着飾ったサクラが立っている。

「おはようございます。すっかり暖かくなりましたね。」

サクラの声は、前よりも幾分かはっきりと耳に届く。

「今日、何をするんですか?」

「僕は春祭りの用意をするよ。サクラも行くでしょ?」

もうすぐ年に一度のお祭りがある。年に一度、村の友達と遅くまで遊び回れる貴重な一日。今日はその日の準備をする。浴衣と下駄とお面と……。

「私の分もお願いしますね」

「もちろん。いってきます」

何が必要だったかな。去年の景色を浮かべながら歩き出す。足元に落ちた花弁は、踏むたびにふわふわと音にならない何かで体を包む。さわさわと風が吹いて花弁を青空に散らした。後ろでは、サクラが手を振る気配がする。


——祭囃子がやってくる。提灯たちに灯をともせ。うつつのお面を忘れるな。桜の祭りに花を挿せ……

 唄の拍子を追いながら、僕とサクラは村に向かっていた。近づくにつれて周囲は明るく賑やかになっていく。その道のりが、僕はたまらなく好きだったりする。一年に一度、この日にしか味わえない景色。この日にしか歩けない道。サクラとしっかり手を繋いで歩けることが、その瞬間が、泣けそうなほどに喜ばしいのだ。

「紫陽はもう来ているでしょうか」

「あの子のことだから、きっともう来てるよ。気が早いから」

 村で待っているであろう友達を想って、二人地面を踏みしめながら歩く。待ち望んだ一年ぶりの道のりを。

 村の入り口は一際明るく感じられた。これでもかというほどに飾り付けられた提灯が僕らの影を歪めている。

「遅いよ二人とも」

狐面の少女が、髪を揺らして笑いかける。ああ、変わっていない。一年前、ここで手を振り返したあの時から、ちっとも変わっていないじゃないか。

「ごめんごめん。行こうか」

 お面の上からでもわかるくらい、顔を綻ばせて紫陽は笑った。行こう行こうと明るい声を響かせて。僕とサクラの手を引いて走り出す。変わってない。変わらない。いつまでもこうして遊んでいられたらいいのに。だけどもそれは叶わない。いつかきっと、紫陽も気づいてしまうから。


「紫陽は村の子たちと遊ばなくていいの?」

僕とサクラと紫陽。3人で連れ立って歩いているところを、遠巻きにチラチラと眺める村の子供たちに、紫陽だって気づいているはずだ。皆がお面で顔を隠していても、こんな小さな村だ。僕たちがよそ者であることは誰もが気づいているだろう。普段一緒に遊ぶ友達が、毎年祭の夜だけ知らない二人と歩いていることを不思議に思わないはずがない。

「いいの。みんなとはいつでも遊べるから。二人とはお祭りの時しか会えないでしょ?」

「……そっか」

 紫陽はなんでもないことのように言うけれど、きっとそれはあと一回か二回か、もしかするともう次なんてないかもしれないくらいには、脆く弱いつながりなのだ。いつもの友達とは違う、一年に一度しか村に現れない、名前も素顔も知らない友達が、自分とは違うモノなのだと気づいてしまうその時まで。僕らはあとどのくらい紫陽と笑い合えるだろう。


村全体がぼんやりと赤い灯りに包まれる中、他愛もない話をしながら歩いていた。どこの屋台が美味しいとか、誰のお面が可愛いとか。そんなどうでもいい話を、ずっと、ずっと。

不意に道が、畦道から石畳へと変わる。顔を上げると小さな神社につながる階段があった。今日は山の神様をまつるお祭りだからか、村人たちがひっきりなしに昇り降りしている。


 楽しい時間が終わるのはあっという間だ。ぼんやりと滲む提灯を背に、紫陽は一生懸命手を振っている。その口は何度も何度も「またね」を繰り返していた。

 薄暗い道をゆっくりと帰っていると、あの喧騒の中で屋台を巡った数刻前がひどく昔に思えた。焼き鳥を食べて、おしゃべりをして、一年ぶりのお祭りに目を輝かせて。雲のような綿飴と、宝石みたいな大きなりんご飴を並べて食べた。普段は食べない甘いものに、心躍らせた一瞬の時間。

ここは来た時と同じ道のはずなのに、心持ちはまるで違う。灯に背を向けて歩く。幸福感も充足感も、帰り道には着物と一緒に脱ぎ捨てなければいけないのだ。

「寂しいなあ」

呟きに応えるように、僕の足跡の上に花びらが散った。


 

祭りの夜が終わるといつも、裏の林に足跡がある。狐の足と、あるはずのない桜の花びら。何十年も何百年も前からあると、村の年寄りたちは笑って話す。山の桜の神様が降りてくるのだと。だからお面を忘れちゃいけないよ。神様が気兼ねなく来れるように、みんな顔を隠すんだ、と。

 耳にタコができるくらいには聞いた昔話を反芻して、紫陽は笑う。

「山の桜の神様は二人組で、きっとりんご飴が大好きなのね。」

“また来年”の約束は、きっとずっと続くと知っている。彼らがたとえ自分とは違っていたとしても。(了)

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降り積もる。 きゅうり漬け @Q_rizke

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