オソるゝもの

影乃雫

オソるゝもの

 その春、私は飢えていました。

暖かな陽気に目覚めたは良いものの、食べるものが乏しかったのです。僅かに手に入る食糧で食い繋いでいましたが、長くは保ちそうにありませんでした。

 どうしたものかと悩んでいた時のこと、偶然に『肉』を手に入れました。

しかし、今まで私は青果を主食とし、肉は食べる必要の薄いものとして食べてきませんでした。私にとって、肉は未知のものだったのです。

 ですが四の五の言っていられる場合ではありません。私はその肉を喰らいました。

 肉はとても美味で、私は自分の愚かさを悟りました。空きっ腹に押し込むイメージで食べ始めた肉が、いつの間にかご馳走へと変わっていたのです。

これからは積極的に肉を食べれば良いのだと、興奮しながら貪ったのを覚えています。


 私は愚かでした。悟れた愚かさなどごく一部に過ぎず、肉がそう易々と手に入るものではないと失念していたのです。

肉を腹いっぱい食べては数日断食することが増え、食い繋ぐための肉を手に入れるにもなかなかの労力がかかってしまいます。以前食べていた青果も手に入る量がみるみる減っていき、対して断食の日数は回を追うごとに増えていっていました。


 やがて夏になり、私には限界が近付いているのが分かりました。肉も手に入らなければ、代わりになる青果もありません。

 ついに私は、人様の肉を盗んで喰らうという一線を超えました。その肉は違った味がして、それは罪悪感の味だったのかもしれません。肉はまた美味でした。

 人様の肉を二つ、三つと喰らっているうちに、その持ち主が戻ってくる気配がしました。野生の勘というやつでしょうか。

見つかったらまずい。そう思った私は、後ろ髪を引かれながらもその場を去りました。

 あまりに手軽に、あまりにたくさんの肉を喰らうことのできた私は味を占め、場所を変えては人様の肉を盗り、喰らうようになりました。見つからないように移動経路も徹底し、持ち主の気配を感じれば執着せず逃げることで、まるで忍者のように神出鬼没を極めていました。


 そんな生活を続けて四度目の夏。罪悪感なども薄れてしまい、喰らった肉の数は六十余り。

 贅沢なもので、もはや当たり前に手に入るようになると選り好みをするようになっていました。簡潔に言うのなら、ただの好き嫌い。忍び込んで肉を喰らう際に、狙ってその部位を盗って喰らうなんてこともしていました。

 富んでは好き嫌いが増えるというのは、正しくそうだなとつくづく思います。

 それでも私は、食糧が皆無に等しくなる夏以外は、細々と食糧を得て食い繋いでいたのです。


 そして迎えた五度目の夏、人様の肉を喰らう前の飢えていた時でした。運悪く熊に襲われてしまったのです。顔を引っ掻かれ、片耳を千切られ満身創痍。命からがら逃げられたものの、体力の限界に横たわりました。

 翌の早朝のことでした。

 乾いた爆音が響き渡り、私は首に鋭い衝撃を感じました。

遠くから、どこかで嗅いだことのある異臭を感じ、そのときようやく、自分が銃で撃たれているのだと気付きました。

 ――天罰だと思いました。今まで散々人様の物を盗んできた罰。それが今日、いっぺんに降り掛かっているのではないかと。

 初めは不運だと思いました。どうして私がこんな目に、と。そんなことを言える立場ではないというのに。

 また銃声が響き、今度は頭に痛みを感じました。とうとう報いを受ける時が来たのだと悟ったので、逃げも隠れもしませんでした。もとよりそんな体力も残されていませんでしたが。

 三発目。頭に受けた銃弾で、私は息絶えました。


 私が人間からひぐま十年有余。人様の乳牛を喰らい続けた罰を受け、ついに私は駆除されました。

 最後に食われるのは、私だったようです——。

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