第2話
年の暮れに凶事あれど、年が明ければ吉事である。春、正月の訪れと共に、加冠の儀が執り行われ、
ところで、
婚姻に関しても、年齢が決まっている。男は三十、女は二十というものである。しかし、これに関しても崩れが生じていたのが史書に見受けられる。光の場合も、十も年下の嫁を迎えるわけにもいかぬ。謀殺されたもの、戦場で果てたもの、心労により早く死したもの。翼の君主は代替わりが早すぎる。光は、君主の義務として、さっさと跡継ぎを作らねばならぬ身でもあった。彼には弟がいたが、分家を否定する翼は、長子相続しか認めていない。
「かつて我が祖、
初めての閨で、この程度のことを、光は言ったに違いない。故郷に別れをつげ、遠い西方の小国へやってきた少女を慮ったのである。が、斉姜はまだあどけない顔に不安を貼り付けた。
「わたしは、
斉姜は、己が蔑ろにされたと怒ったわけではない。幸運をもたらすことができねば殺される
光はあわてて斉姜を抱きしめ、そうではない、と弁明した。験担ぎではあったが、それ以上を斉姜に求めたわけではなかった。
「わ。私と心を同じくしてくれると、嬉しい、と思ったまで」
少年は少女の肩に頬をこすりつけて言った。斉姜は光の真心に触れ、安心し、その温かさを素直に受け止めた。いまだ幼い二人であり、初夜に行為は伴わなかったであろう。
加冠し、婚姻が終われば初陣が待っていた。
初夏、
問題の邑を望めば、種まきをとうに終えた耕作地も見えた。初夏の風に小さな苗がかすかに靡いていた。しらじらとした夜明けの中、大地はほのぼのと姿を現している。
「曲沃からあの邑への間に川があり、渡河には舟を要します。この周辺はまだ我らの勢力が強い。付近の集落の舟は全て壊しております」
「民は困らぬか」
欒成によって、民を養うが君主と叩き込まれている光である。思わず顔を曇らせた。民を労ったというより、決まりから外れていることに怯える顔であった。欒成はそこは指摘せずに
「勝たねば、民は消えます」
とだけ言った。弱いものを見捨て強いものに身を寄せるのが民である。光は、頷きはしたが、いまいちわかっていないようであった。この少年は未だ学ぶことが多い。
翼の軍は、邑を囲み、
「曲沃に降伏した罪は問わぬ。天は
と、恫喝した。曲沃へ知らせようにも渡河を封じている。むろん、曲沃も軍を寄越すのに時間がかかるであろう。ここで邑がおとなしく身を転じ、戻ってくるのが最良であったが、そうはいかなかった。戦うこともせず翼を捨てた彼らである。抵抗した。
「我らは曲沃を主と認め、身を安んじた。天は曲沃にある。我ら地より生まれた人であれど、天の
その宣言と共に、邑のものどもは討って出てきた。曲沃軍がおらねば、寡兵にすぎない。
欒成はそのまま潰し、将を生け捕りにすべく軍を動かした。
光の憧憬をよそに、欒成は苦い顔を戦場に向けた。
――浅い
敵は深い場所まで来ず、逃げの姿勢をとっている。本当に、一戦だけを交えるのが目的なのだろう。曲沃が助けにくるまでの時間稼ぎであろうし、翼に降伏するとしても戦って力を認めたと言い訳ができる。
「同じことを何度もされれば、我らが疲れるだけ、か」
欒成は、前線を家臣たちに任せ、光の陣へ向かった。初めての戦場で浮ついた君主にぬかずき、
「充分です、退きます」
と言った。
「なぜだ」
光からすればこれからではないか、となる。欒成は勝ちきれない、とは言わなかった。
「我が君の威光と温情を充分示しました。こたびの戦の目的は為された。あの者どもは非礼にも
欒成は、邑を攻めとることはできぬ、と判じた。が、そのまま帰るほどお人好しではない。耕作地は邑の財産でもある。その地を踏み荒らし、火を点け、植えたばかりであろう粟や稗を潰し尽くした。邑は備蓄で生きなければならなくなった。その上、翼は圧力をかけつづける。邑は立ち枯れる前に曲沃が来てくれるのを待つか、翼に戻るかの選択を迫られることとなる。
邑への恫喝であると同時に、翼の傘下にいる
「凱旋です、我が君」
戻らなかった邑を見ていた光に、欒成は優しく声をかけた。
「初陣が勝利とは、嬉しいことだ」
ふり返った光が、少し寂しげな笑みを浮かべて、言った。
さて、前述した曲沃の主、称である。手に入れた邑を失いはしなかったが、翼に蹂躙された。この英邁な青年は感情に任せて怒ることはなかったが、さりとて手をこまねいて待つということもない。
「立ち枯れは、己の力に自信があるということだ
猛禽の笑みというのはこのことであろう。ゆったりと重臣を見回しながら、称は嘯いた。
たかが十二の子供が、己の軽重がわかるわけがなく、確固たる自信など持ちようがない。
また、策に老獪さがある。臣下におんぶにだっこされる未熟者という嘲りであった。
「率爾ながら申し上げます、我が君。若年であることは、未熟であっても無能というわけではございません。まず、我が君こそ若年でありながら、虎の恐ろしさを持っておられる。虎の子を猫と間違えることなきよう」
謹厳実直な重臣、
「万の言葉、最も。……叔父上は常に沈毅で直言、私は良い臣に恵まれたと祖父様に感謝もしきれぬ」
称は韓万の指摘を受け入れながら、己の顎を指で一撫でした。韓万は、表情を変えず、拝礼している。この極めて有能な『叔父上』は、称の祖父である桓叔の息子であり、
ところで、この韓邑は、本来桓叔の領土ではない。文侯が戦いの末もぎとった土地である。それが、この時期には曲沃の臣の持ち物となっている。いかに翼が削られ、曲沃が肥え太っているかわかろうものであった。そして、曲沃ではすでに、主を『
「我が君。虎の子か、猫か。どちらにせよ、いかがなされる」
韓万の言葉に、称は愉快さを隠さず口を開いた。
「先年、我が曲沃に身を寄せた
趙氏に限らず、文侯の時代に晋へ身を寄せた異姓氏族は多い。そのような新たな血で肥え太ろうとしたはずであるのに、本家はそれらを分家に奪われ続けている。移った氏族が曲沃で優遇されていることを知り、さらに人は移っていくわけだが、言うほど簡単なことではない。称は、人材をもぎ取るため、のがさぬために、細心の注意を払っている。ただ屍肉を食らう虎狼というわけではなかった。
「……ところで、翼主の介添えは欒成と聞いた。あの御仁は未だ息災で何より」
称の言葉に、韓万以下、誰も言葉を返さなかった。独り言だとわかっていたからである。
欒成の父、
あの父にして息子あり、という威風と貞節が感じられる、そして有能な男であった。曲沃が翼を削りきれない要因のひとつである。
「良馬もまずい
少々の感傷を以て呟くと、称は戦の差配を命じた。
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