第3話
やっぱり上手くないなって、ぼんやり思いながら、今度は控えめに舌を絡める。
栗音さんは口だけでは満足せず、首から下へと、ゆっくりと執拗に降りていった。服の上からされた時に顔を歪めたら、あぁごめん、なんて裾をたくし上げられたけど、許可を出した覚えはない。
そんな風に、相手のペースに流されて、できる所まですることに。
「……っ」
痛い。
痛い、というか、いっだい。
い、にも濁点を付けたいくらい、彼とのそれは痛みを伴う。
擦り付けてくるというか、ぶつかってくるだけなんだよ、どう足掻いても。それなのに向こうばっかり満足そうで、「どう?」とか訊いてくるんだ。苦痛を逃がすことに意識を割いてなければ、罵倒していた。
下手くそが。
そんな中で耳に入ってきた彼の言葉を要約すると、女性とそういう機会に繋がることはなく、清い身のまま、何となく雑誌とかで今まで処理してきたけれど、俺のキス現場を見てからはどこか物足りなくなったんだと。
今日、色んなことに怒っていたけど、俺と二人っきりで飲める状況に、あわよくばを期待して、部屋に上がり込んで、どう切り出すか考えるまでもなくエロ本を見つけて、そして。
「もっと早く押し倒せば良かった」
幸せそうに蕩けた顔でそうほざいた栗音さん。
「……ですか」
疲れ果てて、もう、それしか言えなかった。
◆◆◆
次の日と、その次の日、俺のシフトは休みで、栗音さんはどちらも出勤だった。
「休もっかな」
何か恐ろしいことを言っていた気がするが、どうにか追い出して、ゆっくりといつも通りに休日を過ごしていく。
余計なことは考えない。とにかく身体を休めたい。
布団を出していると、卓上の缶ビールが目に入る。すっかり温くなっているであろうそれらは──プルトップが開いていなかった。
「……」
何だ、酒のせいにできないじゃん。
そんな風に思いながら、布団に横になった。これでも寝付きは良く、すぐに夢の世界に。小さな黒犬に纏わり付かれる夢を視る。犬派だから嬉しい。毎日これでもいいくらいだ。
そいつは散々俺にじゃれつくと、どこからか白い皿を咥えて持ってきた。投げろということらしい。
仕方ないな、なんて言って、投げてやる。思いの外皿は飛んだ。
あいつちゃんと戻ってこられるかな、なんて、皿の心配もせず思った所で──チャイムが鳴り、目が覚めた。誰だ、犬とのふれあいを邪魔する奴は。
『小手先輩』
二度寝だ二度寝。犬が俺を待っている。
だけどチャイムは鳴らされた。二度、三度と。きっと四度目も間もなく。
「……」
仕方なく、玄関に向かう。
『小手先輩、起きてる?』
「起きました」
扉を開けると、栗音さんが立っていた。
手にはどこかの店のビニール袋を提げている。
「来た」
「来ましたね」
今度は袋、もらったんですね、なんて言葉は転がり出なかった。もう栗音さんが仕事を終えて来てしまうような時間なのかと、そっちに気を取られる。
袋の中が何なのか、今日は何しに来たのか、訊くまでも、言われるまでもない。
「昨日の缶ビール、残ってますけど」
一応訊いてみたけれど、爛々、というか、ギラギラと目を輝かせる栗音さんは、首を横に振るだけで、呼吸を荒くし、部屋の中へと押し入ってきた。
「……っ」
迂闊だった。
エロ本を片付け忘れたこと──いや、栗音さんを家に上げたこと。
公園で飲んでいたら、こんな今日は迎えなかったのか。
あぁ、迂闊だった。そんな風に後悔しながら、鍵を閉めた。
思い立った彼に恥はないのか 黒本聖南 @black_book
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