第2話

 ぐしゃりと掴まれ毛根が酷く痛む。いやそれ以上に気になることが。

 歯、折れたかな。

 それくらい勢いがあった。

「……はっ……」

 衝撃に口を開けば、舌を入れてきた。

 腕を掴んでいた手は離れていき、今度は俺の耳に触れる。両手で支えられるようになったからか、角度を変えてキスを続けた。

「……」

 あんまり上手くない。

 他のことを考える余裕すらある。

 ちょっとご無沙汰だけど、いやご無沙汰だからこそ、これじゃない感があるというか。

 ぶつけられているだけ、突っ込まれているだけ。

 キスってもうちょっと、気持ちいいもんでしょう。もっと欲しくなるもんでしょう。

 違う?

 それまで受け身だったけれど、自分から舌を絡ませにいく。面白いくらい栗音さんの身体が跳ねた。

 今までのキスを思い出しながら、舌を動かしていくと、だんだんと掴まれた手から力が抜けていき、栗音さんの身体が倒れていく。

 離れたかったけど、中途半端に後頭部を掴まれたままだから、俺もそのまま倒れて、両腕を畳に立てた。

「まっ……」

 キスをやめて顔を離したら、物欲しげな目で見上げられる。

「栗音さんもご無沙汰ですか?」

 普段はうるさい人なのに、何も言わず、ただ目を泳がせただけ。

 自分から仕掛けてきたくせに。

「俺、外ではこういうの、しないようにしているんですよ。恥ずかしいし。だけど付き合っていた人が、俺の不意をついてしてきたんですよね。恥ずかしくって、不愉快で、別れちゃいました。それが半年前だったかな」

 栗音さんが見たのは、その場面じゃないかと。

「栗音さんも、そうなんですか? 男とこういうこと、したい人なんですか? うっかり現場に遭遇して、俺ならいけるって、思ったんですか?」

「……俺は、さ」

 小さいな。ありえないくらい、声が小さい。

 この体勢にそろそろ疲れてきたけど、せっかく頑張って話そうとしているんだ、大人しく聞いてあげないと。

「……俺、小手先輩のあんな顔、見たことなかったんだよ」

 静かに、静かに、栗音さんは言葉を紡ぐ。

「小手先輩は驚いて、胸元を叩きまくるんだけど、相手の男、後頭部掴んでがっついてたでしょ? だんだん先輩の目がとろんとしてきて、応えるように自分からもいってて。あんなの、あんなのさ……忘れらんないよ」

「そうですか」

 だから同じようにしたのか。

 禿げたらどうしてくれるのか。あと、歯も折れていたら治療費払ってくれるのか。

 あの時だって、迷惑だったのに。

「満足しました?」

 訊いてみたら、困ったように眉を寄せている。

「小手先輩はしなかった?」

 頷きたい。

 だけど、バイトでは後輩とはいえ、年齢的には年上だ。正直に伝えるのは一応控えないと。

「……少し、少しだけ、はい」

 答えた瞬間、再び後頭部を強く、髪を巻き込んで掴まれる。

「ちょっ」

 ぐるんと、弧を描くように畳へ叩き付けられ、仰向けに。

 何本か抜けたなこれ。何してくれてんだこいつ。

 睨み付けようと視線を上げたら、栗音さんは俺の身体の上に跨がっている所だった。

「おっ……ちょっと、あの……何してるんですか」

 何がしたいかなんて、分かってはいるけど、受け入れるかどうかは別問題で。

 腹の上に体重を掛けるのやめてほしい。

「……言っておきますけど、そんな都合良くローションもゴムも置いてませんからね」

 なかった気がする、多分。

「……え、男同士でもいるの?」

「何言ってるんですか、絶対に必要ですよ」

 かと言って買いに行くのは嫌だ。

 そこまでして栗音さんとしたいわけではない。

 キスが気持ち良くない相手なんだ、そっちも不安だ。というか、あの返事からして、男性相手の経験がない気がする。女性の方は知らないけど。

「女性相手にだって使うでしょう?」

 試しに言ってみたら──目を伏せて、口を一文字に結んでしまった。

 その、ごめんなさい。

 訊いておいてなんだけど、俺も女性と寝たことはないし、野郎相手だって全て受け入れてばかり。その意味では、まぁ、童貞か。

「な、なので、最後まではできませんから」

 誤魔化すように慌てて告げる。

 これで萎えて帰ってくれないかなと思うけど、そんなつもりはなさそうなのが、腹に当たる物の大きさでよく分かる。

「……最後までは、ね」

 彼はそう言うなり、無理矢理口を笑みの形に歪めた。

 どうやら火に油を注いでしまったらしいことに気付いたのは、がっつくようなキスが再開してからだった。

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