即興物語 嘘つき逆張りアマノジャクティーチャー

田山 凪

 あの人がいたのは半年程度。

 なのにあの人が担当したクラスの生徒は、生涯忘れることがないくらいに非常識な行動を目の当たりにした。教師という型にはめられた人は自由がきかない中で未熟な生徒のコントロールをしなければいけない。

 大人である以上、子どもの行動に対して寛容にならなければと考えることだろう。しかし、あの人は違った。

 教室には素行の悪い生徒がちょっとはいるものだ。私がいたクラスにも五人の不良がいた。騒ぐし暴力的な噂も聞くしで、迷惑とわかっていても誰も本人には言わない。言ったら自分が何かされるかもしれないと思うからだ。

 この行為は決して悪ではない。自己防衛。いや、集団的自己防衛と呼ぶ方がしっくりくる。私たちはそんな窮屈感の中で少なくとも一年間は過ごすのだと思っていたころ、担任の先生が産休で離れ代わりの先生がやってきた。

 非常勤講師でありながら半年間担当する異例の出来事に、職員室の先生たちが驚いてたいのを覚えている。


 ある夏のことだった。

 あと数週間で夏休み。浮かれ気分が見える教室にあの人はやってきた。


「今日から半年間このクラスの担任になった御影みかげきょうです」


 随分と仰々しい名前の先生、それが第一印象で、見た目からはこれといった面白みを感じることはできない。新人教師の初々しさもなければ、熟練と言えるほど威圧感もなく、眉毛にかからない程度の黒髪で、眼鏡をかけ、スーツを着ている。ただそれだけ。

 クラス担任であり現代文を担当している。授業内容も面白みはない。教科書にかいてあることを砕いて説明して、おおよそ黒板に書いてあることをこなせば小テストで点数はとれる。ある程度聞いていればいいだけの簡単な授業。

 しかし、不良はそうもいかない。今思えば自分らの自由を阻害する相手に対しての反抗、デモやテロに近いものだと考えることもできる。不良たちは御影先生の授業を騒音をたて妨害したり、チョークを隠したり黒板消しを離れないように接着剤でくっっけたりして妨害を続ける。私たちはそれを黙ってみていた。それが褒められる行為ではないと知っていながら。


 授業時間になっても不良はまだおしゃべりを続けていた。不運にもちょうどそいつらは一番後ろで近い席だったから、自分の席に戻るという手間がなくおしゃべりを続ける。その中のリーダー的存在の生徒は自身の机の上に座って子分的なやつらと話している。

 御影先生が入ってきても終わらない。

 その時、宙を何かが飛んだ。驚くことにそれは椅子だった。リーダー的存在の生徒が自身の椅子を御影先生に投げつけたのだ。

 でも、驚くことはまだある。御影先生は立ち止まり黒板にたたきつけられる椅子を眺めていた。いつもならすんなりと教壇の前に立つのだけど、その日はスッと止まったのだ。

 それに、瞬き一つ、反応一つせず、ゆっくりと、目の前に落ちている椅子を掴み教壇の横において座った。

 リーダー的存在の不良はおそらくイラついていただろう。だろうというのは、その表情まで見ることが出来なかったらで、想像で補っている。

 

「俺の椅子返せよ!」


 リーダー的存在の不良は言った。

 それに対し先生は、ごく自然になんの思惑もないように答えた。

 

「この椅子はどこからともなくやってきた。ここにやってきた。それを僕がどう使うかってのは君に指示されることなのだろうか」

「はぁ?」


 こういう発言をするとき、小馬鹿にしている態度が透けて見えるものだけど、あまりにも当然なことのように、なぞの説得力をもって話すのだから内心驚いた。


「あれだろう。教師は常に立って授業をする。生徒たちは座っているのに。だから、いたわってくれたということかな。だったら、遠慮なく使わせてもらう。君が机の上に座ることは咎めないから」


 不良は喚いていたが授業は進んだ。 

 最初は不良の声が雑音になって気になっていたけど、御影先生の話し方や声のトーン、はっきりと口を動かす姿から、そこに集中するようになって、いつのまにか不良も静まり返って、生徒の多くは授業を聞いていた。


 こんなことがあったものだから不良は御影先生に対しいじめを行った。

 噂で聞いたことがある。この不良は一年の時にとある新人教師を鬱にさせやめさせたと。実際本人も自慢するようにそんな話をしていた気がする。

 でも、御影先生はそうはならないと思った。たぶん私以外にも多くの生徒がそう思ったんだと思う。

 なぜなら、不良が喚き邪魔をするたびに、御影先生はどこか笑うような表情を見せていた。明確に口角をあげて笑っていたわけじゃない。ただ、なんとなくご機嫌なように見えた。


 そして、みんなが忘れられないことが起きる。

 その日の不良はやけに騒がしかった。

 思い通りにならないフラストレーションが爆発しかけていたのだ。

 あまりにもうるさいものだから御影先生は廊下に立たせたのだ。

 誰を?

 不良以外の全員をだ。

 教室は騒然とした。

 

「そこの五人以外は廊下で立ってて」


 まるでそれが当然なことのように言うのだから、変な笑いさえこみ上げてきそうになった。当然すぐにみんなが出ていくわけない。そんな考えが口に出さず漏れていたように思える。

 だけど、一人の生徒が立ち上がり教室の外に出た。その友人が外に出た。さらに一人、その友人。だんだんと生徒は教室の外に出たのだ。私も外に出た。

 その時ふいに気づいた。最初に出た生徒はこの学校でもトップクラスの学力がある女子生徒で、生徒会長をやっていた。支持も厚く学校のイベントに対して熱心に取り組んでいた優秀な生徒。

 生徒たちに見えないところで御影先生は教室をコントロールしていたのだ。

 生徒たちにとってもっとも重要なのは平穏であること。授業の時間が早く終わってほしいと思う人やちゃんと勉強したいと思う人が大半。

 であるならば、授業が進められない状況で騒々しいのはその大半にとって苦痛なのだ。

 これは同窓会できいた話なのだけど、先生は一部の生徒にメッセージを残し、さらに実際に会い、両親とも話をつけ、その結果を校長に伝えていた。

 何を伝えていたか?

 その詳しい内容までは知らないけども、いじめをなくすための取り組みだと説得したらしい。たぶん、各々に言っていることを変化させたのだ。それぞれにとって聞こえがいいように、もっともらしく聞こえるように。

 校長にとって学校のいじめは面倒な問題。優秀な生徒の親は子どもが授業をまともに受けられないことが不満になる。多くの生徒の親にとってもそうだ。

 御影先生はやる気をあげるとかはしないけど、やる気のある生徒がまともに授業をできない状況を良しとしない。


 覚えている。その時御影先生は顔に痣をつけていた。誰も何も言わないけど不良がやったのだと思っていた。もしかしたら違うのかもしれない。あれは意図的に傷つけて説得の材料にしたか、もしくはメイクでそう見せたか。

 何にしても、御影先生は教室をコントロールしていた。

 恐怖で民衆を黙らせる支配統治に対し、水面下で多勢にとってメリットのある行動を支配者に悟られずに行ったのだ。

 

 面白いことにこの時の私たちのクラスの現代文の平均点は同学年でトップ。

 それを聞くと御影先生の教え方が上手だと思う人がいるかもしれない。事実そうなのだけど、その想像を超えている。

 先生はこまめにテストを出していた。最初は前の席の生徒にプリントを渡し、後ろに渡していくスタイルをとっていたけど、いつの日か先生が一枚一枚個人個人に渡していくようになった。

 ある時、私は全然問題が解けなくて、悪いことだと理解しながら右隣の生徒の回答を見た。その時気づいた。私と説いている問題が違うことに。左隣の回答を見てもやはり違う。

 先生は、生徒全員に違うテストを配っていた。

 その上、次に渡された私のプリントには、カンニングについての文章が書かれており、その文章に対し訂正や間違えの指摘をするものだったのだ。

 その時確信になる。生徒全員の動きを把握し、誰が何をどういう風に考えているか、思想はどういうものか、それをテストの回答から確認していた。

 おそらく、生徒会長から聞き出すこともあったのだと思う。

 

 不良はどうなったか?

 もちろん文句を言い先生と口論になっていた。しかし、自らの足で外へと出て行った。廊下から聞いている限りは、先生は不良に対して授業を受けるように勧めていた。

 これがまたいやらしい。あくまで先生は止めた。そういう免罪符が生徒全員に伝わっている。追い出していない。これだけでもこの話を聞いた人が受ける印象は違うだろう。

 面白いことに一部生徒はすでに先生に対して協力的で、それは生徒会長がどうこうしたのではなく、先生がそう動かした。当時、先生に協力した生徒はこう語った。


「子どもだったから大人に対する反抗心はあったけど、それと同時に一緒に悪者を倒すっていうのかな。そういうのに協力できることがうれしかった。大人に認められている気がしてね。でも、先生からすればそういう子どもの単純な思考を利用していただけかもだけど」


 ほかの人も同じように語った。

 これの面白いところは先生が自分らを利用したと断定しないところ。

 もしかしたら本当に信頼してくれてたのかもって思えてしまうバランスで生徒に接していたのだ。


 その後、不良たちはどうなったか。

 これも面白いことに。まずは不良仲間が多勢に加わった。私たち側に回ったのだ。

 あくまで不良は大人に対する反抗心や認めてほしいという子ども心から発生する一時の異常な行動力から行われるもの。そのため、自分にとって有益な場所へ行く。逆に言えば子どもだって損する場所にはいたくないのだ。

 自然と教室の支配者は不良から生徒会長になる。支配統治から民主的な統治へと変わった歴史を見るようだった。


 リーダー的存在だった生徒は、その後学年で10位以内に入るほど学力を上げていた。今思えばDV夫に依存する女性の心理のような、巧みな接し方だったなと思える。

 思い通りにさせない状況を作り、裏では理解をし両親へあいさつに行っていたのだ。おそらく、不良からすれば先生が家に来た瞬間、学校での態度を言及されるものだと思っていたことだろう。

 不良以外全員を立たせたのはそのあとのこと。

 圧倒的な孤立感を味合わせた後に、先生は不良に対してとても親身になりいろんな経験を話したという。

 当時のリーダー格的存在だった生徒は同窓会でこう語っていた。


「先生の言っていたことはたぶん全部嘘の物語だったかもしれない。だけど、あいつは俺らの心の中に礼儀をもって入ってきた。頭だって下げた。あまりにも素直で純粋な姿に、怒りさえ消えてしまった。でも、本当に純粋だったのは俺らのほうだった。熱意をもって親身になってくれる人をずっと願っていて、そんな奴はいないと決めつけてさ。理想の姿を見せてくれたんだよ。嘘つきで最低で、子どもをコントロールするのが恐ろしくうまい人間だ」


 そんな御影先生はなにものか?

 私たちが知ろうと思ったころにはすでに先生をやめてしまい、その行方がわからない。ただ、これまた面白いことに先生の姿を見たのはネットやテレビだった。

 嘘つきで逆張りで天邪鬼な天才教育者として登場していた。

 炎上したりもした。

 そんな先生が当時テレビでこう話していた。


「教師というものは自身の教室を支配したがるものです。生徒側にも支配したがるものがいる。支配者同士は仲良くなれない。だからうまくいかないんです。支配ではなくコントロールする。暴れ馬を自分のものにするってのは最高なんです。僕はそれを楽しみ、娯楽として、やるべきことをやって、教育者のふりをしていただけなのですよ」


 そんな先生はテレビで嫌いなものはと問われた時、こどものような屈託のない笑顔でこう答えた。


「自分を賢いと思っている人ですね。みんな馬鹿なのに」


 まるで思春期の子どもだ。

 でも、嘘をついたり、相手の行動に対して天邪鬼に対応したり、世の中の教育論から外れた行動をしたり、教育者のふりをしていたと全国放送のテレビでいうなんて、なんとなくとても先生らしいと思った。


 こんな先生ばかりじゃ世の中は回らないけど、こんな先生がいると刺激になる。

 天邪鬼な先生は今日もどこかで世界を笑いどこかの子どもたちで遊んでいるかもしれない。

 先生からすれば私は目立たず多数派に便乗するどこにでもいるような子どもだったことだろう。だけど、一人一人を見ていたということは、私のことも見てくれていたことになる。

 なんだかそれがうれしかった。

 バイアスのかかっていないまっすぐな瞳で私を見てくれていたことは、人材を作り出すための型にはまった教育システムでは得られない不思議な充実感。

 

 私たちは学校という箱庭の教室という小さな集団の一個人たち。

 私たちではない私を見てくれてありがとう。

 もし、次に先生に会うならそう伝えよう。

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