この傷が愛だから。

天瀬 綴

この傷が愛だから。


 

 少女漫画や恋愛小説のような恋に憧れていた。

それはきっと普通のことで、多くの人が経験していることだと思う。


 だけどまた、そんな恋なんて宝くじに当たるよりも難しいなんてことも、誰もが分かっていることだ。





 家から一歩でも踏み出せば、むわりと湿気が纏わりついてくるような夏だった。

湿気のせいで絡まる髪を手櫛で整えながら学校へと向かう。


 近いという理由だけで選んだ高校は偏差値の高い高校だったけれど、そのおかげで綾人くんに会えた。


 西辺 綾人(にしべ あやと)くん。

成績優秀、眉目秀麗で入学式から騒がれていたまるで少女漫画の中から抜け出してきた王子様。恋愛なんて馬鹿らしいと思っていた私でも、その底抜けの明るさでいつの間にか絆されてしまった。


 初めて彼と話した時のことは今でも覚えてる。あの頃は四六時中人に囲まれている彼を見て関わりたくないな、なんて思っていたのも。けれど、窓の外の桜の木が完全に緑に染まった日、提出物の回収に回っていた彼が私の席にも来て、私はぼんやりと外を見ていた。


「天竺(てんじく)さん、数2のプリント回収していいかな?」


 おもわず言葉を失うくらい、驚愕で頭が真っ白に染まった。慌てて彼に渡す手がかすかに震えていたことに、彼は気づいていたのだろうか。そんなことを考える余裕もその時はなくて、「ありがと!」と去っていく彼の背中を見送った。それくらい驚いていた。一度も話していない彼が私の名前を憶えていたことに。


 それから彼の姿を目で追った。そのたび見えてくる新たな一面に胸がどきどきした。赤い耳も簡単に緩むのを許してしまう口も、恥ずかしくて隠すためにマスクをつけた。それすら体調を崩したのかと話しかけてくる彼が本当に好きだった。


 本当に、好きだった。



 馬鹿馬鹿しいとすら思っていた少女漫画を買い、メイクを学んで彼の好みになれるよう色んなことをした。叶うなら、少女漫画のような展開を望んでいた。



 でも、やっぱりそう上手くはいかなかった。




 寒そうに震える桜が窓から見える日、だった。

 

 彼のいつもの快活な笑顔がかすかに陰っているように見えて、心配になった私は近づいた。


そうしたら彼は、この場では話せないから放課後教室に残ってほしい、なんて真剣な表情で言った。浮かれて肯定の返事をした私は、なんで彼の笑顔がその後も陰っていたのか考えもしなかった。 


 好きな人がいる。



 開口一番に彼はそう言った。だけれどその子には彼氏がいるらしい、とも。

少女漫画のような展開を期待して浮かれていた私の視界は真っ黒になった。ちゃんと返事ができていたのかもわからない。

 

 「葵(あおい)が一番俺と仲の良い女子だから」っていう彼の言葉が、その後に続く名前も知らない女の子への好意の言葉が、私の心のどこかを壊した。


 じゃあ、なんで、私ではだめだったの、?

 いいなぁ。貴方の口からそんな風に語られる名も知らないあの子が。

 ああ、貴方のそんな顔、そんな声、知らなかった。

 

 知りたく、なかった。




 そこからどんな話をして家まで帰ったのかは覚えていないけど、彼が別れ際笑顔だったのは覚えていた。私の好きな、あの、笑顔。


 ぼろぼろと声にならない感情がこぼれ落ちていく。硝子の破片が幾度も刺さった心が悲鳴を上げていた。


 きっと、きっとだけれど、

少女漫画のような女の子が私ならば、今がチャンスなんだろう。


 今、彼は叶わない恋に苦しんでいる。

だから私にもきっとチャンスはある。


 でも、それでも。

彼のあの笑顔を思い出すと、そんなこと出来そうになかった。

彼の笑顔が大好きだから。彼には幸せになってほしいから。



 好きな人には、ずうっと笑顔で、幸せでいて欲しいから。



ああ、私ってめんどくさいな。叶わない恋を追い続ける彼も、私も。


 でも、いつか彼がその恋を追うのをやめたなら。

その時は私も、私の貴方への気持ちを伝えさせてほしい。

それまで一番近くであなたの幸せを願っているから。



この胸の痛みが、これから抱えていくであろうたくさんの痛みが。


 

        これがきっと、愛だから。

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この傷が愛だから。 天瀬 綴 @kaga_hina

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