第31話 夏の日が遠くなっても(31、遠くまで)
夏のある日、一人の女子学生と出会い、よく話すようになった。
名前は
よく晴れた夏の日中。
蝉が鳴いている。夏休み中だったけど、私は変わらず、柳下さんと会っていた。彼女がアイスを食べたいと言うから、ソーダ味のアイスキャンデーを買って食べながら、近くの公園まで来る。木陰のベンチに座り、食べ終わっても、何となく立てないでいた。暑い。抜けるような青に浮かぶ入道雲の鮮明な白を、見上げていた。
「ね、芽吹さん」
「何?」
彼女が私の方を向く。随分時間をかけてアイスを食べていたが、ようやく食べ終えたらしい。サラサラな髪が揺れた。
「私、楽しかった。芽吹さんと一緒に遊べて」
ドキリとする。柳下さんの目が、優しく細められた。
「どういう意味?」
ニコニコ笑うばかりで、彼女は答えない。私から目線を外し、同じように入道雲を見上げた。
「芽吹さんは、楽しかった?」
「うん。楽しいよ、今も」
答えると、柳下さんは嬉しそうに頷いた。
「このまま二人で。ーーどこか遠くまで行ってしまわない?」
一瞬、理解が出来なかった。遠くまで。それは。
私は柳下さんの横顔を見つめる。彼女はゆっくりと、私の方を振り向いた。飴色の目が煌めく。蝉の声が止む。ここだけ、時間が止まってしまったように感じた。
「……なんてね!芽吹さん優しいから、意地悪言っちゃった」
パッと彼女が立ち上がる。数歩歩いて、くるりと私を振り向く。笑っていた。柳下さんの向こうで、陽炎が揺らいだ。蝉はいつの間にか、また鳴き始めている。あまりにも夏で、それだけで、何だか泣きたくなってしまう。
「……夏が続けば良いな、とは思ったよ」
私の言葉に、柳下さんは目を丸くする。
「やっぱり、気付いて、黙ってくれてたんだね」
震える声を無理やりいつも通りにしている柳下さんに、私は何も言えない。ずっと、気付いてた。彼女が鏡やガラス戸に姿が映らないことも、足元から伸びる影が無いことも、他の誰も、彼女と会話もせず、見えていないことも、全部。
「ラムネ飲んだこと、覚えてる?」
柳下さんは笑って、鞄からビー玉を取り出して見せる。青い煌めき。私は笑った。
「覚えてる。夜の構内のベンチで飲んだやつ。ビー玉を取り出したくて、二人でやっきになったね」
柳下さんは私の前まで歩いて来て、私の手にビー玉を載せた。
「私、悪いヤツだから。芽吹さんに呪いを掛ける」
「呪い?」
見上げた目は、悪戯っ子みたいで。とても呪いなんて掛けられそうにない。
「ーー私のこと、忘れないで。来年の夏も、その先の夏も、ずっと覚えていて」
私は青いビー玉に視線を落とす。その中には、夏の日が閉じ込められているように見えた。これからも続くのに、もう戻らない夏が。胸がきゅっとして、切なくなる。
「分かった。忘れないから。ーーありがとう」
「ありがと、芽吹さん。友達になれて良かった」
「うん。私も」
ニコッと笑った柳下さんは、陽炎へ溶けるように消える。地面にぽとりと、アイスの棒が落ちた。私はゆっくりそれを拾い上げる。当たり。柳下さんらしい。私は思わず笑ってしまった。
その後調べたら、柳下さんは病気で休学していたが、一ヶ月以上前ーー私と出会う前ーーには亡くなっていたらしい。
もう私にはどうでも良いことだ。一緒に過ごした夏は楽しかった。彼女も楽しかったと思ってくれた。それで十分だったから。
文披31題 佐和商店怪異集め 宵待昴 @subaru59
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます