第30話 握手してください(30、握手)
「すみません!握手してください!」
「えっ、」
カウンター内にいる菫へと伸びて来た両手を、隣にいた榊が素早く払う。
「そういうの、寺か神社に行った方が早いですよ。ーー自分より弱そうな人間たちに擦り付けるよりな」
菫を背に隠しながら言う榊の目は、笑っていない。
「……今度も上手く行くと思ったのに」
両手を伸ばして来たのは若い男で、怯んだ後、涙目になりながら飛び出して行った。
夕方の佐和商店。
引き継ぎ終わりでまだ店内にいた天我老も、カウンターにやって来た。
「大丈夫ですか?芽吹さん、榊さん」
「私は大丈夫です。榊さんが助けてくれたので」
「へーきへーき。手払っただけだし」
元の調子に戻って笑う榊を見、天我老はドアの向こうへと目を向ける。
「あの男性……」
「知ってるんですか?」
「いえ、分かりませんが、以前僕も同じことをされたことがあって。芽吹さんが入る前なので、かなり前なんですけど」
不思議そうな、驚いたような顔をする菫に、天我老は話し出す。榊は苦笑いを浮かべたが、口は挟まず菫と並んで聞き始めた。
「その日、僕は榊さんと夜勤中だったんです」
いつも通りの夜。
榊が倉庫へ在庫を取りに行っている間、天我老がカウンター内にいた。そこへ、一人の男が走って、文字通り店に飛び込んで来たのだ。
「すみません!握手してください!」
男は若く、天我老の返事を待たずに両手を掴み、無理やりに握手してきた。
「ちょっと!急に何するんですか、」
慌てて振りほどくと、男は嬉しそうに
「やった!これで終わりだ!移ったんだ!!」
壊れたように大声で高笑いしながら、男はまた飛び出して行った。
「天我!どうした」
笑い声が倉庫まで響いたのか、呆然とする天我老の元へ、榊が戻って来る。
「それが……」
訳を話すと、榊は天我老に怪我が無いことに安堵した。
「とりあえず、手洗って来いよ」
「そうします」
天我老は念入りに手を洗ったが、気持ち悪さが拭い切れない。
(潔癖な訳じゃないのに。いきなりあんなことされたせいだな……。移った、って言ってたけど、何のことだろう)
カウンターに戻っても、まだ握手された手が気になる。
(何だろうな?)
手を見ながら首を傾げる天我老を見ていた榊は、苦笑いを浮かべた。
「気になるか?」
天我老はハッと顔を上げる。
「すみません、手は洗ったんですが」
「まあ、そういうもんじゃないしなあ」
榊の言葉に、天我老は益々首を傾げる。徐ろに、榊は手を差し出した。
「ほれ、握手」
「榊さん?」
「そいつ、嬉しそうにしてたんだろ?なら、天我も俺に移しちまえば良い。気になり続けるより、よっぽどマシだろ」
ほれ、と再び促され天我老は手を出しかけたが、結局引っ込めた。
「あの人と同じことを、榊さんにしたくありません。様子も変でしたし」
「天我って変なとこで根性出すなあ」
言いながらも、榊は優しい目で天我老を見ている。
「すみませんでした。倉庫の作業、まだ途中ですよね。最近ただでさえ榊さん忙しいのに」
佐和商店は今、空前絶後の人手不足である。新しく人を入れる予定はあるものの、話は進んでいない。ワンオペが多い榊は、ピリつく頻度が増えていた。
「もう終わったよ。俺も悪いな。全然気回ってなくて。天我は良くやってるよ。人でもバケモンはいる。あんまめげんな」
いつになく柔らかい声音で言われ、天我老の肩から力が抜ける。
「僕も夜勤に入れたら良かったんですが」
「いや。それはマジで気にすんな。昼ちゃんとしてくれる方が大事だから」
榊は力を込めて言う。
(天我が夜勤だと倉庫めちゃくちゃうるさくなるんだよな。仕事どころじゃねぇ。天我自体が守られてんだろうが)
内心嘆息しつつ、榊はまだ握手の件は解決して無かったと考えを巡らせる。
「ーーそうだな」
「え?」
榊は事務所からコピー用紙を持って来て、天我老に持たせる。
「それ、雑巾絞るようにグシャグシャにしろ。力一杯、強く握ってな」
「こう、ですか?」
紙はあっという間に小さくなる。榊はにやっと笑って、ゴミ箱を指で示す。
「で、ポイだ。投げて良いぞ」
天我老は軽く紙を放り、それは無事、ゴミ箱に吸い込まれて行った。
「手、どうだ?」
「あ……さっきよりあまり気にならない、かも」
「寄り道して帰れ。二十四時間営業のスーパーあったろ。そこ行って美味いもん買ってから帰れ」
暫く手を見つめた後、天我老は榊を見る。
「ありがとうございます、榊さん」
「もう上がりだろ、何食うか考えとけよ」
榊は笑って天我老の肩を叩いた。
「ということがあって。あれからその男性は見て無かったんですけど、気持ち悪いですね」
話し終えた天我老は、眉を顰めてまだドアの方を見る。菫は何か言いたげに傍らの榊を見上げる。榊はアイコンタクトだけで頷くと、笑って天我老を見た。
「もしまた来たら通報する。三度目は無い。ーーつか、天我急いでたろ。大丈夫か」
「そうでした。すみません、お二人とも。お先に失礼します」
事務所の荷物を回収し、天我老は急ぎ足で店を出て行く。榊はそんな彼の後ろ姿を見送りながら、呟いた。
「ま、三度目があれば、の話だけどな」
「あの男の人。真っ黒な何かに覆われて、全然姿形が分かりませんでした。あれは……例え誰かに移そうと移すまいと、助からないでしょうね」
菫は目を伏せる。榊はそんな菫の頭を優しく撫でる。
「すみちゃんが気に病む必要ねえよ。ありゃ、身から出た錆的なもんだろ。知らねぇし、知りたくもねぇけど」
「榊さん、天我老くんの時と同じ人だって分かってたんですか?」
「握手してくれ、って台詞聞いた瞬間思い出した。天我本人は気付いて無かったけど、いろんなもん憑けられてて酷かったからな。あの時」
菫はじっと榊を見つめる。
「何よ」
「ちょっと見直しました、榊さんのこと」
「俺そんな評価低いの?普段」
わざとらしくへこんで見せる榊に、菫はつい笑ってしまった。
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