アネモネを抱きしめて
なべねこ
第1話
「私がどこにいたって、あなたさまは見つけてくれるのでしょう。あなたさまの幸せを、私が奪ってはいけない。ですが……。ですがまたお会いしたいです、伊吹さま……」
「ん……夢か……」
僕は朝日を感じて目を覚ました。これはいつのことだったか。昨日のように甘く、千年前のように苦いものにも感じられる。
「君は……どこにいるんだ……」
あの女性は、僕が以前、『伊吹』として生きてきたときに寄り添い続けてくれた、大好きな人。
僕の家系は先祖に狐を持つため、すごく長生きだ。祖父母は何千年も生きたらしい。僕もその血を引いているから、今の年齢は数えられないが、三百年は生きている。
二百年くらい前、僕は『はるか』という女性に一目ぼれした。彼女は本当にかわいくて優しい。そしてなにより、一緒にいて幸せだった。しかし、彼女は人間。寿命は必ず来る。あの夢は、別れの間際の場面を映したものだ。
「また会うって約束したんだ。どこにいたって探しに行くよ……」
「神楽、なにつぶやいてんの。バイトに遅れるから」
「朔……」
声をかけてきた彼は朔という。朔は僕と同じように狐を先祖に持つ。一応僕に仕えていることにはなっているが、幼少期から一緒にいるためもう親友みたいな人だ。
「ちょっとまってくれ。すぐ準備するから」
そうだ。準備の前に、ベランダのアネモネに水をやらないと。美しく咲くアネモネは、僕の最近のお気に入りだ。悲しいイメージのある花だが、植物が好きな朔が、「これ見て元気出してくれよ」といって差し出してきたのだ。『はかない恋』、『希望』などの花言葉を持つこの花を、僕に合うと思って買って来てくれたらしい。ドライな彼が花束を差し出す、というのだけでも十分元気になった気がするが、これは絶対に秘密。
「神楽! 電車に間に合わなくなる!」
朔は時間に厳しい。これ以上待たせるとよくないので、早く準備して……よし、完了。
「ごめん、もう出れるから!」
二人で家を出る。僕らは電車で三十分ほどの場所にあるおしゃれなカフェでバイトしている。ちなみにお店の人気メニューは、分厚い卵焼きを挟んだサンドイッチと、季節のフルーツケーキだ。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
このセリフを繰り返して、ほどほどに頑張って今日のシフトを終える。朔はあともう少し、働くらしい。
「朔、おつかれ。僕は本屋によりたいから先に帰るよ。がんばって」
「また本屋? わかった。おつかれ神楽」
一人でお店を出る。これから電車で少し行ったところにある、大きな本屋に行く。本屋に行くのは、今月で何度目だろうか。はるかは本が好きだった。もしかしたら会えるかもしれないという期待を胸に、通い続けているのだ。日頃の疲れなのだろうか、電車の座席に座ると急な睡魔に襲われた。
「伊吹さま、これから長く生きていくなら、名前を変えることもあるのですか?」
「名前か……。あるかもしれないな。同じ人が長生きしすぎると、疑われてよくないかもしれない」
「そうなのですか! それでは、『神楽』なんてどうでしょう。端正な伊吹さまに雰囲気が合う名前だと思うのです」
「ああ……いいな……」
そう言うと、はるかは花が咲くようにふんわりと笑った。
「またはるかの夢か……。あ、もう下りないと」
最近はるかの夢を見る頻度が高い気がする。見れば見るほど、会いたくて胸が締め付けられていく。本屋には会えるかもしれないと思って来ている部分もあるが、僕も本が好きだ。今日は好きな漫画のシリーズ最新刊を買いに来た。その本はアニメ化もされている人気作なので、早くいかないと売り切れているかもしれない。自然と早歩きになってしまう。
「どこにあるかな」
ニヤニヤ。早く読みたい。こんなみっともない顔をほかの人に気づかれないようにしなければ……。お、ラスト一冊だ。よかった、危なかった。そう思って手を伸ばすと……。
「あ」
僕の隣から一人女性が手を伸ばしていた。読みたい気持ちをぐっと抑え、ほかの本屋によろうと思い、ここはレディーファーストで譲ろう。そう思って顔を上げ、女性の顔を見る。
刹那、僕の心は弾けた。
「はるか……?」
目の前の女性は目を見開いた。
「夢に出てくる人……? その前にイケメン……」
どうしよう。本当に目の前にいるのは、会いたいと願い続けたはるかなのだろうか。だが、僕の本能、魂のすべてが彼女であると叫んでいる。
「あの!」
大きな声が出た。周りに見られても今は気にしていられない。
「少し、お話しませんか?」
そう言うと、彼女は頷いてくれた。
「僕はあなたの前世でともに時を過ごしていました。また会おうって約束した。そして今日、あなたに会えた」
彼女は今世も、はるかの名を受けていた。僕が話たことを、はるかはうんうん頷いて聞いてくれた。
「そうなんだ……。でも、あなたを見たとき、なんか懐かしいなって思ったんだよね。そういうことかぁ……」
こうしてみると、昔の彼女に無邪気さを足したような人柄で、ほんとうにはるかなのだと実感する。泣きそうだ……。
「そういえば、あなたの名前は?」
「僕の名前は、神楽」
彼女は花を咲かせるようにぱっと笑って言った。
「古風で端正な君にぴったりだね!」
その言葉を聞いて、僕の頬を涙が伝っていった。
アネモネを抱きしめて なべねこ @nabeneco0827
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