第一話「黄金の騎士と黄昏の少女」③
空を行くこと、約一時間。日本国軍横須賀基地は、いまや、東京を観測する最前線である。
白亜の壁をした基地のとある一室――白い塩ビタイルに照明の明るさがまぶしいその部屋では、設置された仮眠用の簡易ベッドをしげしげと覗き込む、ふたりの男の背中があった。
肩を並べた彼らのうちひとりは、今朝の稽古で神楽夜に「芯がない」と辛辣な言を放った、あの
その傍らに立つのは、さきほど神楽夜たちを迎えに来た黒い軍服姿の大男だ。
ベッドになにかあるのか、大男は難しい顔を寄せる。それを、
「そうまじまじと見んでも良かろう」
と、鍾馗はたしなめるように制した。
「ん。いやな、どうなっておるのか気にならんか?」
ベッドには黒髪白肌の少年が瞳を閉じ、横になっている。――
大男の弁に鍾馗は呆れた様子で、
「気にならんことはないがな。それよりも——」
と一拍の間を置くや、
「リンジや、お主のその
と嫌味っぽく嘆息してみせる。
忠告に、
「俺たちにすれば孫みたいなもんだろう。孫の顔ひとつ見るくらい、なにが悪い」
麟寺は文句を口にするや否や、くるりと少年に首を戻す。表情は打って変わり、恐ろしいほど柔和だ。
それを見た鍾馗はまたも、もの言いたげなため息をついた。
そのさまに、麟寺は盟友を尻目で睨む。
「……なんだ、ショウキ。そんなにサクヤの寝顔を愛でたいのか」
だがその問いに鍾馗は答えず、
「ワシは心配でな」
と、なにやら憂心を覗かせながら顔を伏せる。もちろん、この大男に思い当たる節などない。それきり続かぬ言葉に、
「なにがだ」
と当然のごとく訊けば、
「寝覚めが悪かろう。目の前に般若では」
極々自然に罵倒が返った。
「減らず口め。素直に見たいと言えばよいものを」
麟寺は普通の声量で話したつもりだが、その大声は、六十平米あまりの室内を一瞬で満たすほどだ。
「静かにせんか、まったく」
眉をひそめる鍾馗に構うことなく、麟寺は続ける。
「お前も所帯を持てばよかったではないか。孫はいいぞう。この般若でもできたことだ。いっそマツルギの女どもではどうだ?」
マツルギとは、現在の日本を実質的に主導する御三家のひとつ、祀木家のことである。御三家にはそのほか、鍾馗が筆頭を務める翳祇家、そしていま喚いている麟寺が当主の御剣家がある。なかでも祀木家は女系の家柄で知られており、差し当たっての頭目も女性が担っている。
かの家がどれほど血筋を重んじているかを知るがゆえに、鍾馗は、
「あれがこちらと交わると思うか?」
と片眉を吊り上げた。それに麟寺は即答する。
「ないな」
「であろう。このような急場に際してなお、あやつらは
そう言う
「だが、やつらのおかげで体制が崩れなんだ。その点は認めねばならんな」
と安堵の色をにじませるに留めた。
そのとおり、いまの日本が国の形を保てているのは、祀木家の尽力によるところも大きい。主たる政治的・経済的機能をひと晩のうちに失い、国内があわや分裂しかけたのを食い止められたのは、皇族の生き残りを祀り上げたからこそだ。
それは鍾馗とて納得するところではある。が、彼は、幼帝を傀儡とする祀木のやり方を容認していない。影で手引きするくらいならば、いっそ摂政として名乗りを上げるべきだ。そう考えるのである。
だがしかし、鍾馗も麟寺も、その点でいえば同類だった。十三かそこらの男児に、たとえお飾りであったとしても、国の主という大役を押しつけたのだから。
ゆえにふたりの男はそれ以上、なにかを語ることができなくなった。
沈黙がしばらく、場を支配する。
と、麟寺が「にしても」と切り出した。
「青の次は金か」
ベッドに横たわる朔夜を見つめたままそう言った彼に、鍾馗は腕を組んだ状態から片手で顎をさすりながら、
「幸い、前のように暴れ出す気配はない。だが——犠牲が大きすぎる」
そう嘆かわしく答えた。
これまた気の晴れない話題である。大男は早くも別の話題を持ち出した。
「それより解せんのはトウヤだ」
言いながら、さきほどまでのとろけ顔から一転、引き締めた面を鐘馗に向けると、
「
と問うた。
訊かれた鍾馗は首を横に振り、着流しの襟を正しながら答える。
「さっぱりだ。総出で探せる状況でもない。娘と息子を放ってどこに行ったのやら」
「放浪癖が再発したか。てっきり、飛んでくると思ったがな」
そう、いまのこの国の状況を知れば、あの男なら真っ先に姿を見せるはずなのだ。だのに彼らの予想に反して威武灯弥は、まるでもう死んでいるかのように、音沙汰がない。
鍾馗は厳めしいその顔をさらに渋くした。
「ワシにもわからん。
そう言い終えた矢先、麟寺の左腕に巻かれた腕時計から電子音が数回鳴った。時刻を報せるものではない。これは、外部からの着信を報せるものである。
小型の画面となっているその腕時計型端末は、日本への流通を許されていないものだ。麟寺はその画面上で、ごつごつと節くれだった指を軽く滑らせた。
「どうした」
眼前に四角く浮かび上がった映像にそう応じれば、そこに映る神楽夜は随分暇を持て余した様子で、頭のうしろで両手を組んでいた。
「あ、先生。結果、前と変わんないよ。だいたいこれじゃ遠すぎるって」
対面するや、さっそく不満の垂れ流しである。この娘の堪え性のなさはよく理解しているつもりだが、今日はいつにも増して音を上げるのが早い。
ただ、無理からぬことではあった。いくら調査とはいえ、毎度毎度立たされっぱなしなのだ。とあれば、さすがに飽きるというもの。
その心中を推し量らないわけではないが、しかし、
「今日は中心から半径三十キロまでだ」
麟寺は釘を刺した。
「でも」
「いいから黙って立っとれ。もうすぐ終わる」
またも文句を並べようとした神楽夜の機先を制し、麟寺は無情にも通信を切った。それに<アームド・ゼルク>のコクピットにいる彼女が、「なにそれ」と口を尖らせたのはいうまでもない。
「いらんところばかりトウヤに似よって」
そう口にしたのは、やり取りを横で見ていた鍾馗だ。
「まだ一時間も経っとらんのにな」
続けて麟寺は「行くか」と大儀そうに嘆息した。あの娘のことだ。監視の目が遠いのをいいことに、独断で行動しかねない。
ふたりは眠る朔夜を置いて、部屋をあとにした。
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