第一話「黄金の騎士と黄昏の少女」④

 日は徐々に高まりつつある。見上げれば麟寺りんじの言ったとおり雲ひとつない快晴だ。こんな陽気に満ちたなか、なにが好きでマシンのコクピットになぞ詰めておらねばならんのか。

(だめだ)

 神楽夜かぐやは意を決すると、

「サク、外出る」

 球状をしたコクピットのなかで弟に指示を出した。

 すると高所から見下ろしていた彼女の視界は瞬時に暗転し、機体の目にあったはずの彼女の視点は、正しく自分の体に戻された。接続が切られたのだ。

 神楽夜の身はコクピット内で浮いた状態にあったが、それも解かれた。唐突に重力が全身に覆い被さり、球の底に着地する。青い非常灯がところどころに点るだけのそのなかで、神楽夜は開かれたハッチから差し込む外光を頼りに、球の内側を這い上がった。

 機体の腹からひとたび外に出れば、そこは、かつて首都があった場所である。

「東京かあ。来てみたかったな」

 神楽夜は乾風に髪が乱されるのを気にも留めず、両腰に手を当てて、なにもない周囲を見回した。

 東京タワーがあったあたりから抉り取られたように荒野が広がる。その大きさ、半径にして四十キロメートル。おびただしい瓦礫がれきの山は文明の跡だ。

 その中心、薄っすらかすみかかった彼方に、黄金に明滅するなにかがある。

 神楽夜は縦に置かれた金の卵のようなそれに、視線を集中させた。

 西暦二二〇〇年。東京はない。

 あるのは、胎動するかのように明滅する、黄金のまゆのみ。そこにあった数多の知性を根絶やし、新たな秩序の訪れを予感させるように、巨大なそれは鎮座していた。

「なんか、時間止まってるみたいだね」

 機体に備えられた拡声器から響く朔夜の声に、遠景に見とれていた神楽夜は「うん」とだけ頷く。

 広大なクレーターと化した東京に、無論、ひとけはない。いまこの地に足を踏み入れているのは、自分たち姉弟と研究者の一団、それから護衛である国軍のグスタフが数機のみである。

 国軍機は陣笠のような装甲で頭部を覆い、かつての足軽のような装いだ。鎧武者然とした神楽夜の<アームド・ゼルク>とは、意匠的に近しいものがある。そのグスタフらの姿はいまや遠く、研究者一行を乗せた車を先導し、繭へと最接近しつつあった。

 つまり、いまこの娘の周囲に咎める者はいない。

(よし)

 ひっそり自機の腹へ戻った神楽夜は、再び嗅覚と味覚以外の五感を機体と結んだ。その動きに朔夜は、姉のよからぬ考えを感じ取った。

「姉ちゃん?」

「もういいでしょ。時間までその辺歩く」

 案の定、姉の我慢は限界だった。朔夜としては、定められた範囲から逸脱することは避けたいところが、すでに機体の主導権は神楽夜に移っている。姉と機体の仲介役でしかない少年は従うほかない。

(だいたい、あんな遠いのに、一キロも二キロも変わんないでしょうに)

 神楽夜は自分の体を動かす要領で右足を踏み出した。だが、実際に動くのは己の足ではない。機体のほうだ。一瞬の間すらなく、巨大な鎧武者は同様の動きを取ってみせた。

 その調子でクレーターの縁に沿い歩を進めると、横目には延々と倒壊した建造物が広がる。

 群がっていたであろう建物はすべて、上から鉄球でも落とされたかのように粉砕され、一帯を覆いつくしている。東京都があった地域全土が陥没している状況だが、隣接する東京湾から海水の流入がないのは、いま歩いているように縁の部分が盛り上がっているためである。

「これ全部……」

 神楽夜は当時その場にいた者らを想い、顔をしかめた。

 なにがしかの兵器が使われたわけではない。しかし一夜にして東京はこの惨状へとなり果てた。それも、なんの前触れもなく。

 すべては、視界のさきで胎動する、あの繭が現れたからである。

(いったい……)

 地形すら平らげた繭とはいかなるものなのか。そう思いを馳せた、その時だった。

「――ア。……ル」

 まるで調子の悪い無線機から呼びかけてくるような、声らしき音。

「え?」

 なにかの聞き間違いか。神楽夜は周囲に目を配りながら耳を澄ませた。

「――ア。……ラ……ル」

「姉ちゃん!」

 判然とはしないが、やはり誰かの声のようだ。雑音混じりかつ電子的で、どちらかといえば男のようである。それに、どうやらその声は弟の耳にも届いているらしい。朔夜の呼び声にはたと顔を上げた神楽夜は、瓦礫の山々に視線を走らせた。

(まさか、誰かいる?)

 よもや生存者ということはあるまい。あの黄金の繭が現れてすでに一年が経とうとしているのだ。

 だがしかし、声らしき音がするのは事実だ。浮浪者が倒壊に巻き込まれ、救助を乞うている可能性もある。

 神楽夜の意思を反映し、瑠璃色の巨大な鎧武者は、盛り上がったクレーターの縁から瓦礫の上へと慎重に滑り降りた。

「サク、わかる?」

「待って」

 弟の静止を合図に、視界に収まった瓦礫の丘の上を、薄緑色に光る帯がなぞる。もちろん現実のことではなく、機体に備わる走査機能が、実行者に対し、作業の進行具合を視覚的に見せるための演出に過ぎない。

 機械的に拡張された感覚は、彼女に新しい世界をもたらしてくれる。でも、それをどこまで信じていいのか、彼女はときどき迷う。

 手が知る木々の感触や髪が泳ぐ風の甘さといったそのどれもが、機体を通したデータにすり替わる。自分というものを確かに感じているはずなのに、どこかに嘘があると、彼女には思えてならない。

 そう、嘘。

 いま見ているこの景色もそうだ。機体とリンクした視界は画面越しに見る映像と変わらない。だのにそれをどうしてか、自分は、妙な実感を伴う現実として認めてしまう。

 自分のいる世界とよく似た、虚構の現実。

 弟の仲介で得られるその体験は、ひどく、彼女を不安にする。そして時折思うのだ。

 これは誰が見ている夢なのか、と。

 だが、それを突き詰めてしまえば、己の体を通して得られる感覚すら、怪しむことになる。

(芯がない、か)

 またも鍾馗の言葉が胸を刺し、神楽夜は心中でつぶやいた。

 そも、自分がどこの誰か知れない時点で、そんなものはないに等しい。求めて手を伸ばそうにも、その手をどこへ持って行けばいいのかすら、わからない。

「いないね」

 朔夜が透視の結果を告げた。

 生体反応がないとすると、可能性としては通信の混線か。けれども、先行する国軍機との距離はそう離れているわけではない。それに通信が入ったならば、その前に機体が着信を報せるはずである。

 どこか外部から、正規ではない方法で接触してきているのか。

 神楽夜の視線は不思議と、遠い黄金の繭へと引き寄せられた。

 すると、

「――ラ……エ……」

 かすかにだが、あの声がする。「また!」と目を見張った神楽夜は、機体をただちに跳躍させた。

「ちょ、姉ちゃん!」

 驚く弟をよそに、神楽夜は機体各所に設けられた推進器を稼働させた。段のついた肩や腰回りの甲冑は、その装甲同士の間から推進器スラスターを覗かせ、猛烈な推力で機体を持ち上げる。

 それでも飛行するまでには至らない。長い跳躍を経て地面に降り立つと、鎧武者は地を蹴って再び跳んだ。神楽夜駆る<アームド・ゼルク>はその堅牢な見た目とは裏腹に、軽快な足回りで繭との距離を詰めていく。

 その腹のなかで、

(やっぱり)

 と、神楽夜は睨みを深くした。声はあの繭からしている。

「姉ちゃん、まずいって」

 弟は何度かそう制するが、姉が聞く耳を持たないのはいつものことだ。すでに止める気などさらさらない。流れに身を任せていた。

 そのうちに、繭の全貌が見えてくる。

 表面が黄金のシルクのようになめらかなそれは、視線を遮るものがないことも手伝って、三十キロ近く離れる神楽夜たちからもわかるほど高さがある。六百メートルは優にあるだろう。

 誰が繭と呼んだかは定かでないが、神楽夜から見ればその形状は、花のつぼみが近い印象だ。バラのそれがよく似ている。

 途切れ途切れのあの声が続くなか、いよいよ威圧感を増す繭を見て、神楽夜は、

(でっか……怪獣でも生まれるんじゃないの、あれ)

 と眉をひそめる。が、

「怪獣でも生まれたりしてな! ガハハハ!」

 はじめてこの地に連れて来られた際、麟寺がそう大笑していたのを思い出し、すぐにげんなりとした。続いて出た呆れた嘆息は、「いい歳してその程度の発想力しかないのか」という当てつけであるが、幼稚さでいえばこの娘も同等。他人のことは言えない。

「ん」

 突然、視界にざりざりとした砂嵐のような乱れが走り、神楽夜は表情を硬くした。そして、背中の傷がちりちりと痛みだし、険しい顔で背後を確認しようとした――矢先だった。

「退避だ! 戻れ、カグヤッ!!」

 突として轟いた麟寺の叫びに神楽夜は目を見開き、心の臓が飛び出るのではという思いで身を跳ねさせた。それから間髪入れず、

「姉ちゃん!」

 と、朔夜の焦燥に満ちた呼び声が駆ける。

 全身の毛を逆立てた神楽夜は、早くなる鼓動に急かされて直感的に繭を見た。

「あ――」

 神楽夜は着地するなり、動きを止めた。

 まるで新しい生命いのちの誕生を目にしているようだった。

 黄金の繭は明滅を早め、その表皮を、一枚、また一枚と広げていく。つぼみがゆっくりと膨らみ、花が咲くような、一種の淫靡いんびさすらまといながら。

 唸るような地鳴りとともに激しい揺れが襲う。思わず片膝をついた神楽夜の眼前で、繭は一層の輝きを放つ。

 そして満開となりかけた瞬間、繭は、根元に近い高さで水平に光を放った。繭を中心に、金のさざ波が波紋のように広がっていく。

 繭に近かった観測隊やその護衛の絶叫が、光に消える。さざ波はそのあとに、しぶきに似た黄金の粒子を引き連れた。

 光輪は止まることを知らない。過ぎ去ったあとには瓦礫ひとつ残らない。すべてが光へ還っていく。

 足を動かさねばならないのに、神楽夜は膝をついたままだ。見開かれた目には、迫り来る浄化の光が確かに映っている。必死に呼ぶ弟の声も、麟寺や鍾馗の怒声も、すべてが遠くこもって聞こえる。だが――。

「立て、カグヤ!」

 矢のように飛び込んだ聞き覚えのない男の声に、神楽夜は身を震わせ、反射的にうしろへ跳んだ。そして、密かに様子を窺いに来た麟寺たちの前に降り立ち、盾となるべく身を屈めた。

「姉ちゃん!?」

 光輪との距離はおよそ五キロ。凄まじい勢いで縮まっている。逃げ場などない。

「バカ者! なにをしているか!」

 麟寺の怒号を背に受けて、なお彼女は光に対峙した。

 間もなく、その時は訪れる。

 体の前で交差した腕の間から、直視できないほどの光が差し込んだ。

(養父とうさん――!)

 彼女は固くまぶたを閉じ、柄にもなく祈った。

 すると、応じるように右腕の白い籠手が青い輝きを発し――否、その光は籠手を構成する装甲の合間、つまり内部から放たれている。

 雪崩のごとく神楽夜たちを飲み込む金のさざ波。しかし、青い光に触れた途端、それは爆裂し、霧散をはじめた。

 弾け飛ぶ黄金粒子はシャンパンの泡に似て、細く、空へ昇っていく。そのなかで、神楽夜は右腕に痛みを感じ、瞼を上げた。

 籠手はまだ、輝きを損なってはいない。

(なにこれ……)

 手の甲から右肘にかけて、大樹が枝を伸ばすように青白い炎の筋が伸びる。彼女は目を疑った。

 そこへ朔夜の頓狂な声が響く。

「姉ちゃん、繭が!」

 はっと睨み見れば、繭ははちきれんばかりに輝きを発し、ついにあたり一面を満たす黄金色こがねいろは極限に達した。

 目を細めるほどのまばゆさ。それを背に、繭から一歩、また一歩と進み出て来る影がある。段々と人の形を取りはじめるそれは、まさしく。

「グスタフ!?」

 神楽夜は驚愕した。

 人型は、繭の逆光を浴びて詳細こそつかめないが、紛れもなくそれだ。未知の物体から既知の存在が現れた。

 西洋甲冑に似た黄金のグスタフ。だが、ところどころに破損が見える。なかでも目を引くのは、胸元のエメラルドのような結晶体だ。

 曲線の多い形状に、大きさは神楽夜のゼルクと変わらない。七、八メートルといったところ。ゆらりと現れた騎士は、それきりうつむき気味に立ち尽くしている。武器らしきものは携えていない。

「く……」

 神楽夜は右腕に走った痛みに視線を戻した。

 青白い炎の筋と籠手のなかから発する光が強くなるにつれ、その痛みもまた増していく。

 それに気を取られているうち、うつむいていた黄金の騎士は、腰の後ろに片刃の剣のような装甲を音もなく出現させた。燕尾服のように腰から伸びる二枚と、さらにその左右に一枚ずつ連なる、計四枚である。色はいずれも黄金だ。

 浮遊するそれらはなんの合図もなく背中へと移動し、左右二枚ずつ、内側に折りたたまれる。その形状はさながら羽のようである。

 悪寒に背中を刺され、神楽夜は厳めしい顔を騎士へ向けると、鋭く息を吸った。

 全身の血がぞっと心臓に集まる。

 またたきに騎士が消える。

 途端、彼女の顔に影がかかった。

 片膝をついたままでいる神楽夜は、筒を覗くように狭まる視界と、引き伸ばされる時間のなかで、ぎょろりと影へ視線を持ち上げた。黄金の輝きが降り注ぎだすなか、神楽夜のそのさまは、御光ごこうに抱かれ懺悔ざんげする罪人に見える。

(死ぬ――)

 彼女はゆっくりと、自分の終わりを確かめるように瞬きをし、失禁した。

 そこに、

「左へ跳べ!」

 またも知らぬ男の声だけが駆け抜けた。

 その言葉とともに、神楽夜の眼前に立つ騎士の左肩にクナイが刺さる。騎士の動きが一瞬だけ鈍ったその隙に、神楽夜は思い切り左へ跳んだ。

 直後、まるで神罰かのごとく、彼女がいた場所に光の柱が建った。荷電粒子の熱線である。

 地面から天空へと伸びるそれを見て神楽夜は唖然とするが、安堵するにはまだ早い。

 騎士と光の柱を挟んで、麟寺と鍾馗が、身の丈の数倍はある瓦礫を盾に、眼前に迫った敵を見上げている。

「まずい!」

 神楽夜は股間から漂うアンモニアの臭いを忘れて歯を食いしばり、鬼の形相で姿勢を低くした。その周囲に、風が立ち込める。

 次の瞬間、爆発じみた跳躍に、瓦礫が舞い踊った。

 神楽夜の駆るグスタフ<アームド・ゼルク>は刹那のうちに間合いを詰め、黄金の騎士の側面に立つ。

 続けざま、勢いを乗せた右の正拳突きが、騎士の胸元を横切った。軸がずれた。騎士が一歩退いたのだ。

 拳が、驚きの間を孕んで引き戻される。だが彼女はすかさず、左の掌底で風を切った。狙うは頭部。左手は、食らいつく猛虎のごとく駆け抜ける。

 しかし。

(な!?)

 目と鼻のさきにいたはずの騎士がいない。

(うしろ!?)

 もてあそぶように回り込まれた。

 神楽夜は、烈火のごとく腰回りの筋肉を引き絞る。その回転にひとつ結いの髪が、横に振るう刃のように追随した。

 引き戻す左腕から、流れるように肘打ちが爆ぜる。

 ドン、と体の芯を震わせる衝撃波が起きたが、肘は届いていない。咄嗟に後退した騎士との間合いは、もう一歩半、離れている。

 それを詰めるべく、神楽夜はさらに右半身を前に出した。重心の移動を伴った正拳突きは、しかし、届かない。

「ちっ!」

 苛立ちに舌打ちする彼女を嘲笑うかのように、黄金の騎士は悠々と宙に浮く。間合いにして十歩、瞬時に離された。捉えるには、一度の踏み込みではぎりぎり難しい距離だ。

 神楽夜がいくら騎士の顔を睨みつけようにも、相手のヘルムが邪魔をする。格子になったその隙間から覗くものはない。ただの闇のみだ。

(こいつ、遊んでやがんのか)

 そう睨みを深くすると、今度は騎士が動いた。前傾になったのを合図に、その姿が消える。

 かっと見開いた神楽夜の目は敵を探し、縦横無尽に駆け巡って、急に止まった。

「ぁ、がっ!?」

 衝撃に唾液が飛び散った。

 なにが起こったのか。落ちる唾液を追う視線のさきに、腹部にめり込む黄金の腕があった。掌底を食らわされたのだ。

 だが、そこまではいい。

 問題なのは騎士の姿がないことだ。なにもない空間から、腕だけが現れ、伸びている。

(なんだっつ――)

 その現象に考えを巡らす間などない。

 腹に打ち込まれた掌底が激しく輝きはじめる。その矢先、流星のごとき閃光が駆け抜け、あたりは白色に焼かれた。

 熱線に飲まれたゼルクは堪えきれず、彼方へと弾き飛ばされる。

「貴様ァッ!」

 その光景を目の当たりにした麟寺は咆哮をあげ、身の丈の数十倍はある瓦礫を引き上げた。それを、ようやく姿を現した黄金の騎士めがけ投擲する。投げつけるコンクリート片や鉄柱はもはや砲弾のようだが、それでも騎士には届かない。手前のなにもない空間ですべて光に変わってしまう。

「く……」

 麟寺は忌々しげに歯噛みした。これでは、皇族の近衛をも任される御剣家の当主としても、そしていち武闘家としても名折れである。

 片や黄金の騎士は、自身が出てきた繭の方角を見つめ、動かない。その顔に表情があるとしたら、怪訝そう、とでもいえる様子である。

「ならば!」

 腰だめに構えた麟寺が気炎をあげた。それだけで彼の全身から波動が発せられ、周囲の瓦礫が浮き上がる。

旭光照拳きょっこうしょうけん御剣みつるぎ流――天道脚てんどうきゃくッ!」

 見るからに重そうな巨躯が、叫びとともに軽々と宙を舞った。炎のごとき闘気をまとった右足を蹴り上げながら、空中で身をひねり、騎士の足元で再度着地する。その一連の動きは、さながら豪快に四股を踏むようである。

 麟寺が体得する旭光照拳は古武術のひとつだ。その流れには陰陽道の、特に「陽」をつかさどる概念も組み込まれている。ゆえに自然の摂理を重んじ、気を正しく運用するという思想のもと体現されるわけだが、天変地異に匹敵する技をなせるのは、この御剣麟寺をおいてほかにない。

 彼が幼少の時分より麒麟児と呼ばれたのは、もちろんその名のせいでもあるが、極地といえる技の冴えがゆえんだ。

 その実力をいままさに証明せんとする大男は、自分を中心に大地をくぼませ、敷き詰められた瓦礫をすり潰し、下へ下へと圧縮した。並みの人間ならば全身の骨が砕けるところ。たとえグスタフであっても転倒は免れない衝撃である。それを気迫のみで具現化するというのだから、人並み外れた技量であることは疑いようもない。

 けれども、黄金の騎士は歯牙にもかけない様子でいる。

「ぬぅ」

 麟寺が顔をしかめると、今度は騎士が、彼へいきなり手のひらを向けた。

 寸刻、大男の眼に閃光が映る。

 瞬時に地面が爆散し、瓦礫と土が剣山のように吹っ飛んだ。

 噴火だ。噴火といえるほどの熱量と苛烈さが、大地を抉り抜いた。

 光が収まると、麟寺が立っていた場所は焦土と化していた。無論、誰も残っているはずはない。

 だが騎士は予想に反したらしく、確かめるようにあたりを見回す。と、その視界に、空へ向かって霧散する白い数字の羅列が捉えられた。

 そこにどんな答えを見たのか知れないが、騎士は花開いた繭に向き直ると、その身を青白い光で包み込み、音もなく姿を消した。

 荒野は、それからしばらく静寂を取り戻す。

 やがて、騎士が抉った地面のそば、重なる瓦礫の一部がなんの前触れもなくずれ動いた。そこに生まれた隙間から、

「――行ったか?」

 という麟寺の声がしたかと思えば、瓦礫は不思議なことに、見えないなにかに支えられるようにして起き上がった。

 物理法則を無視して制止する瓦礫の傍らは、まるで蜃気楼のように揺らめいている。麟寺の姿はその真下にあったが、特段なにかをしている様子はない。

 大男はその強面を頭上に振り向ける。すると空いた空間に、絵具を水面に垂らしたように深紫がにじんで、一機のグスタフがゆらりと姿を現した。

 下半身は野良袴(裾の細い袴)のようにふともものあたりが膨らみ、上半身は細身の西洋甲冑のごとき形状をしている。見る角度によっては黒色とも取れるほど濃い紫をしたそれは、忍び装束にも近い印象の鉄の巨人だ。

 大男を庇うようにして片膝をついたその機体こそ、瓦礫を支えるものの正体だった。

「危うく消し炭になるところであったわ。ガハハハハ!」

 グスタフの股座から歩み出るなり、麟寺はそう笑い飛ばした。黒い詰襟の軍服は土埃にまみれているが、怪我は見られない。

 深紫のグスタフはその背中を見下ろすや、

「まったくだ。そうなれば、骨を拾う必要もないものを」

 などと呆れた嘆息を吐いた。その声色、電子的なこもりはあるが翳祇鍾馗のそれである。

「そりゃあお互い様だな。まあ、なにはともあれ助かった」

 麟寺がそう言い終えた直後、遠巻きに、落雷に似た爆発音が轟いた。それも一度ではない。花と化した繭のほうから何度も何度も聞こえてくる。明らかに戦闘の音だ。

 いまこの地で干戈を交える者がいるとするならば、思い当たるのはひとりしかいない。

「カグヤか!」

 麟寺は再び表情を険しいものにした。

 見れば、黄金の花が放つ輝きは、一層激しさを増しているではないか。覚醒を果たしたあの敵に、単騎で応戦しようなど無謀が過ぎる。相手は、この東京を灰塵に帰した繭の中身だ。

 だが、捨て置くことはできない。神楽夜は、友である威武灯弥の大事な娘だ。託された身として、大男には引けぬ義理があった。

 それは、この翳祇鍾馗も同じはずである。

「増援が来るまでまだ数分かかる。行くぞ、ショウキ」

 そう加勢を促すが、対して鍾馗の反応は鈍い。

「どうした」

 麟寺が訝しげに見上げれば、深紫のグスタフは、彼方に咲く黄金の花へ首をねじ向けたままでいる。その心中は盟友である麟寺でなければ推し量れまい。大男は黙して友の出方を待った。

 するとやや間を置いて、

「……ああ。終わらせねばな」

 と、機械仕掛けの巨人は侘しげにそう言った。

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