絶対不可侵領域ファーストキッス

黒井咲夜

知らぬは両人ばかりなり

「キスってどうやってすれば良いと思う?」


 たけるは、広間に入るなり目の前でタブレットを広げている清森きよもりに問いかけた。


「……とりあえず、飯食うか寝た方がいいと思う」


「あ!真面目に考える気ないなお前!」


 そっけない返事で逃げようとする清森を逃がさないように、ふすまを手で押さえる。


「シンプルに他の人の迷惑だからやめろ!」


「俺の相談に乗ってくれるならやめる」


 あまりにも大人気おとなげない武の態度に、清森はため息をついた。


「……わかった。話ぐらいは聞いてやる」


「感謝感激マジサンキュー」


 武は素早く座卓の空いてる場所に座り、清森に向き直る。


「まず、なんでキスの仕方なんか知りたいんだ?」


「そりゃあ、唄羽うたはとキスしたいからに決まってんだろ」


 唄羽はこの春京都から上京してきた少女で、武や清森と共にモノノケと呼ばれる怪異と戦う異能力者、言霊師ことだましのうちのひとりだ。


「考えてもみろ。夜型生活の俺が昼間すやすや眠ってる間、唄羽は高校に行って数えきれないほどの性欲MAXボーイズと接してるんだぞ?二次元から飛び出してきたような誰もが目を奪われる完璧で究極の清楚アイドル系ゆるふわ巨乳美少女の唄羽がいつ陽キャのヤリチン野郎に目をつけられてNTR寝取られてもおかしくないだろ!」


「お前の私立高校のイメージどうなってんだよ」


 清森のツッコミをよそに、武の想像(妄想?)はヒートアップしていく。


「この前のモノノケ事案で知り合った李下りのした家の息子たちも唄羽と同じ高校らしいし、清潔感のあるイケメンだし、なんなら同級生なら俺より長い時間唄羽と一緒にいる訳だろ?俺みたいな引きこもり根暗陰キャが接点バリバリイケメン陽キャに立ち向かうには、もう既成事実を作るしか……」


「目ぇ据わってんぞ。一旦落ち着け」


 清森に促されて、武は菓子盆からまんじゅうを手に取る。包装をいじくり回していると、清森がお茶を差し出してきた。これを飲んで落ち着け、という意味だろう。


「武がキスをしたいって理由はわかった。要は、唄羽の心が自分から離れるのが不安なんだろ?」


 まんじゅうを食べていた武が盛大にむせる。慌ててお茶でまんじゅうを流し込もうとして、今度は舌を火傷した。


「おおかたあねさんになんか言われたんだろうけど、そんなに焦んなくてもいいんじゃねえの?」


「……でも俺、唄羽が東京こっちに来てから、全然、婚約者っぽいことしてやれてないんだよ。手紙とかメールなら、好きだって言えたのに、実際に唄羽が目の前にいると、あまりにも小さくて、柔らかくて、軽く触れただけで壊しちゃいそうで……」


 武は強い。言霊師としての能力の高さはもちろん、日々の鍛錬やモノノケとの戦いで鍛えられた肉体は並大抵の人間なら簡単に捻り潰せる程度には強い。しかし、優しく丁寧に何かを扱うとなると、武の力は途端にハンデになる。


「画面越しなら言霊ことだまで傷つけることもないし、ケガをさせることもない、か……なんか、思ってたよりめちゃくちゃ臆病なんだな。武って」


「お気づきになられましたか。ついでに言うと中・高とまともに学校行ってないからコミュニケーションスキルも恋愛免疫もゼロだぞ俺は」


 武が開き直る。胸を張って言うことではないが、事実だから仕方ない。


「だからわざわざキスの仕方なんて知りたがってるのか……」


「清森はキスのひとつやふたつしたことあるだろ。いかにも陽キャって感じだし」


「偏見はやめろ!……まあ、なくはない、けど。つっても、オレの場合なんかノリで付き合ってなんとなくでキスして『なんか思ってたのと違う』でサクッと振られたから全く参考になんねーぞ」


「出た陽キャ特有のノリ」


「うるせー!とにかく恋愛なんて流れと雰囲気なんだよ!」


 武と清森が言い争っていると、広間の襖から唄羽がひょっこり顔を出した。


「たけさん、いっしょに見回りいきません?」


 時計を見ると、時刻は夕方の6時過ぎ。普段なら見回りに行く時間だ。


「じゃあ、見回り行ってくる。夕飯は帰ってきたら食べるから取っておいて」


 武と唄羽が広間を出ると、後には清森だけが残された。


「……あいつ、唄羽が見回りに行くためにわざわざ部屋着から着替えて髪もキレイにしてるの知らねーんだろうな……」


 清森は誰に聞かせるでもなくひとりごちた。

******

 武たちが暮らしている火村ほむら家の屋敷は周囲を山に囲まれており、山の中には動物霊などが溜まりやすい。そのため、それらが人間に害をなすモノノケになる前に定期的に見回りをして祓う必要がある。

 といっても、人里近くにいるモノノケはとても弱く言霊師の気配と話し声で除霊できるため、実際は雑談しながらの散歩である。


「唄羽、その……楽しいか?学校」


「はい!部活に入って友だちもぎょうさんできましたし、体育祭の準備でお世話になっとる先輩方もみんな優しいです」


 腰まで伸びたツインテールが夜風に揺れる。


「嫌な目に、遭ったりしてないか?」


「物がのうなったり仲間外れにされたりとかはないんで、大丈夫ですよ」


 白いブラウスとレモンイエローのキュロットパンツが宵闇に映える。心なしか暗い山道のなかで、唄羽の周囲だけが輝いてるような気がする。


「そういうたけさんは、ちゃんと寝てはります?最近、徹夜で配信ばっかしてるみたいですけど」


 鈴を転がすような声が耳に心地よい。上目遣いで武を睨みつける表情すら、愛おしく思える。


「……唄羽は何しても可愛いな」


「えっ!いや、そんな、うちなんて……って、ごまかそうとせんでください!」


 武の眼下で唄羽がぴょこぴょこ跳ねているなか、武の目が黒い影を捉える。


(明らかに人の気配じゃない……モノノケか!)


 とっさに唄羽を抱き寄せ、周囲の気配を探る。


(……仲間はいなさそうだな。あまり強いモノノケではなさそうだから、俺だけで何とかなるか?)


「あの、たけさん……?」


 唄羽の怪訝そうな声で武は我に返った。無意識とはいえ、夜道でいきなり肩を抱き寄せられたら不審がるのは当然だろう。


「アッ違うんだこれは別に不純な動機でスキンシップを図ったわけでなくてその」


 しどろもどろになりながら弁明していると、唄羽がそっと武の方にしなだれかかる。


「ファッ!?」


「ふふ。なんか、ほんまもんの恋人みたいですね」


 唄羽の体温が、脇腹を中心にじんわりと広がっていく。

 武よりも華奢きゃしゃな体のなかで武に勝るとも劣らないサイズの豊満な胸の感触は否が応でも意識せざるを得ないが、なるべく意識しないことにした。


「……唄羽にとって、許婚は恋人じゃないのか?」


「それは……家の都合で決められたもんやし……」


「じゃあ、唄羽は俺以外に好きな人がいるんだな」


 唄羽を抱きしめている武の腕に力が入る。


(俺には、唄羽しかいないのに)


「ちゃいます!その……うちばっかし、たけさんのこと好きなんやないか、って思て……だって、たけさんは人気配信者の『バーニング☆サムライ』で、たけさんのこと好きな人はぎょうさんおって、学校でも、うちよりキレイな人も、可愛い子も、みんなたけさんが、バニサムさんが好きやっていうとるし……」


 唄羽の大きな瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。


「いつか、たけさんも、たけさんのお母ちゃんみたいに」


「唄羽」


 武の指が、とめどなく溢れる涙を拭う。涙で濡れた瞳に、武の顔が映りこんでいる。


「……誰から聞いたかは知らないけど、俺は母さんじゃない。母さんは愛を貫くために火村家を離れたけど、俺はそんなことはしない」


 暗い山道に月の光が差し込む。月光に照らされる涙と紅潮した頬がまるで絵画のようで、息を呑むほど美しかった。


「俺の身体は、命は、余すところなく全部、唄羽のものだ。それだけは忘れないでくれ」


「たけさん……」


 背の高い武が、唄羽の目線に合わせて膝を曲げる。唄羽もそれに応えるように、精いっぱい背伸びをして武にすがりついている。

 暗い山道に2人きり。濃密なスキンシップ。武の脳裏に清森の言葉がフラッシュバックする。


――とにかく、恋愛なんて流れと雰囲気なんだよ!


(もしかして……今、めちゃくちゃ唄羽にキスする流れなのでは!?)


 唄羽も同じことを考えているのか、そっと目を閉じて武に身を委ねていた。

 顔を寄せると、トリートメントの匂いがふわっと香る。同じ洗剤、同じシャンプーを使っているはずなのに、唄羽から香る匂いは武のそれとは全く違う気がする。

 互いの吐息を感じるほどに顔が接近する。唇と唇が触れ合うほどに――

 今まさにキスをしようというその瞬間、武の背後からモノノケが飛びかかってきた。


『ケケケッ、油断シタネ!脳味噌ブチマケテ死ニナ!』


 しわくちゃの老婆のような見た目のモノノケが、武の頭をめがけてナタを振りかぶる。

 ――しかし、その刃が武に届くことはなかった。

 武の手には巨大な蛮刀が握られており、背面取りでナタを受け止めている。


『何ッ…!?』


 初撃を防がれたモノノケは、なおも食い下がり武に襲いかかる。


『ドケ!オマエミタイナ肉ノ固ソウナ奴ニ、興味ハナインダヨ!ソッチノ娘ッ子ヲ寄越セェ!!』


 左腕で唄羽を抱きしめたまま、右手に握った蛮刀でナタの連撃をいなしている。金属のぶつかる音が何度も夜の山道に響き渡る。


「……人の恋路を邪魔するやつは」


 武が首だけを、ゆっくりとモノノケの方に向けた。

 唄羽との2人きりの時間を邪魔されたのがよほど頭にきたのか、その表情はまるで鬼のようであった。


『ヒッ……!』


「『馬に蹴られて、死んでしまえ』!!」


 武が叫ぶと、モノノケが勢いよく――吹っ飛ぶ。

 武たち言霊師ことだましの放つ言葉には不思議な力が宿る。その中でも特に力が強い武は、口にした出来事を現実に引き起こすことも可能なのだ。


『ギャアアーーーッ!!』


 勢いそのまま木の幹に衝突すると、モノノケは塵になって消滅する。後に残されたのは、歯の欠けたナタだけだった。


「……怪我、ない?」


「はい、たけさんのおかげで」


「なら良かった。一応、モノノケの依代よりしろになってたナタも燃やしておこっか」


 武が木に突き刺さったナタを引き抜き、胸の前で構える。


「『付喪神つくもがみよ、この世に思い残すことあらば火村武に伝えたまえ。思い残すところなければ、火によって灰となり土に還れ』」


 武の言葉に応えるように、ナタが燃え上がる。武の左手がナタと共に炎に包まれたかと思うと、次の瞬間には灰と炭になっていた。


「手、大丈夫なんですか?」


「ん?……ああ、もう慣れちゃったから大丈夫。一瞬だからそんなに熱くないし」


「……手当てさせてください。たけさんが気にせんでも、うちが気にします」


 唄羽が武の左手をそっと包みこむように握る。ふしくれだった武の手と違って、小さくて柔らかい手だ。


「『傷よ、癒えろ』『痛みよ、消えろ』」


 ゆっくりと火傷の痛みが引いていくのを感じる。

 モノノケとの戦闘で怪我をしても自力で治すのが当たり前だった武にとって、誰かに治療をしてもらうことは何とも言えない心地だった。


「今日はもう帰りましょ。あらかた治ったとは思いますけど、ちゃんとたまきさんに見てもらわんと」


 離れかけた唄羽の右手を、武の左手がしっかりと握る。


「……手、繋いで帰ろう。暗くて危ないし」


 本当は唄羽の手を離したくなかっただけなのだが、それを面と向かって言うのはなんだか気恥ずかしかったのでとっさに適当な理由を考えたのだ。

 唄羽は微笑んで、武の手を握り返した。


「たけさん」


「ん?どうした、唄羽」


 唄羽の声をよく聞くために、武が身を屈める。


「その……外ではあかんけど、家でふたりきりの時やったら、してもええですよ?」


 唄羽が照れくさそうに、武に耳打ちする。何を、とは言わなかったが、破壊力は充分すぎる囁きだった。


「…………マエムキニケントウシマス……」


「もう、たけさんのいけず!」


 小さな影と大きな影が、寄り添って夜道を登っていく。

 2人が恋人として次のステップに進むのは、まだまだ先になりそうだ。

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