第21話 ヤクソク


 ログハウスはやけに静かだった。


 入口の扉を開けると玄関に小柄な人影。すぐに夏蓮だとわかる。壁に背を預けた格好で廊下に立っていて、道弥の顔を見るや「……遅かったな」と何故か唇を尖らせた。


「……梅雨里はどうした?」


「一人にさせてくれ、とさ。寂しいものだよ。最後だというのに」


 不満顔の原因はそれか。夏蓮は帰ってもすぐ会えるだろうに。


 しかし今それを言う梅雨里の真意も不可解だ。


 道弥は夏蓮の横を通り過ぎ、リビングへ向かう。梅雨里の姿はなかった。


 不審に思って窓の外を見ると、案の定、梅雨里の姿をそこに見つけた。


 道弥はすぐに家を出る。


 木製のベンチに梅雨里は姿勢良く座っていた。


 丘の上からは国の景色を広く望める。すでに塀は跡形も無く、じわじわと迫り来る消滅が国を呑み込んでいく光景が見渡せた。光の粒を散らしながら世界が霧散していく様子は、どこか美しさすら覚えさせられる。時間はまだある。


「どうしたんだ。梅雨里?」


 梅雨里は振り返らず首を横に振った。


「お気になさらず。ただ一人になりたかっただけですから」


「ならいいけどな。お前の姉貴が拗ねてるから、早めにフォローしとけよ」


「……姉さんには、大変ご迷惑をおかけしました」


「お互い様だろ。お前が反省する必要はねえよ」


「いいえ。私が悪いんです。私が」


「…………隣、座るぞ」


 ベンチに腰を下ろす。梅雨里が少し距離を取る。


 何から話すべきだろう。

 何から話せば、この少女は元気を出してくれるのだろうか。

 無い頭を捻って一向に答えは見つからない。


「なあ、梅雨里。一つ聞いていいか」


 ——それでも。


 彼女の憂いを晴らすのが、きっと自分の最後の役割だった。


「夏蓮が梅雨里を探し出したって話だが、お前は一体どこに閉じ込められてたんだ?」


「それは、城の部屋に、皆と一緒に……」


「ダウト」


「え?」


 梅雨里が驚いた顔でこちらを向く。道弥は構わず言った。


「城のなかで、佐藤がお前と顔を合わせたときに言ってただろ。『ずっと会えなかったから心配した』って。だけど誘拐された奴らは全員同じ部屋に入れられて、一緒に暮らしてたって話だ」


「……」


「だから……『ずっと会えなかった』はおかしい」


 梅雨里は俯き……なにも言わない。


「本当は、城のどこにもいなかったんだろ」


 やおら、立ち上がった。


 しずしずと丘へ歩み出て、梅雨里は振り向かず口を動かす。


「いつから、ですか」


「気づいてたかって? べつに、今だって確信は持ってない」


 強いて言えば梅雨里と再会したときだろうか。なんとなくそうではないかと思ったのだ。理由は上手く説明できないが。


「そう、ですか」


 梅雨里が静かに振り返る。頭上の『国民Bの妻』が光を放った。


 文字は光に消え、やがて本来の『役割』を映し出す。


 青空を背景に浮かんだのは――『主人公』の三文字だった。


「灯台下暗しって言うんだったか? こういうの……」


 梅雨里は何も言わなかった。


 ここで茶化しても意味なんてない。わかっている。


 道弥は溜め息を吐いた。


「誘拐は自作自演だったんだな。だとしたら店を荒らしたのも梅雨里か?」


「はい。私です」


 思えば疑問点は幾つかあった。


 特に怪しいのは事件があった時間帯だ。まだ開店前の早朝。梅雨里が店に一人だったのは店長が珍しく遅刻して、かつ道弥が酒場「ミケネコ」へ行ったことが原因だ。つまり偶発的に生まれた隙であるはずなのだ。あの慎重な誘拐犯が、そんなアドリブに任せた犯行に踏み切るとは考え難い。


「万城さんは候補から外れる。なら誰が攫ったんだって話だ。店長に朝用事があることを知っていて、かつ俺が冴木のもとへ向かったことを知っていて、梅雨里が店に一人になることを知っていた人物……」


「……」


「そんなもん、本人しかいないだろ」


 その後路地裏に消えたとされる人影もきっと梅雨里だったのだろう。思えば目撃情報からも黒い外套を纏った人物は一人しか確認されていなかった。


「でも……、わざわざ店で事を起こさなくても良かったんじゃないか? 近くに誰も住んでないこの家でやったほうが、ずっと好都合だったはずだろ」


 確かに一連の誘拐事件と関連付けさせるためには、外套の人物を目撃される必要はあっただろうが、それよりも墓穴を掘る危険性のほうが高かったはずだ。 なのに、何故。


「できませんよ。そんなこと」


「え……?」


「だって、どちらにせよ犯行の痕跡は残さないといけないでしょう?」


 梅雨里は静かに振り返って、


「この家を滅茶苦茶にするなんて、私にはできませんよ」


 困ったような笑みを浮かべながら、今までずっと一緒に過ごしてきた大切なログハウスを見上げる。語り切れない万感の思いが梅雨里の横顔からは窺える。


 思わず見惚れそうになった。


 だが梅雨里は気持ちを抑えるように一度目を閉じると、こちらを見つめた。


「それに、現場を荒らすって意外と大変なんですよ。道弥さん」


「それは、もしかして……」


「ええ。広場を壊したときに思い知りました」


 中央広場が荒らされた事件。あれも梅雨里がやったことだったのか。


「いつまでも『主人公』としての『役割』を果たさない私に業を煮やしたのでしょうね。ある日、神様から言われたんです。『主人公』の『役割』を持つ者が存在すること、それが私であることを公表するものを、今から広場に設置すると」


 だから朝早くに看板を破壊し、カモフラージュとして広場を荒らしたのだという。


「まあ、その途中で姉さんに見られてしまいましたが」


「じゃあ夏蓮が言っていた『主人公』がいるってやつは……」


「嘘です。本当は、私の名前も書いてあったんです」


「……あいつ」


(ずっと知っていたのか……)


「あまり責めないであげてください。姉さんは、ただ私の我儘を聞いてくれていただけなんです。最初は一心不乱に広場を荒らす私を見てとても驚かれましたが、その後事情を聞き、できる限り尊重してやると言ってくださいました」


「でも看板の情報はさっさとバラしてるよな?」


「あれは、私も驚きました……」


 梅雨里の苦い笑みを見て、ああ、なるほど、と道弥も思い至る。


 要するに『主人公』が誰であるのかは隠しながらも物語の流れを速めることで、梅雨里に圧を与えていたのだろう。時間はあまりないぞと言わんばかりに。


「怖えな、あいつ……」


「……私が逃げ出したときは、とても叱られてしまいました」


 誘拐された振りをして自らの『役割』を放棄し、しばらく路地裏に隠れて物語の動向を窺っていたが、革命団の急襲に姉と道弥が加わっているのを見かけて、慌てて城に向かう。そこで待ち構えていた姉と対面し、こっぴどく怒られてしまったのだとか。


 そこまで語ってから、梅雨里は真面目な顔で向き直る。


「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。道弥さん」


 謝罪の言葉の拍子に青髪がさらりと流れる。


 下げられた頭の、見事に綺麗な旋毛を見つめながら、道弥は肩をすくめた。






 **






消滅はすでに『アバベル』の半分を覆い尽くす勢いだった。


 全てが白紙になっていく。見れば国のシンボルである王城も跡形もなく消えている。天音たちはもう戻っただろうか。王城のあった方角を見据えながら思う。


 気を取り直すように息を吸って、道弥は訊ねた。


「なんで、黙ってたんだ?」


 訊ねざるを得なかった。


 何もせず現状を嘆くだけでは何も変わらない。


 そう言ってくれたのは梅雨里だ。


 いつだって梅雨里の言葉が道弥の原動力となっていた。どんなときでも自分を励まし、ときに叱咤をもらい、及び腰になる自分の背中を梅雨里が押してくれていた。梅雨里がいなければ今でも道弥はただの『国民B』のままだっただろう。


「なんで、今までずっと……」


 彼女の真意が知りたかった。


 不意に梅雨里の長い睫毛が伏せられる。


「……終わらせたくなかったんです。この素敵な世界を」


「素敵? この世界がか?」


「はい」


 高所を吹く風が、梅雨里の青みがかった髪を揺らす。


「私には、いつも優秀な姉がいました。生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた、世界一かっこいい姉さんです。勉強も運動も人付き合いも、なんでも人並み以上にできて、お母様やお父様、周囲の皆はいつも姉さんのことを褒めていました」


 梅雨里は自らの両手を開く。


「対して私には、姉さん程の才はなく……自信の持てるものは何もありませんでした。何に挑戦しても、どんな成果を挙げても、その上にはいつも姉さんがいるんです」


「大袈裟だ。そんなことは」


「あるんです。……道弥さんはご存知ないでしょうけれど、実は姉さんは料理も得意なんですよ。それもきっと私以上に」


 道弥は言葉を失った。




――料理だけは苦手、じゃなかったのか?


――苦手だよ。妹の前ではな。




「気を遣って隠してくれているんです。私にはわかります」


 あの言葉は、つまりそういうことだったのだ。


「私だけの居場所は、どこにもありません」


 澄んだ声音で「……ないんです。どこにも」と続ける。


「お前は……役割が欲しかったのか。自分だけの、役割が」


 梅雨里は頷いて肯定の意を示す。


「ずっと、探していました」


 私だけの居場所。


 私だけの役割。


「この世界が、それを私にくれたんです」


 自由を縛り、権利を剥奪するこの役割が。


 梅雨里にとっては希望足り得た。


「ここは私の理想の世界です。私がずっと求めていた世界だったんです」


「梅雨里……」


「まあそれも、もう終わってしまいますけれど」


 梅雨里は自嘲っぽく笑う。 初めて見る表情だった。


 皮肉な話だ、と道弥は思う。やっと辿り着いた理想の世界で、梅雨里はその理想を壊すための役割を与えられたのだ。


「私のエゴのせいで、沢山の方にご迷惑をかけてしまいました」


 この世界を恨み、抜け出そうとする道弥や天音たちを応援する裏で、梅雨里はずっと良心の呵責に苛まれ、独りで苦しんでいたのだろうか。


「……ごめんな」


「どうして、道弥さんが謝るのですか?」


「わからん。だが……やっぱり謝るべきだろ。ずっとお前のこと、勘違いしてた」


 曲がりなりにも長い間一緒に、ずっと一番近くにいたのに、梅雨里が苦しんでいたなんてまったく気づかなかった。


「道弥さん……」


「でも勘違いしてたのは、お前もそうだろ」


「え?」


 梅雨里が目を丸くさせる。


「お前が責任を感じる必要は一つもないんだ。悪いのはお前じゃないんだから」


 そう。梅雨里は悪くない。


 悪いのは数万人もの人々の命運を一人の少女に背負わせた、あいつだ。


「むしろ胸を張るべきだろ。お前のおかげで救われた奴だっているんだから」


「そんな人は、どこにも……」


「いる。ここに」


 精一杯笑ってみせる。きっと不細工な笑みだろうけれど。


「こんな世界に急に放り出されて、何をすればいいかもわからなくて、不安で眠れなかったとき、お前は俺を励ましてくれた。あれのおかげで、俺はすげえ元気が出たんだ」


「……そんなことは、きっと姉にもできます」


「かもな。でも俺のそばにいてくれたのはお前だよ」


 こんな世界でも腐らずにいられたのは、間違いなく梅雨里のおかげだった。


「少なくとも俺のなかには、お前の居場所ってやつがあるよ。たぶん、きっと夏蓮のなかにもな。だから安心しろよ」


「道弥さん……」


 柔和な目尻に涙の粒が溜まる。


「役割なんかに頼らなくても、とっくにお前は特別だ。……と、思う」


 ぽりぽりと頭を掻きながら言うと、梅雨里の片目から一筋の涙が流れた。


「なんだそれ」


 背後から声が聞こえた。


 振り向くとそこには呆れ顔の夏蓮が立っていた。


「み、見てたのか、お前……」


「当然だ。妹が悪い男に引っかからぬよう監視するのが姉の役目だからな。……で、なんだ今のは。と、思う? って……どんだけ締まらない奴なんだ。君は」


「う、うるせえ」


 こういうのは苦手なのだ。


「……ねえ、さん」


 梅雨里は姉に向き直った。目元を腫らして縋るような眼差しを向ける梅雨里はいつになく幼げに思える。夏蓮は仕方のない妹を笑って見つめると、優しげな手つきで梅雨里の目尻に残った涙を拭ってやっていた。


「みなまで言うな。わかっている」


「でも……」


「反省しているなら、私のためにエビチリを作ってくれ。帰ったらすぐに、な」


「……はい」


 多くを語らずとも理解し合える。彼女たちはやはり姉妹だった。


 世界の消滅はすぐそこまで迫って来ていた。紛い物の大国『アバベル』は、すでに影も形もない。自分たちを中心として小高い丘の周囲を煌めく消滅が狭めていく。想い出のログハウスも今呑み込まれた。


「さて、ようやく終焉の時だな。さようなら若草。そしておつかれさま」


「少しくらい別れを惜しめよ……」


「立つ鳥跡を濁さず。水辺は美しく、後は風に身を任せるのみ」


「意味不明だ」


 最後まで相変わらずすぎる。


「道弥さん」


 まばゆい消滅を背景に、梅雨里が歩み寄ってくる。


「私がこの世界から離れたくなかった理由、実はもう一つあるんです。なんだかわかりますか?」


「や、さっぱりだが……」


 梅雨里は「ふふふ」とおかしそうに笑って、


「では、答えは今度会ったときまでお預けです」


「なんだそれ。会えるかどうかもわからないのに……」


「道弥さんが探しにきてください。そうですね。ではもしあちらの世界でまた会えたら、そのときは、私の料理をご馳走します」


「……そりゃ、いいな」


 わかったよ、と道弥は頷く。


「はい。だから、絶対にまた――」


 一際大きな風が吹き、青みがかった髪がたなびく。


 胸に飛び込もうと駆け寄ってくる梅雨里の姿が近づく。躊躇を残しながらもぎこちない動きで道弥は両手を広げる。涙の痕跡すら眩しい梅雨里の顔が、そのまま体温すら感じ取れる程の距離まで近づいてきて、


 そして——世界は完全に消滅した。






 **






 地響きのごとき重音が真っ白な世界に轟く。


 それは巨大な本が閉じられた音だった。


 下界の者に紡がせた物語が今、終わりを告げたのだった。


 青白いエネルギーの集合体——『ルーラー』は、物語の顛末を見届けるや、辺り一面に青白いエネルギー波を放った。


『——悪くなかった』


 厳かな声が空間を揺らす。


 予想外なイレギュラーが起こったため一時は先行きを案じたものだったが……なかなかどうして、終わってみれば期待以上の展開が待っていた。これはこれで意外な流れだったが、だからこそ満足の行く内容にはなっただろう。


 まだ見ぬ物語をこの目で見る。


 当初の目的はひとまず達成された。


『しかし、足りぬ』


 青白い光が再び爆ぜる。


 超越者はなおも満足していなかった。


 物語は一つだけではない。


 まだ産声すらあげていない至上の作品が、この先に待っているはずだ。


『——紡ごう。アバベルの世界を』


 再び巨大な本が開かれる。


 新たな物語が、人知れず幕を開けようとしていた。



 

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今からこの物語を設定を考えます! 伊草 @IguSa_992B

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