第20話 オワカレ



 CONGRATULATIONS!!





ふざけた文字が青空に浮かんでいた。


 まるで物語の結末を祝福するかのように、『アバベル』の空にキラキラと光の粒を降り注がせている。カラフルな飛行機雲のような文字だ。超越者の演出か。センスもくそもあったものではない。


 王城からその文字を睨みつけていた道弥の耳に、地を揺らすような大勢の歓声が届く。城内だけではない。仮初めの国に住まう全ての者たちが、ようやく訪れた解放の時に、待ちに待った自由の訪れに、一斉に喝采をあげている。


 物語は終わった。


 同時に消滅も近づいてきている。


 遠く遠く、国を囲う塀の向こう、じりじりと空間が霧散し、白紙の世界へ戻ろうとしている光景が道弥には見えていた。自分もそのうちアレに呑み込まれ、きっと元の世界に戻るのだろう。


「……道弥さん!」


「……ッ」


 振り返る。ずっと聞きたかった声だった。


 夏蓮に付き添われながら歩み寄ってくる――青髪の少女の姿が見えた。


「梅雨里……」


 駆け寄ってくる少女の名を、呆然と口にする。


「お怪我はありませんかっ? 道弥さん!」


「え、ああ、うん……」


 何故こちらが心配されているのか。


 困惑する道弥を置いて、梅雨里は道弥の顔や腕回りをペタペタと触り、無傷であることを確認していく。背後にも回って同じように触診する。しかしそれでも安心できないのか落ち着かない様子で「……服が邪魔で十分に確認できません」と呟いた。


「そのへんにしておけ。梅雨里」


「姉さん。でも……」


「そいつは今回の功労者だ。少し休ませてやったほうがいい」


「そ、そうですね。そうでした……」


 夏蓮の助言で興奮が鎮火したのか、梅雨里が静かに息を吐く。


 衆人観衆のなかで上裸に剝かれることは回避できたらしい。助かった。道弥は夏蓮に目配せで感謝を伝える。


「とにかく無事でなによりです。道弥さん」


「……それは、こっちの台詞だ」


 感動の再会の割には、なんとも締まらない会話だ。


「本当に、良かった……」


 だんだんと瞳を潤ませる梅雨里に、道弥は気恥ずかしさから顔を逸らす。再会した際のシミュレーションはしておくべきだったかもしれない。


「梅雨里ちゃん!」


「あ、天音さん! ご無事でよかったです」


「こっちこそ! ずっと会えなかったから心配したよ‼」


 再会の感動を持て余している間に、梅雨里は天音の声に気づき、彼女のもとへそそくさと行ってしまった。


「……はぁ」


「なんだ。溜め息か? 締まらない男だな」


 呆れ顔の夏蓮に言われ、道弥は頭を掻く。


「……何も言うな。自覚はあるから」


「なさけない。つくづく『主人公』からは程遠い奴だな、君は」


 何も言うなと言っているのに。


「……『主人公』、か」


 改めて自らの頭上を見上げる。まだ『主人公』の文字はそこに浮かんでいた。


「なんで急に変わったんだ、これ……」


「さてな。この世界のシステムを創った者以外に、それを説明できる者などいないだろうさ。まさしく神のみぞ知るところ、というやつだな」


「んな適当な……」


 夏蓮は「……まあ、推測だが」と前置きをしてから、


「きっと、この世界に連れてこられた皆(みな)に、等しく可能性はあったのではないかと思う。もしくは素質と呼ぶべきかな。『主人公』の権利を手にする確率は、皆平等にあった」


「最初から、『主人公』なんて決められていなかった?」


「そして君が選ばれた。のかもしれない」


 いまいち釈然としない解答だった。


 道弥は眉根を寄せる。夏蓮が笑った。


「まあそんな顔をするなよ。それよりほら、見てみろ」


 促され、道弥は城内の光景を今一度眺める。


 手を繋ぎ、涙ながらに再会の感動を分かち合っている梅雨里と天音の二人。黒の外套を一斉に脱ぎ去って勝利の雄叫びをあげる団員たち。その中心で怒号を上げながら拳を突き上げている冴木と、蕩けたような顔で彼を見つめている店長こと難波晶子。

約半年間、苦楽を共にした仲間たちが喜びを分かち合う光景が、そこにはあった。


「ハッピーエンドだ」


「……」


 道弥は呆然とその景色を眺める。


「しかしまあ、再会を共有するには些か騒がしくもあるな」


 夏蓮は呟くと、妹に向けて声を張った。


「梅雨里! 一旦我が家に戻るぞ!」


「はい!」






 **






 夏蓮の言葉が差す我が家とは当然ながら、道弥と梅雨里の家のことだった。


 冴木と店長に別れを告げて王城を後にする。


 物語からの解放に街中は歓喜の渦だった。城の周りでは兵隊役の者たちが騒ぎ、大通りでは国民役だった者たちが所々で宴会を開いていた。『役割』の拘束力は失われたのか、皆が思い思いに駆け回りながら自由に喜びを露わにしている。


「私は、ここでいいや」


 立ち止まったのは天音だった。


 中央広場の、噴水の前だった。


「……天音さん?」


 先程まで別れを惜しみながら天音と思い出話に花を咲かせていた梅雨里は、驚いたように目を丸くする。


「城に戻るよ。この世界で一番私を支えてくれたのは、やっぱり団員の皆だから」


「……そうか」


 最後は団員たちと一緒にいたい。天音の気持ちは理解できた。


「そう、ですか……では、これで最後なんですね……」


 梅雨里は別れを惜しんで俯きがちになる。


「そんな顔しないで。もう会えないって決まったわけじゃないんだから」


「そうだぞ。こんな腹黒女に涙など見せるな」


「……私、夏蓮ちゃんに何かしたかな?」


 夏蓮との確執は相変わらずなようだった。


「天音さん……私……」


「いいから、ほら」


 天音が両手を伸ばす。梅雨里はその胸に飛び込んだ。


「ああ、私の可愛い妹がぁ……」


「我慢しろよ」


 梅雨里は天音の胸に抱き着きながら肩を震わせる。


「もう少し時間があったら、もっと仲良くなれたのにね」


「私……私……」


「梅雨里ちゃん」


 梅雨里の背中を優しく撫でながら、天音が励ますように何事か呟く。


 しばらくすると梅雨里は顔を上げ、天音の顔を見つめた。表情は窺えない。やがて感極まってしまったのか、唐突に身体を離すと背中を向けて駆け出す。両手で口元を押さえながら涙を耐える梅雨里の姿が、通りの向こうへ走り去っていく。


「おい、梅雨里!」


 夏蓮も後を追いかけていった。


「……なにやってんだ」


「あはは……」


 天音は苦笑いを浮かべると、今度は道弥に向き直る。


「道草くんも、ありがとうね。色々と」


「や、まあ……」


 真正面から感謝を伝えられ、道弥は気恥ずかしさから頭を掻く。


「道草くんがいなかったら、私たちは今頃どうなってたか」


「さあな……案外、もっと早く解決してたんじゃないか?」


「うわあ、素直じゃないなあ」


「まあ、所詮は屁理屈野郎だからな。俺は」


「え、もしかして根に持ってたの。あれ」


 根に持ってなどいない。


 と言えば嘘になる。


「……やっぱり、道草くんは道草くんだね」


「それ……」


「ん?」


「道草ってやつ。なんで呼び方戻ってんだよ。さっきはちゃんと呼んでくれてだろ」


 王城では「道弥くん」と本名を呼んでくれていた。どこかのタイミングで思い出したのだろう。それはいいが何故今それが戻ってしまっているのか。


「あー、うん。道草くんの名前、ずっと間違えてたんだよね。私。ごめんね」


「謝る必要はない、が……」


「でもずっと道草くんって呼んでたから、もうそっちのほうがしっくり来ちゃってさ」


「なんだよ、それ」


「特別な呼び方って感じでいいでしょ?」


「ふつーに嫌だから。道草とか」


「もー、頑固だなあ。せっかく惚れ直したところなのに」


「悪かったな……って、え? 惚れ?」


「あ、ごめんごめん。噛んじゃった」


 えへへ、と笑ってみせる天音に、道弥は二の句が継げなくなる。


「じゃあ――またどこかでね。道草くん」


 と言って天音が踵を返す。


 外套から解放された茶髪のセミロングが躍るように翻る。


 道弥を置いて、少女の姿が遠ざかっていく。


 ——『革命団団長』。


 その文字は、なおも高々と彼女の頭上で煌めいていた。



 

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