第19話 システム


「君は、たしか……」


 首を捻りながら道弥の顔をじっと凝視する。それから視線を道弥の頭上へやると「あ、そうそう」と納得顔になった。


「『ヤドカリ帽子』の店員さん、ですね。一体何故ここに?」


 反射的に周囲を見回すが、冴木たちの姿はどこにもなかった。この庭園にいるのは万城たちと自分だけ。道弥はごくりと息を呑んだ。


「道草くん!」


 天音は身じろぎしかできないようだ。後ろ手に拘束する二人の兵も、じっと道弥の出方を窺っている。


「ああ、なるほど。団長さんの知り合いでしたか。しかしどうも君は『革命団』の一員ではないようですが……」


「さ、佐藤を離してください。万城さん」


「……ふむ」


 万城は値踏みするように道弥の顔をじっと凝視する。


「……あ、あんた。『国王』じゃなかったのかよ。なのに、なんでこんなこと」


「仕方のないことです。僕も本意ではありませんが、この子には囚われの姫の役割を果たしてもらわないといけませんから」


「本当に……万城さんが誘拐事件を?」


 問うと、万城はまた品定めするような眼差しを道弥へ向けて、


「……いいでしょう。君は私に有益な情報をくれましたから。少し役不足ではありますが、特別に教えてあげます」


 穏やかな表情で、笑った。


「ええ。私が首謀者。黒幕というやつですね」


 平常と何も変わらない態度が、とても不気味で、気持ち悪かった。


「な、なんで……」


 震える拳を固く握りしめる。


「その『役割』は、俺たちの権利を剥奪する首輪だって、忌むべき鎖だって、あんたが言ったんだろ。なのに……あんたが自分の権力に毒されてどうするんだよ!」


 頭上の『国王』の文字を睨みながら叫ぶ。が、万城は嘆息すると「……君は、何か勘違いをしているようですね」と肩をすくめた。


「私は権力に毒されてなどいませんよ。その証拠に、攫った方々にはお詫びとしてこの城で何不自由なく過ごしていただきました」


「だ、だったら、なんで……」


「若草くん。あなたの『役割』はなんですか?」


 脈絡のない問いに道弥は一瞬押し黙った。


「『国民B』、ですけど……」


「はい。見るからに平々凡々とした『役割』です。まさに『脇役』に相応しい」


「何が言いたいんですか」


「まあまあ、そう怖い顔をしないでください」


 万城は「同じなんですよ。私の『役割』も」と続ける。


「『国王』なんて大層な名前ではありますが、所詮どこまでいっても『脇役』は『脇役』です。物語を盛り上げるための駒でしかありません」


「……」


「でも僕は、本当は『主人公』になりたかったんです」


 ぽつりとこぼすように言った。


「物語の『主人公』。それは幼い頃から僕の心を焦がしてやまない存在でした。見ての通り僕は昔から冴えない男でして、何をするにも要領が悪く、友達も碌にできないような有り様でした。いつも隅っこのほうで本を読んでいるような、僕はどこにでもいる暗い男だったんです。それに比べて……テレビや本の向こうで活躍する彼らの、なんとまばゆいことか。僕もこんな『主人公』になりたい。いつしか憧れは僕を突き動かし、様々なことに励み、挑戦する勇気をくれました」


 万城は静かに語る。


 物語に勇気を貰う。それは道弥にも覚えのある話だった。


 道弥もまた創作に魅入られ、物語に胸を焦がした者の一人だったからだ。


「……この世界に来た当初、国民の皆さんを安心させられるような王になろうと努めていたのも、思えばその一貫だったのかもしれません」


 国民に見せていた柔らかな笑顔も偽物ではなかったのか。


 しかし冴木は暗い笑みを浮かべる。


「ですが、ある日気づいてしまったんです。ここが物語の世界のなかなら、僕の『役割』は『主人公』ではないのか、と。どれだけ努力しようが、この『アバベル』の世界では『主人公』になることは絶対にできないのだと。……どうして気づかなかったのでしょう。私の『役割』は、ずっとここに書いてあるのに」


 この世界の『国王』。それが万城に割り当てられた『役割』。


「落胆しました。失望しました。僕はどこにいても、結局『主人公』になることはできないのか……でも、そんなとき気が付いたんですよ。——そうだ。『主人公』になることはできなくても、物語の中心に立つことはできるじゃないか!」


 万城は芝居がかった仕草で両腕を大きく広げてみせる。


(ああ、そうか……)


 要するに、この人は。


「僕はね、悪役になることにしたんです」


 そういう、ことか。


 ようやく万城の真意がわかり、道弥は静かに息を吐いた。


 つまるところ、この人はただ舞台に立ちたかったのだ。舞台の上に立って、ただスポットライトを浴びたかった。最初からずっと、それだけだったのだ。


「思えば『国王』なんて設定はおあつらえ向きの『役割』でした。この権力を余すことなく利用する。それが神の御意志だったのでしょう」


「それで……誘拐事件を起こしたんですか」


「ええ。この世界の大いなる悪に君臨するため、相応しい流れをつくったまでです。まあ肝心の『主人公』は、未だに姿を現してくれませんがね」


 退屈そうに万城が嘆息する。


 その拍子に道弥はあることに気が付き、万城の背後を一瞬睨んだ。天音は困惑した表情で首を傾げている。頭上の『革命団団長』の文字が煌めく。


「さて、話は以上です。君も十分理解してくれたことでしょうし、そろそろ帰ってはどうですか? ここは君の出番ではありません」


「……俺の、出番じゃない……」


「ええ。来たるクライマックスのために場を整えなくてはなりません。理解(わか)りますか? 君の存在は不必要なんですよ。店員さん」


 道弥は自らの頭上を見上げる。


 浮かぶのは――『国民B』。相変わらず平々凡々とした頼りない『役割』だ。


 当然スポットライトなど当たらない。舞台の上なんて場違いの、物語のなかの都合のいい駒でしかないのだろう。自分の『役割』は。


 しかし、それでも、


「……店員さん、じゃない」


「はい? なんですか?」


「お、俺の名前は……若草道弥です。店員さん、じゃない」


「はあ……」


 何を言っているのかといった表情で万城は首を傾げる。


「佐藤だってそうだ。団長なんかじゃなくて、ちゃんと名前がある。梅雨里だって夏蓮だって冴木だって、万城さん、あんただって……!」


「何が言いたいんです?」


「この世界であんたは、一度でも人の名前をちゃんと呼んだことがあるのか?」


 冷ややかな眼差しで万城は黙り込む。


「俺たちには……意志があるんだ。あんたはそれを全然わかっていない」


 これは、受け売りだが。


「『国民B』だろうと『革命団』だろうと『シスター』だろうと、俺たちには意志があるんだ。物語だとか、『役割』だとか、そんなものにこだわっているあんたとは違う!」


「綺麗事ですね。耳障りが良いだけで何の役にも立たない」


「綺麗に生きて何が悪い。あんたのママゴトよりは百倍マシだ!」


 ぴくり、と万城の眉が動く。余裕の笑みに綻びが生まれる。


「道弥くん……」


 天音が唇を震わせて名前を呼ぶ。


「君の気持ちは痛いほど理解できますが」


 万城は取り繕うようにまた笑みを浮かべて、


「残酷なことに現実は変わりません。無理なんです。君には。『主人公』でもない『脇役』の君には、僕を止められない。あなたたち『脇役』には、スポットライトは当たらないんです」


「当たらなくていい。決められた舞台なんか、こっちから願い下げだ」


「はぁ……ではあなたは何をしにここまで来たんですか?」


「そんなの、決まってる」


 勇気を出せ。


 道弥は深く息を吸い込み、出せるかぎりの声で叫んだ。


「作家気取りの馬鹿野郎が作ったくだらねえ筋書きを、ぶっ壊しに来たんだよ‼」


 大音声が庭園に響き渡る。


「なっ‼」


 初めて、万城が驚愕の表情を浮かべた。


 ——瞬間、


 黒い外套をまとった者たちが、万城の背後から突如姿を現した。


「おらぁぁああ‼」


 噴水場を挟んだ向こうから密かに近づいていた冴木たちが、生じた間隙を狙って一斉に飛びかかる。平静を欠いていた万城はもちろん、天音を拘束していた私兵たちも咄嗟に動くことはできなかった。


「団長に触んじゃねぇ‼」


 冴木の剛腕によって私兵の一人が即座に昏倒される。残りの私兵も革命団によって取り押さえられ、直ちに地面に組み伏せられた。


「ちっ」


万城は舌を打つや、すぐに逃走を図った。が、踏み出したところに足を引っかけられて倒れ込む。「くぁ……!」アスファルトに強く身体を打ち付けた。


「くっ……‼」


 腹部を押さえながら顔を歪ませる。


 道弥は近づきながら「……万城さん」と複雑な表情で彼を見つめた。


「道弥くん!」


 万城の足を引っかけた犯人である天音は立ち上がると、興奮したように目元を赤らめながら駆け寄ってくる。


「道弥くん! すごいよ! 道弥くん‼」


「な、なんだ。そんな騒いで……」


「だってほら! それ!」


「それ、って……」


 天音の視線を辿って道弥は自らの頭上を見上げる。そこには忌々しい『役割』がいつものように浮かんでいる。


 だが、よく見ると、その文字はいつもとは全く違っていた。


 夢か幻か。


 もしくは神様の悪ふざけか。


 そこに浮かぶ役割は――『主人公』。


 全くもって呆れた文字がそこには浮かんでいた。


「馬鹿なッ‼」


 なんとか膝で立ちながら、万城は道弥の頭上を見上げる。


「ありえない‼ 何かの間違いだ‼」


 信じられない、信じたくないと言わんばかりに喚き散らす。


「おかしいだろ‼ なんで君なんだ‼ 僕じゃなくて、なんで君が‼」


「万城さん……」


「嫌だ‼ こんなのは認めない‼ こんな終わり方は、僕は絶対に認めない‼」


 道弥が知っている万城の姿はもうどこにもいない。そこにはただ、子供のように駄々をこねる男の姿があるだけだった。


「おめぇがやってたのは、ただの茶番だったんだよ」


「違う‼ そんなわけがない‼」


 冴木の言葉に、万城は首を横に振る。


 道弥はそれを複雑な表情で見下ろした。やがて心を落ち着けるように瞠目したのち「……終わりにしよう」と言って顔を上げた。


「ケジメをつけさせてもらいます。夏蓮(あいつ)にも、頼まれてるんで」


 言って、腕を振り上げる。


「や、やめ」


「悪役なら、避けんなよ」


 呆然とする万城の顔を目がけて、道弥は思い切り拳を振り下ろす。


「ぁ――」


 城内に男の悲鳴が響き渡った。



 

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