第17話 ハタアゲ


 嵐の前の静けさと言わんばかりに、無音の翌朝だった。


 玄関は嫌に肌寒い。


 冷えた床の感触を足裏に感じながら道弥が壁に寄りかかっていると、奥からすっきりした顔つきの夏蓮が現れた。


「ん? なんだ? 見送りでもしてくれるのか?」


 茶化すように言う夏蓮を、道弥は「……ふざけんな」と睨む。


 夏蓮は溜め息を吐いた。


「はぁ……君もなかなかしつこいな」


「現実を見ろ。今行っても捕まるだけだ」


「さあ、それはわからない。皆で協力すれば、案外上手くいってしまうかもしれない」


「今のお前は、冷静じゃない」


「そう見えるか?」


 朝の空気に染み込むような、夏蓮は澄んだ表情を浮かべていた。


「本当に、そう見えるか?」


 晴やかな眼差しに雑念は全くと言っていい程見受けられない。


 それが道弥には信じられなかった。


「なんで……そんな顔ができる。お前もわかってないわけじゃないだろ。『脇役』が何をしたって、物語に影響は与えられないってことくらい……なのに……」


「君は、そればっかりだな」


「え?」


 眉根を寄せる。


「『脇役』だとか『主人公』だとか。君はずっと、そればっかりだ」


「あ、当たり前だろ。それがこの世界の法則だ」


「法則、ね。確かに理屈はそうかもしれない」


 夏蓮は瞠目しながら「……でも、理屈だけだ」と言う。


「君は忘れているよ。一番大事なことを」


「一番大事なこと……?」


 夏蓮は「ああ」と頷いてから目を開けた。


「この世界が物語のなかであっても、私たちは今、ここで生きているんだ。誰に命令されたわけでもない。誰に指図を受けたわけでもない。この舞台の上に、自分たちの意志だけで立ち、自分たちの意志で息をしている」


 誠実な光を称えた瞳が、こちらを真っすぐに捉えていた。


「君はどうだ? ちゃんと自分の意志でそこに立っているか? 『主人公』の存在を言い訳にして、『脇役』に甘んじようとはしていないか?」


「俺は……」


「君の気持ちは、一体どこにある?」


「……」


 道弥は探るように手元を見つめた。


 自分の、若草道弥の、本心は。


 今一度、全ての理屈を取っ払い、頭を空っぽにしてみる。


 物語も。『主人公』も脇役も。『役割』も。ややこしい理屈は全部かなぐり捨てて、ただ奥の方に残ったものを。一つだけ確かに残ったものを、手に取ってみる。




 ――大丈夫です。道弥さんなら。



 

 脳裏に浮かんだのは、この世界で最も大切にしていた少女の顔だった。


「一緒に行こう。若草」


 顔を上げると、夏蓮がいつもの得意げな顔でこちらを見つめている。


「私は私のものだということを、証明しに行こう」


 そっと手が伸ばされる。


「……」


 道弥はその小さな手を見つめながら、唇を引き結んだ。






 **






『——ふむ』


 青白いエネルギーの集合体が、白の世界で浮遊している。


 超越者は開かれた巨大な本に向き合いながら、厳かな声を響かせる。


『面白い……』


 大きなイレギュラーこそあったが、物語は滞りなく進んでいた。当初の予想とは全く違い、なかなか意外な形ではあるものの、だからこそ期待通りと言える。予想通りな展開ほど退屈なものはない。超越者は満足していた。


『アレは正解だったようだな……』


 テコ入れの効果は覿面だった。少々強引ではあったが、おかげで思わぬ方向に物語が進んでくれている。重畳だ。


 巨大な本には急速に文字が、物語が刻まれ、今もなおページが捲られ続けている。いよいよ終盤だ。どんな結末を見せてくれるのか。楽しみでならない。


 超越者は、ほくそ笑むように光を弾けさせた。






 **






漠然と、ではあるが。


 何か巨大な流れのなかに呑み込まれているような感覚があった。


 もしくは逆らっているのか。まるで激しい波に攫われるかのごとく、両脚は鈍く重たくなっていく。やはり自分は抗っているのかもしれない。創造主の意志に。物語の奔流に。


 本筋から逸れようとする『脇役』たちの存在を、やはり世界は許さないのか。


「っ……」


 道弥は頭を振った。


 違う。今はそんなことを考えている場合ではない。


「なんだ? やっぱり不安になってきたか?」


「……気にしないでくれ」


 重い両脚を持ち上げて道弥は走る。


 前方には先導する夏蓮の小さな背中。


「なぁ……、本当にこっちであってるのか?」


 夏蓮は迷いのない足取りで細い裏路地を駆けていた。


「あってるよ。なんせ集合場所は私が教えたんだからな」


「いつのまにそんなこと……」


「君がみっともなく茫然自失となっている間に、ね」


 いちいち腹が立つ奴だ。


 だが裏を返せばこの女は妹が被害に遭った直後から動いていたことになる。即断即決とは言うが、些か冷静すぎやしないだろうか。


「着いたぞ」


 暗い路地を抜けると途端に空間が開けた。


 教会前に出来た、そこは空き地だった。


 そして空き地にはぞろぞろと黒い外套を纏った者たちが集まって来ている。


「来たか、お前ら!」


 集団の中心で手を挙げたのは冴木だった。いつも通り白い歯を覗かせた気持ちのいい笑みを浮かべながら近寄ってくる。


「待たせたな」


 夏蓮が言った。


「かなり人数が集まっているようだな」


「あたりめぇよ。国中の団員を招集したからな。やる気も十分だ」


「それは重畳」


 夏蓮が満足げに頷く。


 なんだろうか。この二人。確か面識は一度だけだったはずだが、とても打ち解け合っている。というか距離が近い。まるで歴戦の戦士が拳を組み合わせているような光景が幻視された。相性がいいのか。


 呆れた視線を夏蓮に送っていた道弥だったが、ふと、冴木と目が合った。冴木は夏蓮の背後に立つ道弥を凝視しながら、不意にニヤリと口角を上げる。


「無謀、だったんじゃねえのか?」


「……だから、来たんだ」


「ガハハッ!」


 痛快そうに笑って、


「百二十点だ。坊主!」


 煩いぐらいの声で言った。


 何故そんなに嬉しそうなのか。道弥には理解できなかった。


「ん? なんだ、若草じゃねーかっ」


 聞き覚えのある声に振り向けば、黒い集団のなかから何者かが黒いフードを脱ぎながら出てくるところだった。露わになった長い髪が翻る。道弥は目を見開く。


「て、店長……」


「よう、奇遇だな」


 レストラン『ヤドカリ帽子』の店長、難波晶子だった。


「なんでここに……って、まさか、店長も団員だったんですか?」


「そういうこったな」


 店長は獰猛な笑みを浮かべる。


「奴らはうちの店を荒らした挙句、看板娘を攫いやがったんだ。この落とし前はしっかりつけてもらわなきゃいけねー」


「は、はぁ」


「てめーもそうだろ? 旦那なんだからよ」


「……」


「おめえはとろくて、いつも失敗ばっかで、まったくみっともねー奴だが、逃げはしねーと思ってたぞ」


 どんな顔をすればいいか、道弥にはわからない。


「後悔してる暇はねー。頼んだぞ。若草」


 道弥の肩を叩くと店長は踵を返して再び集団のなかに消えた。


 しばらくして全員が集まったらしい。参謀役として夏蓮が紹介され、何故かとばっちりで道弥も総勢百二十人もの団員たちの前で拙い自己紹介をさせられた。


「作戦を発表する。つっても、策なんて大層なもんじゃねえけどな」


 夏蓮が考案した策を、冴木が拡声器いらずの大声で説明する。


 それを聞いた道弥は唖然と呟いた。


「ぜ、全員で正面突破って……」


「ああ、シンプルでいいだろ」


 夏蓮はやはり得意げだった。


「正気か……? 確かにこっちは結構集まってるけど、あっちの人員はきっと桁違いだぞ?」


「王様も馬鹿ではない。以前、『革命団』に侵入されていることを加味して、きっと裏の警戒を厳しくしているはずだ。相当な人員が割かれていると見て間違いない」


「だからって正面からゴリ押すってのは……」


「忘れるな。そもそも王様も含め、私たちは『役割』を無視すればただの一般人だ。突然の出来事には動揺するし、完璧な統率など望むべくもない。作戦を練りすぎてそれが仇になる危険性のほうが高いだろう」


「ってわけだ」


 元々話を聞かされていた冴木は、再び整列する団員たちへ声を張りあげる。


「先手必勝だお前らぁ‼ 難しいこたあ考えなくていい‼ とにかく猪突猛進で団長を救い出す‼ いいな⁉」


「「「「「「オオオオオゥッ‼」」」」」」


 野太い怒号が響き渡る。国中に響く勢いだ。


 この集団は奇襲の意味を理解しているのだろうか。やる気があるのはいいが、もう少し声を抑えてほしい。お願いだから。


 道弥は早速不安を覚えていた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る