第16話 ミチカケ
「また不景気な顔をしているな」
酒場『ミケネコ』を発ち、裏路地から出てふらふらと『ヤドカリ帽子』までの道のりを歩いていると、修道服に身を包んだ夏蓮が立っていた。
冴木のもとへ行っていたことは伝わっているらしい。何があったのか聞かせろと言われて道弥は、自分でも驚くほど素直に全ての事情を話す。もしかしたら誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「なるほど。やはり首謀者は王様だったか」
「やはりって……ま、まさか、気づいてたのか?」
「ふっ、あたりまえだ。ヤツは見るからに胡散臭い顔立ちだったからな」
「へ、偏見じゃねえか」
ぐっと疲れが肩にのしかかる。
「明日、あいつらは城へ急襲するつもりだ。俺は止めたが、もう決まったことらしい」
「それはまた、無謀なことだな」
夏蓮の感想も概ね道弥と同じものらしい。
道弥は無意識に安堵の息を吐く。
「もしこれが物語の本筋ってやつなら、解決できるのは『主人公』だけだ。それがまだどこにいるかもわかってないのに、『脇役』だけで騒いでも仕方ないだろ……」
「早急に『主人公』を探し出すべきだろうな。そこに目が行っていない彼らは少し頭に血が上っているようだ」
「だな……」
できる限り早く『主人公』にコンタクトを取る必要がある。
解決の目途は立っていないが、とにかく、どうにかして。
「しかし……君はそれでいいのか? あの顔だけはいい天然腹黒女は君の知り合いで、今もなお囚われの身になっているのだろう?」
「そ、それは……」
気にならないわけがない。だが。
「俺たちには、どうすることもできないんだ。気にしたって……意味ないだろ」
「そうか」
淡泊な相槌を打つ夏蓮は、どこか退屈そうな表情だ。
「ていうか……なんでお前は一緒に歩いてるんだよ?」
「目的地が一緒だからだろうな。きっと」
「……お祈りはいいのかよ」
「休憩時間さ。ああ見えて何かと消耗するんだ。今のうちに早めの昼餉と洒落こもうってことだよ」
「近場で食べればいいだろ……なんでわざわざこっちに」
「君もわかりきったことを訊くものだね。妹の愛情が入った料理を食してこそ姉は栄養を摂取できる。知らないのか?」
「知るわけないだろ」
軽口を叩きながら一定の距離を空けて歩いていく。
すると突然、前方から顔を青くさせた男がなかなかの勢いで走ってくる。道弥と夏蓮は反射的に男を避けた。驚いて思わず男の背中を目で追う。
道端で妙齢の女性たちがひそひそと話しているのが目についた。なんだろう。違和感を覚えて周りを見回すと同じような光景がいくつも通りに生まれていた。静かなざわめきが鼓膜に追いついてくる。何かおかしい。
「妙だな」
夏蓮が呟く。
その呟きに頷き返すのも忘れて道弥は歩みを再開する。まるで誘われているかのような感覚。自分の足が自分のものではない錯覚にも陥る。
それは確かな「予感」だった。
歩みを進めるにつれ、通りの騒がしさは増していく。
やがて目的地の『ヤドカリ帽子』を目前に捉えた途端、どちらからともなく二人は足を止めることとなった。
店先にぞろぞろ集まっている人の群れ。繁茂期なのか。しかし整然と列を成すのではなく、ただ雑然と、もしくは恐々と人だかりは皆一様に店内を覗きこんでいる。彼らが客である可能性は限りなく低いだろう。
現実逃避に意味などない。
ありのままの光景を表すなら彼らは野次馬だった。ちょうど天音が捕まった際の周囲と同じく、もしくは先日荒らされた広場に群がっていた観衆と趣は等しく。それは事件現場にすべからく存在する好奇心の群れ。 であれば逆算ができる。
今回の現場は、要するに、
「おっ、おい……!」
一目散に駆け出したのは夏蓮だった。道弥も我に返って後を追う。人だかりを掻き分け、なんとか先頭にたたらを踏みながら飛び出ると、呆然と立ち尽くす夏蓮の背中が。
嫌な胸騒ぎがする。
そして店内を覗き、道弥は息を呑んだ。
「っ……‼」
蹴り倒された幾つかの椅子、据え置きの調味料はテーブル上に散乱し、厨房の奥では鍋がキッチンにぶちまけられているのが見えた。強盗でも入ったのか。しかしそれならばいっそう激しく荒らされているはずだろう。この荒れ様はそう、どちらかと言えば誰かが何者かに襲われ、抵抗し続けていたかのような…………。
「若草か」
厨房から現れたのは店長だった。
「遅かったな」
「何が、あったんですか、店長」
「知らねえよ。あたしが来たときにはもうこの有り様だった」
店長は渋面をつくりながら店内を見回す。
「あの、つ、梅雨里は……」
声が震えた。店長は瞼を細めて、
「やられた」
と一言だけ口にする。
「え? や、やられたって……」
「店中探しても、どこにもいねえんだよ。ってことはつまり」
そういうことだろ。
店長は不機嫌に鼻を鳴らしながらそう続けた。
愕然と立ち尽くす道弥の目の前に、店長は懐から取り出した何かを突き付ける。
受け取り、広げてみる。
それは三角巾だった。染み一つない、真っ白な。
「裏口に落ちてやがった。たぶんあいつのだ」
血の気が引く。背筋が凍り、呼吸の音が遠ざかる。
「…………」
夏蓮はまるで無機質な眼差しで荒れた床を見下ろしていた。
**
その後聞いた話に寄ると、道弥が戻る数十分前に、路地に消えていく黒い外套の人物が目撃されていたらしい。去り際を偶然目撃した形のため信憑性は曖昧であるが、おそらく『ヤドカリ帽子』の裏から出てきたと見て間違いなかった。
今朝は店長が遅れてきて店には梅雨里しかいなかった。開店時間からも程遠く、連れ攫う余裕は十分あったのだろう。その隙の突き方は、まるで常に早く出勤している梅雨里を最初から狙っていたかのようだった。
「なんで俺は……」
時刻は夕方。
店長に帰宅を命じられた道弥は、それからずっと家のソファーで垂れていた。
「君が責任を感じる必要はない」
夏蓮が言う。抑揚のない声はキッチンから聞こえた。
「俺のせいだ。俺が冴木のところに行ってなければ、今頃……」
「あらかじめそんなことを懸念しておけというのも酷な話だ。君は神様じゃない」
「けど……それでも、一人にすべきじゃなかった」
「仮定の話をいくらしたところで、あの子は戻ってこない」
道弥は拳を握りしめる。
「くそ……くそ」
唇を噛み締める。薄皮が切れたか、血の味が口内に滲んだ。
「やれやれ。そんなに自分を責めるのが楽しいのか?」
夏蓮が眼前に立っていた。頭には何故か梅雨里の三角巾。
「私は一応『シスター』役ではあるが、君の懺悔を聞いてやるつもりはない。無駄な事に精神を擦り減らすのは馬鹿のやることだ」
「お前は、何も思わないのか? 妹が、攫われたんだぞ」
平坦な口調からは呑気さすら感じられて、思わず夏蓮を睨む。
「やれやれ、今度は八つ当たりか。つくづくどうしようもない男だな」
「っ……‼」
「君にかまってやる暇はない。今夜はさっさと寝なくちゃいけないんだ」
「呑気に寝るってのか? こんなときに」
「こんなときだからだよ」
飄々とした態度の夏蓮が腕を組む。
円らな量の瞳は凪いだ湖面のよう。波紋の一つも生じず、ひたすら澄んだ眼差しでこちらを見返す。不気味なほどいつも通りの表情から、赤い唇が動く。
「私も明日、参加する」
「な、何に……?」
「陥落作戦にだ。王の根城のな」
「なっ……!」
道弥は立ち上がった。
「無謀だってお前も言ってただろ!」
「事情が変わったんだ。仕方がない」
「お、俺たちが行ったところで勝算はない!」
「それは、私たちが『脇役』だからか?」
「そうだ」
脇役だけで立ち向かっても意味などはない。当然の理屈だ。
「なんとかして『主人公』を探し出して、物語を終わりへと導いてもらう。それがこの世界のルールに則った正解だろ⁉」
「かもしれない。だが、そんな余裕はない」
もう、待っていられないんだ。と続けた。
夏蓮の意志は固かった。道弥は息を呑む。
「い、妹のために、そこまでするのか? 無意味だってわかってんのに……」」
「それは勘違いだ。私はただ、姉としてケジメを付けに行くだけだ」
道弥は押し黙るしかない。
「さて……そろそろだろう」
キッチンへ夏蓮が戻っていく。何か作業をしているのか、道弥が不審に思ったとき、静かに「完成だ」という声が聞こえた。
「さっきから、何してるんだ。お前」
「ん? キッチンでやることなど一つしかないだろう?」
あくまで表面上は機嫌が良さそうな顔で夏蓮がキッチンから出てくると、眼前にそれを置いた。
テーブル上で湯気立つは、見事に盛られたロールキャベツだった。
「腹が減っては戦などできぬ。先人は良いことを言った」
「お前、これ……」
「夕餉だ。感謝しろよ? 久しぶりに腕を振るってやったんだ。ロールキャベツは手間がかかる」
「……」
「ああ、もちろん味も保証するぞ」
得意げに語る夏蓮だが、そんなことより、
「……料理だけは苦手、じゃなかったのか?」
「苦手だよ」
そのとき、夏蓮が寂しげな表情をしていることに、道弥は気づいた。
「妹の前ではな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます