第14話 ソレカラ


 教会を発ち、道弥は呆然と裏路地を歩く。

 結局、確かな解答はもらえなかった。

 得られたのは、助言とも説教とも取れない、曖昧な答えのみだ。


「……そんなこと言われても、仕方ないだろ」


 独り呟く。


 どれ程の理屈があろうと、『主人公』でない自分に、ただの『脇役』である自分に、物語を動かすことはできない。


 それがこの世界の、絶対のルールだ。


「……ッ‼」


 行き場のない感情を振り払うように、道弥は走った。


 入り組んだ迷路のような道を、ひたすら一心不乱に駆ける。


 どこへ向かうわけでもない。


 ただ出口のない袋小路から抜け出したかった。


 しかしどれほど走ろうが、仄暗い裏路地は嘲笑うかのように道弥をじめじめとした世界へ誘う。


 気が付くと倒壊した家屋の立ち並ぶ廃墟に出ていた。またぞろ、あのふざけた神様が適当に創ったのだろう、腐敗と退廃の世界は、この国にこんな場所があったのかと道弥を驚かせる。


 視界の端で鼠が数匹動く。小さな石造りの家屋の、崩落した扉の隙間からだった。


 そして――なんの偶然だろうか。


 そこから音も無く現れる、黒い外套を纏った二人の人影。


(あれは……)


 二人が担ぐのは、例の麻袋。その隙間から細い手が覗く。


「……ッ‼」


 一瞬の逡巡すら無かった。


 肉食獣のような反射で駆け出した道弥は、二人のうち小柄な男のほうへ食らいつくかのように襲いかかった。


 反応が遅れた男は「なんだ⁉」と素っ頓狂な声を上げて倒れ込む。馬乗りになった道弥は勢いそのまま男の顔を二発殴りつけた。その拍子に男のフードが外れ、若い男の苦悶に満ちた表情が外気に晒される。


「ぐっ!」


 苦鳴を漏らす男に、感情任せな拳を再び振り上げた瞬間、横合いから思い切り腹を突き飛ばされ、道弥は為す術なく転がされた。


「こいつ! 一発殴らせろ‼」


「落ち着け‼ さっさとズラかるぞ‼」


 大柄な男が相方を落ち着かせ、麻袋を担いで素早く逃げ出す。


「……ッ……てよ……」


 道弥は腹を押さえながら、声にならない音を喉の奥から吐き出す。


「く、そ……待てよ……‼」


 二人の姿は廃墟の向こうへ消えた。






 **






「道弥さんッ‼」


 あれからどれほど経っただろう。


 路地を抜け、大通りに出てすぐ壁にもたれかかった道弥のもとへ、小さな鞄を手に提げた梅雨里が駆け寄ってくる。


「どうしたんですか? こんな……」


 心配そうな顔で覗きこんでくる梅雨里に、道弥は努めて茶化した口調で「……ああ、梅雨里……」と笑ってみせる。


「夏蓮のやつは、呑気にやってたぞ」


「まっ、まさか姉に何かされて⁉」


「……あー、そうそう。ちょっと腹パンされて」


 すまん。夏蓮。


「立てますか? 道弥さん」


「……肩、貸してくれないか」


「もちろんです」


 梅雨里に助けられてなんとか立ち上がる。


「……もう手はいいぞ」


「いいえ。心配ですから、握っています」


 繋がれた手に力が込められる。


 それだけで男を殴った拳から痛みが引いていく気がした。


 まるで優しく労わるように道弥の手を包み込み、導いてくれる梅雨里の温かな手のひらをじっと見つめ、道弥は呆然と、かすれた声を漏らす。


「なあ……梅雨里は、なんで」


「ん、なんですか?」


「……いや、なんでもない」


「そうですか」


 梅雨里は前を向くと、道弥の手を引いて歩き続ける。


「そこの兄ちゃん!」


 喫茶店の店員が声を張っている。


 緑エプロンの彼はいつかも声をかけられた。あのときはなんとも虚しい声で機械的に働いていたものだが、


「うちに寄っていかないか! うちのサンドウィッチは一味違うよ!」


 今は気持ちのいい顔で呼び込みをしていて、店先で立つ姿も様になっている。


「あの家族は……」


 呟く梅雨里の視線の先には、数人の家族連れがいた。そのうち『国民N(弟)』の文字を浮かべた少年を見て、彼らが中央広場で会った家族であることがわかった。少年は『国民N(兄)』の少年と仲良さげに笑い合っている。また両親役の男女も微笑ましそうに子供たちを眺めていた。まるで最初から本当の家族だったかのよう。


 道弥は呆然と街の景色を眺める。


 通りを行く人々は皆一様に同じような表情を浮かべていた。カップル役の男女は手を繋いで仲睦まじく、レストランから出てくる老夫婦役の二人は「また来ようか」と嬉しそうに相談していて、八百屋の前の女性は「明日主人の誕生日なのよ」と、顔見知りの店員と雑談を交わしている。


 普通の光景だ。何の変哲もない、日常風景。


 なのに何故だろう。否応なく胸がざわつく。


「——店員さん?」


 道弥の耳に、馴染みのある声が届いた。


「万城さん……」


 護衛を背に引き連れている男は万城だった。


「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ?」


「いや、なんでも……万城さんは、聞き込み中ですか?」


「ええ。大通りを再度捜査中です。灯台下暗し、なんて言葉もありますからね。……それよりも、この方は?」


「ああ、ええと……」


「月島梅雨里と申します。『ヤドカリ帽子』ではキッチンに入っています。お会いできて光栄です。国王様」


 道弥が紹介する前に、梅雨里が自ら挨拶する。


「そ、そんなに畏まらないでいただけると……。王様なんてあくまで『役割』なんですから。いつも美味しい料理をありがとうございます」


「恐れ入ります」


 梅雨里は堅い態度を崩さない。万城に対して何か思うところがあるのか、その態度はどこか大袈裟なくらいだ。


「ば、万城さん。誘拐事件のほうは、何か進展がありましたか?」


「お恥ずかしながら何も。……ああ、でも聞き込み中に妙な情報は得られましたよ」


 万城は得意げな顔だった。何か糸口が掴めたのか。


 梅雨里が一歩踏み出して訊ねる。


「その、妙な情報とは……?」


「信憑性は残念ながら低いですが……なんでもこの国に『革命団』などという組織が存在しているのだとか。お二人はご存知ですか?」


「……え?」


「聞く話に寄ると、この国の裏で密かに暗躍する一大組織であると。まあ、眉唾の可能性は十分にありますが……」


 予想外なワードが飛び出し、道弥は思わず梅雨里と顔を見合わせる。


「しかし本当に『革命団』なる団体が存在するのであれば、曲がりなりにもこの国の王を担う者として、野放しにしておくわけには参りません。そんな組織が今回の誘拐事件と関わっていないわけがありませんからね」


 背筋を嫌な汗が流れ始める。


「……ん? 店員さん? どうかしましたか?」


「い、いや、その……」


 下手なことは言えない。では聞き流すべきか。いやしかし……。


「ん……?」


 道弥の態度を怪しく思ったのか万城は眉をひそめる。


 そのときだった。


「国王様‼」


 巡回兵らしき男が血相を変えた様子で走ってくる。


「どうしたんですか? そんなに慌てて……」


「不審人物を捕らえました! それですぐに国王様に報告をと」


「不審な人物、ですか……?」


「はい! 裏路地に隠れていた黒い外套を着た者です!」


 ——黒い外套。


 その単語だけで行く価値があると判断したのだろう。


「すぐに向かいましょう」


 巡回兵の先導に従って万城は走る。


 いてもたってもいられず、道弥と梅雨里もその後を追った。


 しばらくして見えてきたのは通りの端に出来た人だかりだった。中心は窺えない。ただ物々しいざわめきがそこを中心として街中に広がっている。


「皆さん落ち着いて! 道を空けてください!」万城が叫ぶ。するとモーゼの海割りのごとく人が避け、道が開いた。


 巡回兵が不審人物を拘束している光景が目に飛び込んでくる。——が。


「っ……」


 次の瞬間、道弥は絶句する。


 捕らえられているのは確かに黒い外套の人物だった。華奢な身体を覆う大きな外套。道に膝をつき、細い腕を背中に拘束され身動きを封じられている。目深に被ったフードの奥、俯いているのはとても見慣れた顔。


「……天音、さん?」


 梅雨里が呟く。


 捕まっていたのは、天音だった。


「だから、待ってくれって言ってるだろ!」


 その傍では冴木が兵らと言い争いをしている。


「その子はうちの常連さんで、あんたらが調べてる事件とはなんも関係ねえんだ!」


「じゃあ何故こそこそ動く必要がある!」


「そ、それは……」


「服装も酷似している。怪しくないと思う方がおかしいだろ!」


 冴木は唇を強く噛み締める。


 道弥は梅雨里とともに立ち尽くす。


 状況が呑み込めない。


 ただ考えるかぎり最悪の事態が起きてしまったことは、わかった。


「お二方、落ち着きなさい」


 冷静な声は万城のものだ。


 我に返った道弥は振り向く。 そうだ。万城ならきっと……。


「この者が身を隠すように動いていたというのは、本当なのですね?」


「はい! 嘘ではありません」


「……そう、ですか」


(なん、で……)


 万城が天音を見下ろす。


 それはまるで、底冷えするような、冷酷な眼差しだった。


「そこの君、彼女のフードを取ってください」


「ま、待ちやが」


 冴木が反射的に動くが、それよりも巡回兵の男の行動が早かった。


 黒い外套に手がかけられる。素早く彼女のフードが下ろされた。


 艶やかな茶髪が翻る。


 露わになった天音の素顔に、僅かなどよめきが広がった。そこには予想外に可憐な少女が現れた驚きも少なからずあっただろう。


 頭上に晒されたのは——『革命団団長』の文字。


 兵たちが一斉に息を呑んだのがわかった。


「……噂をすれば、ですか」


 冷静な万城の声が、嫌に不安を煽る。


「真実はいつも残酷なものですね」


 浅く息を吐きながら万城は妙に芝居がかった仕草で肩を竦めた。


「連行しなさい。話は牢屋で聞きます」


「牢屋って……正気かあんた⁉ 女だぞ⁉ それもこんな若い子供の」


「関係ありません。直ちに城へ」


 以前までの柔らかな態度などどこにもなかった。まるで冷徹な無表情で天音を見下ろしながら、速やかに兵隊たちに命令を下す。


「それでもあんた王様か‼」


「ええ。そうです。これは『国王』としての僕の責任です。自らの『役割』をこなすのが、私の義務なのです。故に、国民の安心を脅かす者に容赦などしません。……それよりあなたは先ほどから妙にこの子の肩を持ちますが、もしかして関係者なのでしょうか?」


 怜悧な視線に射抜かれ、冴木が唇を噛む。


「その人は無関係です」


 凛とした態度で天音が反論する。万城はそんな彼女を見下ろし、やがて「そうですか」と退屈そうに言った。


「では行きましょう」


 無慈悲に踵を返す。


「天音、さん……」


 梅雨里は悲痛な表情で口元を両手で覆う。


 道弥は立ち尽くすことしかできない。


 ふと、そのとき天音が振り向った。


 天音は道弥と目が合うと、どこか寂しそうな笑みを浮かべ、すぐに前を向く。


「佐藤……」


 道弥は呆然と立ち尽くすしかできなかった。


「くそがぁ‼」


 冴木の怒号が通りに響き渡った。



 

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