第13話 ジュバク
翌日から万城たちの『主人公』探しは始まった。
巡回に当たっていた警備隊はそのまま、万城は私兵を集めて自分の足で聞き込み調査を始めた。「僕が自ら探すほうが何かと融通が利くんです」などと言っていたらしいが、相変わらずフットワークの軽い国王様である。
そして王様の手の回らなそうな裏路地や辺境は、天音たち革命団が引き続き捜査しているようだ。例によって万城との連携は取れないが、『主人公』が見つかり次第、革命団の存在は伏せた形で王の下に報せるつもりらしい。
「おら若草‼ しゃきしゃき動け‼」
「うす!」
本当に、誰も彼もご苦労なことだと思う。
道弥はと言えば、そこまでのやる気はない。なにせ『脇役』なのだから、張り切ったところで報われることはない立ち位置だ。せいぜいステージ上で進む物語の邪魔にならぬよう、ひっそりと息を潜めておくことに決めていた。
……しかし、
「あ、あの、ちょっといいすか」
「おう、なんだ。店員さん」
「その……最近、変な『役割』の人とか、見かけませんでしたか、ね……?」
「ああ? んなもん、どこ見ても変な『役割』ばっかだろうがよ」
「そ、そうっすよね。ははは……」
「……?」
「で、でもその……明らかに変っていうか、例えば『主人公』とか、そんなんが書いてあった奴とか、その……」
「ん? 主人公がなんだって?」
「……や、すんません。なんでもないっす。しっ、失礼します。ははは……いやほんとすんません」
こうして三日が経っていった。
**
「……もぉ~‼」
酒場『ミケネコ』二階のバーカウンターに声にならない声が響く。
「いつになったら見つかるのよぉ……‼」
黒いフードの奥で涙目に叫ぶのは天音だった。
「……」
彼女から一席離れた席で、道弥は気まずい顔で視線を逸らす。
「元気出してくださいよ、団長」
「無理だよぉ~! 無理無理ぃ~!」
「ほら、珈琲冷めちゃいますぜ?」
「……ん……美味しい」
一瞬で落ち着いた。
流石は革命団の裏番長冴木。団長の扱いには慣れている。
「『主人公』探し。上手く行ってないみたいだな」
「な~んか他人事みたいに言ってない? 道草くん」
「いや、そんなことは……」
「元はと言えば道草くんの案なんだよっ。わかってるのっ?」
「は、はい。すみません……」
どうも今日の天音は誰かに当たりたいようである。
道弥は道弥で責任を感じないわけでもないので、下手な励ましも口にできなかった。「もう挫けそうだよ~……これでも私にしては頑張ってるのに……もう全然! 誰に聞いても『そんなやつ見たことない』『そんなやついない』って! そんなのばっかり」
「団員を総動員して探しちゃいるが、今のところは収穫なしだな。これといった手がかりもねえ」
文字通りお手上げといった仕草で冴木は肩をすくめる。
「王様はどんな感じなの?」
「おそらく同じだと思う。一応、大通りや城の近くは粗方調べ回ったらしいが、全部空振りだった、らしい……」
「むぅ……本当にいるのかなぁ……『主人公』さん……」
天音は唇を尖らせる。
『主人公』探しは完全に暗礁に乗り上げていた。まだ途方に暮れるには早い時期だが、こうもその尻尾も掴めないとなると落ち込むものがあるのだろう。早くも、天音たちの周りにはどんよりとしたムードが漂い始めている。
「坊主はいるって思ってんだよな? 『主人公』」
「まあたぶん……」
「おいおい」
呆れ顔を向けられるが、こちらも確証など持てるはずもない。
「…………いやはや、まいったね」
冴木も珈琲に口をつける。朝黒い肌で気づかなかったが、よく見ると彼の目元にも隈が刻まれていた。この男はこの男で身を粉にして奮闘しているのだろう。
「はぁ……」
釣られて道弥も溜め息を一つ。
苦い珈琲を意地で飲み干すと、道弥はやおら席を立った。
酒場『ミケネコ』を後にし、大通りとは反対方面の路地を進む。
一度しか通ったことがない道だが、大まかな方向は覚えている。
路地はどんどんと入り組み、進めば進むほど細くなっていく。建物の隙間が狭くなっていき、陽光の遮られた暗く不気味な道が続く。
だが一定の距離を歩いたところで、唐突に道が広がった。
広場と言っても差し支えのない空間に昼下がりの陽光が降り注ぐ。一際眩しく照らされるのは、場違いな程清潔な白い建物。——教会だ。
道弥は入口から堂々と足を踏み入れた。美しい内装が視界に広がる。静謐な空間は空気も澄んでおり、鬱屈した気持ちが一時的に霧散するかのよう。
足を止めた。
祭壇に小さな背中。黒と白の修道服に身を包んだ少女が膝を突き、両手を胸の前で合わせて祈りを捧げている。頭上には『シスターB』の文字。ステンドグラスから柔らかな光が降り注ぎ、少女を祝福するかのごとく照らし出す。絶対に本人に言うつもりはないが、それはどこか神秘的な光景だった。
道弥の存在に気づき、夏蓮が振り返る。
「…………ん? なんだ? 君か」
「悪かったな、俺で」
つまらなそうに言われ、道弥は腰に手を当てた。
「梅雨里にどんな感じで過ごしてんのか、確認してきてほしいって言われてたんだ」
「だったら梅雨里が来ればいいのに。なんで君に頼むんだか」
「生憎、買い物中だ」
「君が代わってやればいいだろ?」
道弥は気まずい顔で、「俺は、白菜とキャベツの見分けがつかない」と視線を逸らした。
「君は情けない奴だ」
ぐうの音も出ない。
夏蓮は梅雨里と同じ青みがかった前髪を耳にかけると、勝気な表情になった。
「妹に言っておけ。敬愛するお姉さまには何も問題がない、とな」
「わかった」
呑気にやっていると報告しておこう。
「それで? 他にも何か聞きたそうな顔に見えるが」
「そんな顔に見えるのか」
「ああ。今にも襲われそうだ」
両肩を抱いて「よよよ」と震えてみせる夏蓮に、道弥は溜め息を吐く。
「はぁ……。単刀直入に訊く。あの看板には、何が書いてあった?」
「ん? 妙なことを言うね。看板のことはすでに話したはずだが」
「他にも、何か書いてあったんじゃないか」
「ほぅ……」
夏蓮は驚きに目を見開く。
確証はない。が、そんな気がしていた。
「どうしてそう思ったんだい?」
「……本当に、あの『ルーラー』ってやつが梃入れを施したんなら、今の状況はおかしい。誘拐事件も『主人公』の捜索も、何もかも進んじゃいないからな」
どころか捜索は難航し、誘拐の被害者は日々増え続けている。
そもそも『主人公』説など天音たちはとっくに辿り着いていた。今更『主人公』がいるなどと、そんな情報を広げたところで毒にも薬にもならない。
「あのふざけた神様がそんな無駄なことをするかって聞かれたら、正直するかもしれないとは思うが……それよりも、あんたが嘘を吐いているって考えたほうが、色々と辻褄が合うと思った」
「なるほど。で? そのことは他の人には話したのかな?」
「話せるわけないだろ。こんな捻くれた考え」
「ふぅん? そんなに君の周りには信用のない奴ばかりなのか?」
「……そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう?」
青い瞳にじっと見つめられ、道弥はどきりとして顔を逸らす。
「…………俺が『脇役』だからだ」
その答えに、夏蓮は鼻白んだように鼻を鳴らす。
「『脇役』ね」
まるで退屈な数学の問題に遭ったかのような顔で目を細める。
「時に若草……君は『監獄実験』を知っているかい?」
脈絡もない話題転換に、道弥は眉をひそめる。
「……なんだ、いきなり」
「スタンフォード大学で実施された有名な実験だ。今から約五十年前の話。とある心理学者の主導の下、二十一人の被験者が刑務所に改造された暗い地下室へ集められた。そしてそのうち十一人が看守役に、十人が囚人役にグループ分けされると、実験は始まった」
淀みない口調ですらすらと続ける。
「簡単に言えばロールプレイだな。それぞれの役割を演じさせ、実際の刑務所に近い設備のなかで二週間過ごさせる。……するとどうなったか」
夏蓮は祭壇から降り立つ。
「時間が経つにつれ、なんと看守役は自主的に看守らしい行動をとるようになったんだ。自ら囚人役に罰則を与え、逆らう者を独房に監禁し、囚人役のグループにはバケツへ排便するようにとすら命令した。そして囚人役も概ね同様に、時間が経つにつれ囚人らしく逆らうことを諦め、時おり振られる暴力にも甘んじたんだ」
「……それって」
「そう。この実験は、人間に『自らの役割に甘んじる』という性質があることを、証明している」
「まさか」
「事実だよ。私たちは多かれ少なかれ、自分の役割を意識している。そして、それに準じている。自然に、無意識に」
夏蓮は立ち止まり、道弥の顔を見上げた。
「周りを見回してみろ。心当たりはあるはずだ。事実、王様は王としての『役割』を全うしているし、あの天音という女も組織の長として団員を指揮している。他の者たちも同様に、この国に住む人々は、現に自らの『役割』通りに日常を過ごしている。それはこの『役割』が何かしらの強制力を働かせているせいなのか? 本当にそれだけだと思えるか?」
夏蓮の言葉には妙な力があった。説得力とはまた違う、それは切実な感情。
「私たちは未だにこの世界から抜け出せていない。——だが」
と、一拍間を置いて、
「それは本当に『主人公』だけのせいなのか?」
責めるような視線に、道弥は身体を硬直させる。
「それが君の問いに対する、私の答えだ」
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