第11話 シスター


ひとまず場所を移すべきだという天音の意見に従い、『シスターB』の少女が管理しているらしい教会にとりあえずお邪魔することになった。


 白壁の眩しい教会は室内も清潔な白一色に染まっていて、天井に大きなシャンデリア、最奥に祭壇と、およそ教会というイメージそのままの内装だ。


 少女は並ぶチャペルベンチの一つに梅雨里を寝かせると、上から青色のブランケットを優しく被せた。


 梅雨里の目覚めを待つ傍ら、天音たちを含む数人で情報を整理する。


 聞けば、革命団が出動した経緯は単純だった。


 なんでも裏路地に消える道弥の姿を偶然冴木が目撃していたらしく、その際の道弥の異様な雰囲気から「何かがあった」と瞬時に理解した冴木は、すぐにそれを天音に報告し、動ける団員を数人引き連れて後を追ってきたのだった。


「つまり俺のファインプレーってわけだな」


 筋肉質な胸をこれ見よがしに張る冴木はどうでもいい。大事なのは応援を呼ばれて駆けつけたわけではない、という点だ。


 どういうことかと道弥は視線を向ければ、『シスターB』の少女はあっけらかんとした顔で、


「いやー、まさか本当に応援が来てくれるとはなあ。まさに窮地に舞い降りた奇跡だ。うんうん」


「もしかしなくても……ハッタリだったのか、あれ……?」


「咄嗟の状況だったからね。何が最善かなんてわからない。あのときは時間を稼ぐことだけを最優先にしていたから、無茶もするってものだよ」


「……妙案が思い浮かぶまでの時間稼ぎ、か?」


「それもあるが……本命は君さ。曲がりなりにも挟み撃ちの構図だったからね。君の体力が回復するのを待って一斉に奴らに飛びかかれば、あるいは、この子くらいは助けられるかもしれない、なんてね」


 あの切迫した状況下で、少女はそこまで考えていたのだという。


「随分と、望み薄な線だな」


「この子を助けるためなら、例え一パーセントの確率でも物にしてみせるさ」


 膝の上に乗っている梅雨里の頭を撫でながら、少女は目を細める。


「なあ、あんた。もしかして……」


「ああ。私はこの子の家族。二つ年上の姉だよ。月島夏蓮(つきしまかれん)と言う。よろしく」


 やはり、そうだったか。


「梅雨里から聞いてはいたが、まさか本当に……」


 というか、この少女が「姉」なのか。この小柄さと童顔なら、「姉」というよりも、むしろ……。


「お姉ちゃん、なの? 妹ちゃんじゃなくて?」


 道弥の内心を代弁したのは、天音だった。


 夏蓮は「ほぉ……」と面白そうに腕を組む。


「天音ちゃん、だったかい? 妹が世話になったのには感謝するが、一体どういう了見でそんなことを申しているのか、聞かせてもらっても構わないかな?」


「だって、どう見ても梅雨里ちゃんの方がお姉さんっぽいんだもん。背も高いし、足もすらっとしてるし、雰囲気も大人びてるし」


「私だって十分大人びているじゃないか。この溢れ出す色香が君にもわかるだろう?」


「うーん……」


 夏蓮の身体を凝視する天音。夏蓮は得意げに胸を張った状態で動かない。が、すぐに気まずくなったのか、だんだん笑顔がぎこちないものになった。


「な、なにか言ってくれないだろうか」


「私にはわかんないなぁ。道弥くんはどう思う? 男の子から見て」


(こっちに振んなよ……!)


「し、知らねえよ」


「ふふ、直視できないのもわかるさ。私のわがままボディは青少年には刺激が強すぎるようだからな。ふふふ、愛(う)い男だ。うんうん」


「でも梅雨里ちゃんの方が胸大きいよ?」


 ぴたりと夏蓮は天音の言葉に硬直する。


 確かに、シスターの格好に身を包む夏蓮の胸元は存在感が著しく欠けている。反面、静かに寝息を立てている梅雨里の胸元は呼吸の度に大きな主張を繰り返していた。


「き、着痩せするタイプなんだ。私は。うんうん……」


「言い訳するのも子供っぽいよ」


「ぐっ……! わっ、私は姉だ! 本当だぞ!」


 虚勢の牙城が崩れる音がした。天音もその辺してやってほしい。目つきが悪いとか見た目が暗いとか、コンプレックスというものは得てして突かれたくないものである。


「ん…………こ、ここは」


 目覚めた梅雨里が上体を起こして辺りを見回す。その寝ぼけ眼が冴木たちを向き、天音を向き、道弥を向き、そして最後に夏蓮を捉えたところで驚きに見開かれた。


「ね、姉さん……?」


「梅雨里!」


 夏蓮が梅雨里に抱き着く。


「聞いてくれよ! この女が私を虐めるんだ! ちょっと可愛いだけのくせにさ!」


「天音さんの可愛さはちょっとどころではないと思いますが…………というより、これは一体どういう状況でしょうか? そもそも何故姉さんがこんな姿に……」


 梅雨里が困ったように見つめてくる。


「まあ、なんだ……」


 仕方ないか。


 道弥はとりあえず事の経緯を掻い摘んで説明した。


 すると梅雨里は慌てたように立ち上がって、


「大変ご迷惑をおかけしました……!」


 全員に向けて深々と頭を下げた。


「顔を上げてよ梅雨里ちゃん。私たちはただ駆けつけただけで、特に何かをやったわけじゃないんだから」


「どっちかってーと、そこの坊主の根気と、あんたの姉の機転のおかげだな」


 冴木が白い歯を見せて笑う。


 その言葉に梅雨里は弾かれたように夏蓮の顔を見つめた。


「そういえば、姉さんはどうしてここに……」


「この教会は私のものだからな。ほら、見ろ」


 夏蓮は自らの頭上を指差す。浮かぶ『役割』を認め、梅雨里は眉をひそめた。


「こんな場所に、今まで一人でいたのですか……?」


「まさか。私の家はちゃんと他にある。だがどこでも住めば都だ。私の『役割』は、この教会で祈りを捧げることだけだから、他の奴らに比べれば結構楽だしな」


「なら、いいのですが」


「私も私で驚いたぞ。お前がこの世界に来ていたこともそうだが……なんなんだ? その冗談みたいな役割は」


 梅雨里の頭上で薄く発光する『国民B(妻)』の文字を見て夏蓮が呆れた声を出す。


「これは、ですね……」


 と、そこで梅雨里がちらりとこちらを見やる。


 夏蓮は「ん……?」とその視線を辿り、やがて道弥を——正確には道弥の頭上に浮かぶ『役割』に気が付き、絶句した。


「な……お、お前……」


「……い、妹さんにはお世話になっています」


 嫌な汗を流しながらとりあえず頭を下げておく。


 ぐい、と唐突に手を引かれた。仮面のような無表情をした夏蓮だ。そしてそのまま祭壇の近くまで連れていかれると、夏蓮はひそひそと、しかし何故か迫力を感じる声音で囁く。


「妹に無体を働いていないだろうな?」


「血走った目を向けてくるな。こえーから」


「もし手を出したらただでは済まさないぞ? いいな?」


「出すわけないだろ……!」


(と、とんだシスコンだ。こいつ)


 馬鹿馬鹿しいやり取りをしている間にも、話は続いていた。


「梅雨里ちゃんが攫われたのって、道弥くんと別れてすぐのことだったの?」


「いえ……偶然路地に消えていく外套の二人が見えたのは、確かに道弥さんと別れた直後くらいでしたが、それからしばらくは後を付けていましたので……」


「尾行かぁ? 嬢ちゃん、意外とアグレッシブだなあ」


「お恥ずかしながら、なにかの役に立てればなと。まあすぐに見つかってしまいましたけれど……それで、それがなにか?」


「うーん……ちょっと説明が難しいんだけどね。実は今朝早くに、中央広場が誰かの手によって荒らされてたの。それで今日はずっと騒ぎになってて。……目撃証言に寄ると、荒らした犯人も外套を纏っていたみたいなんだけどね……」


 そんな騒ぎの裏で梅雨里の誘拐未遂事件が起こった。やはり何か狙いがあって広場を荒らしたとしか思えない。天音の推理はそんなところだろう。


「最近は巡回も厳しくなってやがったからなぁ。騒ぎを起こして兵を広場に留まらせておいて、街の警備が手薄になったところを狙った、ってのはあ、十分あり得る線ですぜ。団長」


 とはいえ大胆な行動には変わりない。やはり奇妙だ。


 皆が黙考し、教会が静まり返る。


「ああ、広場のそれなら私も見たぞ」


 夏蓮の声に全員が振り返った。


「ね、姉さん。それは……いつのことですか?」


 梅雨里は焦ったように訊く。


「今朝だよ。結構早い時間だ」


「そ、それは現場を見た、ということでしょうか?」


「いいや。正確には外套の奴が広場に入っていくのを見たんだ」


「そ、それって……もしかして」


「犯行の一部始終を見ていた、ってことか……?」


 天音の想像を代弁するように道弥は言った。


 夏蓮はすんなりと頷いた。


「あの時間はいつも外には誰もいないからな。まだ辺りも仄暗かったし、そんなところに人がいるだけでも結構目立つものさ。それが外套で身を隠した人物なら、なおのことな」


「……夏蓮ちゃんはなんでそんな早朝に出歩いていたの?」


「教会の朝は早いからな。家も遠いし、だからどうしても出発は早くなる」


「……なるほど」


「奴は斧を持って広場に入っていった。私は物陰から見ていたが、どこか焦っているようにも見えたな。まあ当たり前と言えば当たり前だが。掲示板を破壊し、ベンチを破壊し、残骸を噴水に投げ込んだ挙句、おまけに花壇まで荒らしてそのまま去っていった」


「そのときに何かおかしなこととかなかったかな? 夏蓮ちゃんが見ていた限りで、変だと思ったことがあれば、教えてほしんだけど」


「ふむ……」


 夏蓮は今朝の記憶を思い出すように片目を閉じる。そうしてやがて「……そういえば確かに一つ、変なものはあったな」と呟いた。


「変なもの? こと、じゃなくて?」


「ああ。広場にな……、見覚えのない看板が立っていたんだ。初めは誰かの悪戯かと思って気にしていなかったが……そういえば奴が初めに壊したのもそれだったような……」


「その看板に、何か書いてあったのか?」


 妙な胸騒ぎを覚え、道弥は食い気味に訊ねる。


「そうだな……たしか、あの看板にはこう書いてあったな」


 そのときの夏蓮は、何故だろう、意味深な笑みを浮かべていた。


「——『主人公を探せ』、と……」



 

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