第8話 ハグルマ


「若草ァ‼」


「はい……!」


 今日も今日とて道弥は駆け回っていた。


 店長の怒鳴り声はもはや通例か、軍曹のごとき怒声が店内に響こうが常連の客たちは反応すらしなくなっている。すでに日常の一部と化してしまっているのか、道弥は釈然としない気持ちが拭えない。


 追い立てられるようにホールへ出て、のそのそと客が去った後のテーブルを片付けていく。壁の時計が示す時刻は午後六時半。テーブル席の客足は疎らで、ガラス張りの向こうでは仄暗い道を照明が照らしているのが見えた。


「ふぅ……」


 壁際に背を預け、道弥は一息つく。


 ホールは他にも何人か人員がいるはずなのだが、店長には自分だけが特別しごかれているように感じるのは気のせいだろうか。道弥の名を呼ぶときだけ声が威圧的だ。怖すぎる。


「妙だな」


「ハッ……⁉」


 変な声が出た。


 気が付くと隣に店長が立っていて、道弥は肩を弾ませた。


「な、なにが、すか?」


「常連の奴が何人か来てねえ。なんかあったか、今日」


「さ、さあ……こういう日もあるんじゃないすか」


「まあ野郎はもっと後で来るんだろうが……この時間帯はいつも胸のデケェ女が来てたはずなんだ。こりゃあきっと訳アリだな」


「なんでそんなことわかるんすか」


「あの女は冴木さんに色目使ってやがったからな。おおかた罰でも当たって、どっかでのたれ死んでやがるんじゃねえか? ……くくっ」


(うわぁ……)


 どうせ実際は冴木がその女性をナンパしていただけなのだろうが、なんとも、恋は人を盲目にさせるものである。


「最近、何人か行方知れずになってる奴がいるらしい。まだ噂の範疇だが……てめえも気いつけろよ。若草」


「……」


 厨房のほうへ戻っていく店長の背中を見送り、道弥は複雑な表情を浮かべる。


 この世界に飛ばされて約半年。


 ヤツの思惑通りなのかは不明だが、巻き込まれた数万人の人々は順調に神経をすり減らし、そして今回、ついにその綻びが大きな事件となって表面化してしまった。


 あれから一週間が経ち、国民が突如失踪する事件の件数は徐々に増えている。


 比例して目撃者の数も増え、すでに噂は国内に広まりつつあった。街中では万城の私兵が何人も見回りに目を光らせているが、結果は芳しくないらしい。現状、誘拐犯たちの行動は全く把握できず、後手に回ってしまっている状況のようだ。


「お兄さーん、注文なんだけどー」


「は、はい! ただ今!」






 勤務時間が終わると道弥は決まって店裏で梅雨里を待つようになっていた。今までは何度か個別に帰っていたこともあったが、今は状況が状況だ。


 事件の噂が広まった影響か、以前にも増して人影のない殺風景な帰路を、二人で息を潜めるようにして歩き、なんとか帰宅するのが最近の帰路の風景だった。


 晩御飯を終えてしばらく、突如インターホンが鳴り響く。慌てて玄関の扉を開くとそこには天音の姿があった。


「こんばんは。梅雨里ちゃんいるかな?」


 外套から美しく整った顔を覗かせて笑う。


 梅雨里が白の世界で姉を見かけたという話を、以前道弥は彼女に伝えていた。どうやらその捜索の進捗を伝えに、わざわざ直接家まで足を運んできてくれたらしい。


 立ち話も難だとリビングに通す。自己紹介に少し言葉を交わして、天音はすぐに本題に入る。が、その顔はなんとも浮かないものだった。


「そう、ですか。姉はまだ……」


「ごめんね。探してはいるんだけど、今は誘拐事件のほうで手一杯で……」


「謝らないでください。無理を言っているのはこちらなんですから」


 恐縮そうに梅雨里は手をひらひらと振る。


「こちらこそすみません。ご迷惑をかけてしまって」


「それこそ謝らないでいいよ。家族が心配なのは当たり前だもん。梅雨里ちゃんが良ければ、最後まで協力させてね」


「はい。お願いします」


「……悪いが頼む」


 二人して頭を下げると、天音は朗らかに頷く。


「ところで……その誘拐事件については、どんな感じなんだ?」


 なんでもその『役割』上、万城たち『国王』陣営とは相容れないらしい天音率いる『革命団』は、この国の裏で独自に情報取集を始めている。万城らの調査が後手に回っている現在、頼りになるのは天音たちだった。


 だが天音の表情は優れない


「そっちも、あまり芳しくないかな。とりあえず誘拐された人の身元は全員明らかになったんだけどね。……みんな女性の人で、うち一人は子供だった。誘拐の方法は全部同じ。数人がかりで拘束して裏路地に連れ込んで、その後はどこかへ姿を消しちゃう」


「心配ですね……皆さんご無事なのでしょうか?」


「そう、だね。滅多なことにはなってないと思いたいけど……」


「佐藤? どうしたんだ?」


「ううん、ちょっと気になることがあって」


「……気になること?」


 天音が頷き、言葉を続ける。


「今のところ誘拐の被害に遭ったのは五人。あくまで私たちが把握している人数なんだけど、とにかくこの一週間で五人以上が姿を消しているのは事実なの」


「それがどうしたんだ?」


「うーん、なんというか、節操がなさすぎる気がして」


「ん、どういいうことだ……?」


 道弥は顔をしかめる。


 対して梅雨里は「……なるほど」と得心がいったようだった。


「なるほどって、どういうことだよ。梅雨里」


「たとえ被害者が女性であるとしても、人間を一人誘拐するというのは、私たちが考えているよりずっと難しくて大変なことだと思います。……それをこんなに頻発させるのは妙だと言わざるを得ない……ということですよね? 天音さん」


「うん。被害件数はこの一週間ですごく増えたのに、誘拐の手口は冷静っていうか、すごく用意周到な感じで、なんか変だなって……」


 確実に誘拐を果たす周到さとは裏腹に、犯人たちの行動は大胆不敵だ。


 まるで確実に目立つために目立つことを避けている。かのような。


 奇妙な矛盾点が、どうしようもなく胸をざわつかせる。


「なにか特別な目的が、あるのかも……」


「特別な目的って、なんだよ。佐藤」


「わ、私にもわからないよ……」


「この国では、天音さん以上の情報収集能力を持ってる方は、いらっしゃらないのですよね?」


「うーん……情報収集って言っても、私たちはそんなに表立って行動できないからね。どうしても情報に偏りが出ちゃって。信憑性があまりないんだ」


「では、万城さんはどうでしょう?」


 梅雨里の指摘に、道弥は腕を組んだ。


 確かに表立って国民から話を聞きやすい立場である万城であれば、信憑性のある情報は掴めていそうだ。彼に聞けば何か明確な答えが返ってくるかもしれない。


「万城さんって王様の人だよね? そういえばどんな人なの?」


「ん? ああそうか。佐藤は顔も知らないんだったよな」


 その『役割』上、秘密裏に動かなければならない天音は、万城のことをあまりよく知らなかった。


「安心してください。天音さんと同じでお優しい方ですよ。毎日国民のために尽力なされています」


「へぇ、なんだか気になるなあ。早く私も会ってみたいよ」


「今佐藤が万城さんの前に出たら、速攻で捕まるだろうな……」


 なにせ万城率いる兵団は現在、黒い外套を被った人物に目を光らせている。外套が標準装備の天音が見つかれば一瞬でお縄になるのは確実だろう。


 おまけに外套を脱げば『革命団団長』なんて物騒な文字が表示されてしまう始末なのだ。絶対に会わないほうがいい。


「わ、わかってるよ。我慢する……」


 可愛らしく唇を尖らせる天音の姿に、道弥は不安を抱かずにはいられなかった。



 

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