第6話 オオサマ


 裏路地を抜ける。


 どうも素直に家に帰る気になれず、道弥は遠回りして大通りへ向かう。


 西洋の街並みを意識しているのか、最も盛んな王都の街にはレンガ造りの建築物が多く立ち並ぶ。大通りは橙色や茶色の建物が目立ち、様々な店屋が軒を連ねていた。道弥たちの住む市外とは景観が根本から違っている。


 依然として往来は絶え間なく続き、一見するだけでは賑やかな街並みだ。必死な呼び込みの声が幾つも聞こえ、腹の虫を唸らせる料理の香りが立ち込める。


 が、その本質は活気とは程遠く、彼らの暮らしも足跡すら全てがまやかし。


「そこの兄ちゃん! うちに寄ってかないかっ!」


 喫茶店の店員だろうか、緑色のエプロンを着用した男に声をかけられる。男は笑顔だが、両の瞳には空虚な光が漂っていた。道弥は会釈を返すとすぐに顔を背ける。


 誰も彼もがそんな顔で、頭上に『役割』を晒しながら、いつ終わるとも知らないママゴトを強いられている。


 問題が起きないのが不思議でならなかった。自分自身を含め、誰もが当たり前のように自身の『役割』に従って日常を送っているこの状況が、なんだか恐ろしい。


 窮屈に耐えきれず癇癪を起こす奴がいたとか、塀をよじ登ろうと暴挙に及んだ奴がいたとか、そんなあるべき噂すら欠片も聞かない。やはりこの頭上に浮かぶ『役割』が、何かしら超常の力を働かせているのか。詳しいことは不明だが、この約半年間で目立った暴動は一度たりとも起こっていないという現実が、奇妙で、気持ち悪かった。


 漫然とした足取りで街を進んでいくこと、数分。


 眼前のレストランから、突然人が飛び出してきた。


「うおっ……」


 デジャブかと思ったが、今度は人相もはっきりしている。四十代半ば程の、ぽってりとした腹の男だ。頭上には『国民C』の文字。豪奢な格好をした二人組に取り押さえられているのが、なんとも滑稽に映った。


「こ、この野郎! 離しやがれ‼」


 両脇を掴まれながらも男が唾を飛ばすが、どう見ても虚勢だった。それから拘束する二人組の頭上に『近衛兵』の文字が浮かんでいるのを見て、ようやく道弥も「ああ、なるほど……」と得心がいく。


 歩行者たちがなんだなんだと目を向ける。騒然とした雰囲気が場を支配する。


「皆さん、お騒がせしてすみません」


 レストランから温和な顔立ちの男が遅れて現れた。高い背丈を恐縮そうに折りながら入口の扉をくぐり、ぺこぺこと周囲に頭を下げる。


 途端、辺りの喧騒が強まった。


「見て、万城さんよ!」


「おいおい、こんなところに」


「今日はもう街に来てたのか……」


「わたし初めてみるかも‼ ラッキー‼」


「すげぇ、万城さんだ……!」


 万城創(ばんじょうはじめ)。


 その名を知らぬ者はこの国にはいない。


「すぐに終わりますので、皆さんはどうかお気になさらず」


 冴えない顔立ちに苦い笑みを浮かべながら、万城は平謝りを繰り返す。


「いってえな‼ くそ! こんな乱暴な真似していいと思ってんのか‼」


「黙りなさい」


 しかし暴れる男を見た瞬間、その眼差しは底冷えするようなものに変わった。


「ご自分がしたことを今一度思い浮かべても、そんなことが言えますか?」


「あの女が悪ぃんだろうが! 店員のくせに舐めた口聞きやがって!」


「彼女はあなたを注意しただけでしょう? 注文外のサービスを受ける義務はこちらにはございません、と言っただけです。私は見ていましたよ」


「ああ⁉ それがどうしたってんだ!」


 どうやらあの男は女性店員に無理な接客を求めたらしい。万城は仲裁に入り、男が暴れ出す前に取り押さえた、というのが、おおまかな流れか。


 男の顔に、反省の色はない。


「ここじゃ客の言うこと聞くのが店員の役目なんだろ⁉ てめえらの頭の上にも書いてあんじゃねえか‼ そのくそったれな文字がよ!」


 道弥は眉をひそめる。


「みんな犬みてえに従ってやがんだ‼ ここはそういう世界なんだよ‼ だからあの女も大人しく自分の役目に従ってりゃ」


「恥を知りなさい‼」


 鋭く、それでいて重く響く声だった。


 大音声の主は万城だ。温和な顔立ちからは想像できないような怒鳴り声は、騒然としていた周囲を一瞬で静まり返らせる。


「あなたの頭上に浮かぶそれは、他人から与えられたただの『役割』です。私たちの自由を阻害し、権利を剥奪するただの首輪。忌むべき鎖です」


「く、くさり……?」


「それを当然のように押し付け、あまつさえ権力のごとく振りかざすのは最も愚かな行為です。それは自らの権利を否定し、他人に縛られることを肯定することに他ならない!」


 男が息を呑む。


 道弥も、そしておそらく周囲の皆が、万城の言葉に圧倒されていた。


「不自由であることに甘んじるのは、大きな罪です」


「っ……!」


 万城は最後まで男を静かに見下ろしていた。


 その後、駆けつけた警備の者たちによって男は連行されていった。その姿を最後まで見送ると、万城は溜め息を吐く。


 事態の収拾がついても喧騒は鎮まらない。ひそひそと周囲の囁きが波となって押し寄せてきた。その好奇の中心に立つのは、言わずもがな万城創である。


「あ、あはは……」


 万城はぽりぽりと頭を掻くと、ぎこちない笑みで周囲を見回す。


 騒然としているが誰も彼に気軽に話しかけることはできない。当然だ。万城に無礼を働こうものなら、背後に控える『近衛兵』の二人に縛られ、速やかに先程の男と同じ運命を辿ることになるだろう。彼はそれ程の身分の上に立っている。


 万城の頭上、燦然と浮かぶ文字は――『国王』


 それは彼がこの『アバベル』王国の最高権威である何よりの証拠だった。


「困りましたね……」


 途方に暮れた視線が彷徨い、泳ぎ、やがてある一点で止まった。


「ああ、君は……」


(え?)


 万城が穏やかな表情で歩き出す。


 ……はいいが、どうしてこっちに来るのだろうか。


(嘘だろ)


 とは思ったが、万城とはばっちりと目が合ってしまっている。道弥はすかさず逃げ場所を探るが、人々がひしめく街道にそんなものはどこにもなかった。


「確か、『ヤドカリ帽子』の店員さんですよね?」


「へ? あ、はい。そ、そうですけど……」


「覚えていますか? 僕、一度足を運んだことがあるのですが……」


「は、はい……」


 覚えていないわけがない。あの日は店長がいつにも増して怖かったのだ。


「そのときに食べた料理の味が忘れられなくて、時々無理を言って、店長さんに料理を城内に運んでくださるようお願いしているんですよ」


「そ、そうなん、ですか……」


 知らなかった。確かに店長は時々姿を消すが、裏にそんな事情があったとは。


「あの料理を作ってくださる方に、いつか直接感謝を言いたいと思っていたのですが、もしや、店員さんが……?」


「い、いえ。あれは俺じゃなくて……」


 思わず目が泳ぐ。道弥自身、べつに万城に対して特別畏敬の念があるわけではないのだが、『国王』という『役割』を視界に入れるたび、何故か身体が強張ってしまうのだ。


「そんなに緊張しなくていいんですよ」


 そんな道弥に、万城は眉尻を下げて言う。


「『国王』なんて名ばかりで、僕なんて大した人間じゃないんですから」


 いつもわざわざ街に降りてきて、街の様子を見に来てくれる『国王』なんて、そうそういないと思うが。


 道弥がそんな旨を口にすると、万城は笑って、


「城内には気の置けない相手なんていませんし、一日中護衛と一緒で本当に息が詰まりますからね。そもそも城にいてもやることなんてないですから、街に出るのは僕の息抜きみたいなものですよ」


 不敬で口には出せないが、冴えない顔立ちには苦労人の表情が似合っていた。


「あっちの世界では、僕はしがない平社員でした。ただ自分のために生きるだけで精一杯な、どこにでもいる平凡な男でした。だからなのかもしれませんが、こうして今誰かのために働くことができることは、とても嬉しいことなんです」


「それが……他人から与えられた『役割』でも、ですか」


 万城は目を丸くした。


「……これは、一本取られました。いやはや、なんとも矛盾ばかりですね。僕も」


「す、すみません。差し出口で……」


「いえいえ。店員さんは正しい」


 王様相手に何を言っているのか。自らの言動を思い返し、道弥は冷や汗を掻いた。


「ですが、どうかわかってほしいです。僕は不自由に甘んじているつもりはなくて、ただこんな世界ですから、皆さんと助け合うためにも、まずは自分にできることをしたいと考えているだけなんです」


「……はい」


 毎日のように城から降りて、街を偵察して回って、今回のように綻びが見えればそれを正すために権力を行使する。万城創は矛盾のなかで国民を救おうとしている。


 『役割』も量産型でなく、唯一無二だ。


 この人もきっと天音と同じ、舞台の上に選ばれた者なのだろう。


「さて、それで一つ。店員さんに聞きたいことがあるのですが」


 不意に声を潜め、万城は真剣な顔をつくる。


「聞きたいこと、ですか?」


「はい。実は最近国内に妙な動きがありまして、多く人と関わる職業の方々に、聞き込みをして回っている最中なのです」


 なるほど。だから道弥に話しかけたのか。


 本命がべつにあることを知って、妙に安堵してしまう。


「妙な動きって……」


 が、次の瞬間には、息を呑むことになった。


「誘拐事件が起こっている可能性があります」


「……え?」


「証言はまだ少数なのでまだ確証はないのですが、ある日突然、国民の方が姿を消したという話が、少数ほど……」


 囁くような小声でもたらされた話に、道弥は言葉を失う。


「なのでとりあえず被害者を明らかにするため、最近、急に店に来なくなったお客さんがいないか、聞き込みをしているというわけでして。店員さんは、心当たりは?」


 道弥は反射的に「いや……」と首を横に振ろうとして、


「……あ」


 あることに思い至り、顔色を変えた。


「店員さん……?」


「いや、その……本当に、ついさっきのことなんです、けど」


 路地裏ですれ違った、外套で身を隠した二人の男たち。風体からして怪しい彼らの姿が突如として脳裏に蘇った。


 まさか……。


 彼らが二人掛かりで持っていたあの麻袋も、今思えば、丁度人が一人入るくらいの大きさだったような。だとすれば、あの麻袋の中身は…………。


「……なるほど」


 呆然と先程の光景を語る道弥に、万城は神妙な顔で頷いた。


「それで、君はどうしたんですか?」


「え?」


「だから……誘拐現場に遭遇したんですよね? 君は、何をしていたのですか?」


「や……そ、その」


「……?」


「あのときは、だって……」


 言葉は尻すぼみになり、声にならない言い訳が喉の奥でわだかまる。万城の顔を直視できず、逃げるように視線を彷徨わせた。


 万城は、その様子に悲しそうな表情を浮かべて、


「すみません。無理を言いました。店員さん。どうか忘れてください」


「い、いえ……」


「貴重な情報をありがとうございます。では失礼」


 さっさと踵を返して万城はその場を去った。


 遠ざかっていく彼の背中を、有象無象の一人として道弥は見送った。



 

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