第5話 シュヤク


 それは、ほとんど無意識に漏れた呟きだった。


 しかし天音たちの耳にはしっかり聞こえていたようだ。


「なに? 主人公?」


「え? ああ、えっと……」


 咳払いを一つ。


 脳裏をよぎったのは単なる思い付き。到底誰かに聞かせられるような代物じゃない。


 けれど、どうせ自分の思考なんてどこまでいっても凡庸なのだ。鼻で笑われるような案で恥を掻いても、今更減るものもなんてないかもしれない。


 道弥は頭を掻きながら言った。


「まあ、なんだ……本当に物語を終わらせるのが目的なんだったら、その物語を進行させる『主人公』の『役割』を持った奴だって、どこかにいるかもしれないって、思ったんだ。ただの思い付きだが」


「ぁ……」


 目から鱗が落ちたような天音の顏が、道弥には逆に不思議だった。


「だ、大体、この世界って変だろ。テレビはないけどコンロはあったり、ファーストフードはないけどクリームシチューはあったり、文明レベルとか曖昧で、歴史を示すようなものがあったりするわけでもねえし……」


「確かになぁ、ここにあるのは必要最低限な情報だけだな」


「でも『役割』に関しては結構細かく決めてるんだ。これって要するに、ヤツが俺たちの動きに関して強いこだわりを持ってるってこと……じゃないか?」


「なるほどなぁ」


 太い腕を組んで冴木が唸る。


「わざわざ数万の人々を呼んで、その一人ひとりに役を割り振って、『アバベル』って舞台の上に適当に配置して……、俺たちにだけそんな手の込んだ真似をするのは、たぶん自分が物語の最初の目撃者になるため、なんだと思う」


 もしくは視聴者だろうか。


 超越者の思考が娯楽的な方向に偏るのは、ある意味テンプレートだ。


「その指標になるのが、『主人公』ってわけか?」


「あ、ああ……物語に『主人公』がいるのは、あたりまえだからな……」


 主人公のいない物語などない。


「その『主人公』がどう動いて、その結果どんな物語をつくられるのか。ヤツの目的はそこにある。……のかもしれない」


 作家気取りのくせに読者としての娯楽をも求める。


 その傲慢さもまた超越者ならでは。


「そっか……なるほど……」


 黒いフードの奥で天音が静かに頷く。


「じゃあ、その『主人公』さんに私たちが協力すれば、物語を終わらせられる可能性も、上がるかもしれない、ってことだね」


 (え?)


「い、いや、ちょっと待ってくれ」


 これからの指針を考え始める天音に、道弥は焦った。


「い、今のは単なる思い付きだ。信憑性の欠片もない妄想なんだから、そんな簡単に鵜呑みにしないでくれ……!」


 キーワードから思考を派生し、アドリブ的に理屈をこねくり回してとりあえず形にしただけの言葉遊びでしかないのだ。そこまで真に受けられるとこちらも困る。


「ふふふ……」


 しかし天音は何が可笑しいのか、手で口元を隠しながらくすくすと笑っていた。


「大丈夫だよ。私たちが期待していたのは、まさにその妄想なんだから」


「……は?」


 首を傾げる道弥に、天音はまた笑みを漏らしながら、


「私ね、本当はこの世界で再会するまで、道草くんのこと、ずっと忘れてたんだ」


「え?」


「ごめんね。自分でも薄情だって思うんだけど、べつに私たち、仲が良かったわけじゃないし……たぶん、ちゃんと話したこともなかった……よね?」


 若干不安そうに同意を求められ、「あ、ああ……」となんとか頷き返す。


 天音とは中学まで一緒の学年だったが、お互いに満足に会話も交わしたことはなかった。


「だからこの世界で再会したときも、実はあんまり久しぶりって思わなくて」


 天音も、こちらと同じ気持ちだったらしい。


「でも、道草くんのことで、ちょっとだけ覚えてることもあったんだ」


 最近思い出したんだけどね、と天音は続けて、


「道草くん、一度授業中に眠っちゃって、それを先生に怒られてたことあったでしょ? あのとき道草くん、急に突拍子のない言い訳をし出してさ」


「あー……」


「クラスのみんなも呆れてそれを見てるんだけど、何故か最後には、先生を説得させちゃったの」


 そんなこともあっただろうか。あまり覚えていないが。


「クジ引きで学級委員長に選ばれそうになったときなんかも、いきなり無関係なこと言い出して、でもそれを上手くこじつけて、結局他の人に委員長を押し付けてた」


「クソ餓鬼じゃねえか」


「う、うるさい……」


 学級委員長なんて重責、絶対に負いたくなかったのだから仕方ない。


「私思ってたんだ。この人、なんてずる賢い人なんだろうって」


「……全く覚えてない」


「そうだよね。でも、それって才能だと思うの」


 褒められている気は微塵もしなかった。


「道草くんは理屈だけを見れる人だから。一度考えてもらったら、とりあえず答えだけはくれるんじゃないかって、思ったの。私たちは今、どう動けばいいか、指標すら立ってなかったから。それを期待して」


 つまり、要するに。


「俺はとんだ屁理屈野郎ってことか……?」


 こんなとき、どんな顔をするのが正解なのか。道弥にはわからなかった。


 冴木が感心したように息を吐く。


「ナントカとはさみは使いようってのは、よく言ったもんだが。なるほどなぁ。……へのついた理屈でも役に立つときはあるってこった。流石は団長」


「喧嘩売ってるのか?」


 納得がいかない。この釈然としない気持ちのやり場を教えてほしかった。


「ふふふ……」


 天音は口元に手を当てながら微笑ましそうに顔を綻ばせるのだった。






「それで、さっきの話なんだけど」


「ああ……」


 まだ温かい珈琲を飲んで気を取りなおすと、もうどうにでもなれと若干投げやりな思考で、道弥は補足し始めた。


「と、とりあえず物語を終わらせるために『主人公』役を探してみるのなら、それでいいと思う。ただ、それともう一つ、重要なことがある。……たぶん」


「重要なこと?」


「ああ……物語には基本的な流れってやつがあって……例外を加味せず平たく言えば、話のなかで必ず何か『問題』が起こって、それを『解決』に導く。っていうプロセスがあるんだ」


「……? なんか、詳しいね? 道草くん」


「い、いやいや、普通だから、普通……」


 かつて小説家志望だった頃の幼い自分は、記憶の奥のほうに封印してある。


「ってーとー、つまりは、その『問題』ってのがこの国で起きてねえか、調べればいいってことだなあ?」


「問題ならもう起こってるよ? 私たちがこの世界に閉じ込められちゃってるし」


「そういうメタ的なのはないと思うが……」


 それなりに大きくて、そこそこ現実的な『問題』がベターだろう。


「んー……そんな『問題』が起こってたら、もう私の耳に入ってると思うんだけど……でも、とにかくわかったよ。探してみる」


 具体的な指標が決まり、天音はぐっと拳を握る。


「ありがとう。道草くん」


 ……とりあえず、期待には応えられたらしい。


 道弥は席を立つ。


「ああ、そうそう。佐藤ってすごく他人行儀だし、私のことは天音でいいからね?」


 返事はせず、道弥は『ミケネコ』を後にした。






 相変わらず路地裏の道は建物がひしめきあっていて光が届かない。


 時刻はまだ昼間で、空は青く快晴なのに、路地は暗くじめじめとしている。


 一歩踏み出すたび、自らの足音が不気味なほど響き渡った。


 来るときも思ったが、やはり一人で立ち入るべき場所ではない。


「期待、か……」


 天音の言葉を反芻する。


 誰かに期待されるなんて、今まで一度もなかった。ましてや誰かの助けになれたことなど、皆無と言っていい。


 そのせいだろうか。妙に落ち着かない気持ちだ。


 べつに。少し期待に応えられたくらいで、調子に乗ったりなどしていない。


 天音はああ言ったが、べつに道弥が考えなくても、そのうち『主人公』のことは誰かが思い至っていたことだろう。所詮は観客席の住人が考えること。ステージの上で舞う彼らの一助になれたからといって自惚れてはならない。


 ただ。


 少しだけ、少しだけだが、ステージの上の住人の感覚を知れた気がして。


 心が興奮しているのは、否めない。


「……おい、急げ」


 その声が聞こえたのは全くの偶然だった。


 息を殺したような囁きは、賑やかな街中であれば気にも留めない程度の小声だったが、物音一つしない路地裏であって特に響いた。


 同時に路地を駆ける足音が近づいてくる。数人の足音にはまるで何かから逃げるような焦燥感があって、ただごとではない雰囲気が伝わってくる。


「……っ‼」


 眼前の角から飛び出す、二人分の人影。


 道弥は慌てて後ずさった。


 黒い外套を纏った二人はどちらも背が高く、人相の判別はつかないが男性であることは明らか。荷物にしては大きな麻袋のようなものを二人掛かりで持ち上げている。

道弥の存在を認めるや男が大仰に舌打ちをしたが、急いでいるのか、いっそうスピードを上げて、すぐに路地の角に消えていった。


「な、なんなんだ……」


 妙な胸騒ぎがして、道弥はさっさとその場から立ち去ることにした。



 

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