第3話 アバベル
大国——『アバベル』
あの謎の生命体――『ルーラー』と名乗っていた――が創造したらしいこの国は、そんな名前で呼ばれているようだった。創った本人が言っていたのと同じ名前なので、これが間違いであることはないだろう。この名前がどういう意味を持つかは、考える気にはならない。
そしてこの国はこの世界の全てだった。これは『アバベル』がこの世界の要所であるという意味ではなく、そのままの意味。なんとこの世界は、この大国『アバベル』のみで完結しており、どうやら国の外は存在していない可能性があった。
大国を取り囲むのは高い塀であり、それより向こうへは物理的に侵入できない。試した者がいるとかいないとか、どうにも情報は錯綜しているが、この半年間の人の動きを見るに塀の外へ出ていく、もとい出られた者はいなかった。逆も然りで、この塀の外から誰かがやってきたなんて情報は今のところ道弥の耳には届いてこなかった。
要するにここは監獄だった。
どんな意図があるのかは今を以て判っていないが、『ルーラ―』と名乗るあの超越者は、あちらの世界から無差別に人々を攫い、この世界に強制的に閉じ込めて、一人一人に『役割』を与えることで何かを企んでいるらしい。というのが現状、あまねく広まっている毒にも薬にもならない皆の共通認識だった。
「ありがとうございましたー」
午後に訪れた最後の客を見送る。
見回すと店内に客の姿はない。夕方になるとまた客足は増え出すが、ひとまず羽を休める時間が生まれ、道弥は裏で梅雨里にまかないでも作ってもらおうかと考える。
「おい若草‼ 今のうちに箒掃いとけ‼ 塵一つ残すんじゃねーぞ‼」
「え? でも俺今から……」
「ああ⁉ なんか言ったかぁ⁉ まさか口答えする気じゃねぇだろうな⁉」
「滅相もございません!」
お叱りを受け、道弥はさっさと裏から箒を持ってくる。
「……はぁ」
店内を掃除しながら溜め息を一つ。
——お前にはやる気が感じられない。
昔から何度も言われた言葉だった。そしてそれが的を得た言葉であることも、道弥は自覚している。
いつだってそうだった。何に対しても気力が湧かず、基本的には他人任せで、面倒ごとは極力避けてきたのだ。
(俺がいなくても世界は回る)
約十八年生きてきて道弥が得た結論がそれだ。もしくは教訓か。
何かをやらなくてはならないときでも大抵の場合、自分より上手くこなせる奴がどこかにいて、どう試行錯誤したところで自分は絶対にそいつを越えられない。
だったら自分がやる必要はない。
平凡な『国民B』は、もしかすると自分に相応しい役割なのかもしれない。
――カランッ。
ベルの軽快な音が来客を知らせる。 道弥は顔を上げた。
「いらっしゃいませ……」
入店して来たのは無精ひげを生やした大柄な男だった。年齢の程は四十代前半くらいに見えるが、浅黒い肌の艶はまだ三十代の輝きを残している。白シャツに黒のベスト、同じ黒の蝶ネクタイといった服装は、何度見ても似合っていない。
「よぉ、坊主。相変わらず不景気な顔してやがるな」
「…………冴木(さえき)」
「冴木さん、だ。年上は敬いやがれ」
白い歯を見せながら気持ち良く笑う。
道弥は溜め息を吐いた。
「何しに来たんだ。ここはあんたみたいな奴が来るような場所じゃないぞ」
「そうか? 俺んところとたいして変わんねえと思うがなぁ」
「裏と表じゃ棲む世界が違う」
「違わねえよ。場末の酒場だろうがレストランだろうが、同じクソッタレな世界の一部だ」
口が減らない男である。
マンバン、と呼んだだろうか。深めのツーブロックが入った黒のお団子ヘアは一見ストリートっぽい雰囲気を醸し出すが、この男だとアウトローっぽい空気しか感じない。
頭上には――『国民G』の文字。
その素性は『裏路地の酒場の店長』という設定になっていた。
表向きは。
「……本当に、何しに来たんだ」
「これだよ、これ」
冴木が懐から取り出したのは、一枚の紙きれだった。
「ラブレターだ。憎いねえ、このモテ男がよお」
「ふざけてんのか」
こんな厳つい男からラブレターとか、どんな罰ゲームだ。
「ってのは冗談で、本当は団長からの手紙だ」
「団長って…………佐藤(さとう)か」
「おう。まあ要らねえって言うんならゴミ箱にでも捨てとけよ。どうせお前にゃできねえだろうがな」
強引に紙きれを押し付けると、冴木はカウンター席へ座ろうとする。
「おい。用件済ませたならとっと帰って……」
「冴木さん‼ 来てたんですか‼」
背後から黄色い悲鳴。振り返ると、難波晶子もとい店長が歓喜の表情を浮かべながらこちらへ飛んでくるところだった。
「おう、久しぶりだな。晶子ちゃん。元気そうでなによりだ」
「はい‼ 冴木さん、今日は何をご注文されますかっ?」
「なんでもいいぜ。ここの料理はなんでもうめぇからなー」
「いえいえそんなぁ……」
猫撫で声を上げて店長は身体をくねらせる。いつもの強面はどこへやら。鼻の下も伸びきって見ていられない。そういえばライオンってネコ科だったっけ。
(ああいうのをなんて言うんだったか。……枯れ線?)
やはり、この世界はおかしい。
明日の十時。『ミケネコ』に来てください。
待っています。
佐藤天音(さとうあまね)より。
店の外で一息つきながら紙きれを開くと、綺麗な筆跡でそう書かれていた。 ご丁寧に差出人まで書かれ、時刻まで指定されている。
「……読むんじゃなかった」
「どうしたんですか?」
一緒に休憩していた梅雨里が紙切れを覗き込んでくる。
「佐藤天音さん……たしか同級生の方でしたよね。道弥さんの、中学時代の。この前、偶然再会したとおっしゃってましたが」
「ああ。まあ……」
「読むんじゃなかった、って。どうしてですか? 親しい仲なんですよね?」
「まさか。……たしかに同級生だったけど、仲が良かったことなんてない。そもそも話した記憶すらない。ほとんど他人だ」
(なのに……)
道弥は溜め息を漏らすと、さっさと紙切れをポケットに仕舞う。
「もしかして行かないんですか? 道弥さん」
「べつに……一方的に呼びつけられて、素直に応じる義務はないだろ」
「でも明日は休みで、特に用事はありませんよね」
それは、そうだが。
「どうしてそこまで旧友を拒むのでしょうか? 私には、すごく不思議です」
首を傾げる梅雨里から目を逸らし、道弥は黙り込む。
天音が現在抱えている事情は少々複雑だ。その辺りを無関係な梅雨里に説明していいものか、判断がつかない。
「いてっ……‼」
と、子供の苦鳴に顔を上げれば、眼前の噴水広場で遊んでいた保育園児くらいの男の子が膝をついている。男の子は目尻に涙の粒を溜めたかと思えば「うぁああ‼」と堰を切ったように泣き始めてしまった。頭上に浮かぶのは――『国民N(弟)』の文字。
「はぁ? こんなんで泣くなよ……」
隣に立っていたのは『国民N(兄)』の文字を頭上に浮かべた、小学校低学年くらいの男子である。泣き喚く男の子を呆れた表情で見下ろす男子は「うるせーな。早く泣き止めって……」と途方に暮れている。
親は何をしているのか。
探すと、それらしき人物はすぐ見つかる。
その二人の男女の頭上にも『国民N(父)』と『国民N(母)』の二つの文字が浮かんでいたのだ。『父』の男は噴水を隔てた向こう、子供たちからは幾分離れた位置のベンチに座って必死に無関係を装っており、隣に立つ『母』の女性は子供たちを心配そうに見つめながらも、どうしていいかわからない様子だった。
「……どうしようもないな」
ああいった光景はこの世界では珍しくない。
役割上の関係を強いられた仮初の家族は、実質的には赤の他人だ。だから子供は泣き喚くし、兄貴は面倒がるし、不慣れな親はああして立ち竦むしかない。
誰も彼らを責められない。この世界の皆は大なり小なり苦悩を抱えているものだ。自身の『役割』と上手く折り合いをつけられず、近しい『役割』の誰かと曖昧な関係のなかで、ひたすら神経を擦り減らしている。
この世界を象徴するかのような親子の姿に、道弥は同情の眼差しを送った。
が。
「——大丈夫ですか?」
気が付くと、子供の傍には梅雨里の姿があった。
泣き喚く子供のそばに屈み、梅雨里は優しい笑みを浮かべる。「怪我はありませんか?」と頭を撫でて子供を落ち着かせてから『兄』の男子を見上げる。
「弟が泣いているときはこうやってすぐに頭を撫でてて、安心させてあげるのがお兄ちゃんの役目ですよ」
「べつに……、こいつ俺の弟じゃねえし」
「でもこの子はあなたより小さくて、あなたより身体が弱いんです。誰かが協力してあげないと自分で自分を守ることすらできません」
ささくれ立った心を溶かすような、それは優しい口調だった。
「あなたも親がいなくて不安なのでしょう? 助けてくれる人がいないのは、とても寂しいですよね。わかります。私もそうですから」
「……お姉ちゃんも?」
「ええ。みんな、ひとりぼっちなんです。だからこそ誰かが端っこからはぐれてしまわないよう、お互い手を取り合っていく必要があります」
そう言って梅雨里は男の子の手を握る。
「これ以上ひとりぼっちが増えないようにするのが、あなたの役割ですよ」
「綺麗事だな」
家族が広場を去ってから道弥は口を開く。
「いくら兄貴が弟を守るようになっても、あの兄貴を守ってやる奴らがいないと、次にはぐれるのは結局あいつだ」
「先ほどの二人のことですか? ええ。確かに、そうかもしれませんね」
「なんで余計なお節介をかけるんだ? 関係ない奴を気にかけてやる余裕なんか、おまえにもないはずだろ」
「……ふふ」
隣を向くと、梅雨里は口元に手を当てて笑みをつくっていた。
「なんだ。なにがおかしい?」
「いえ。すみません。心配されているのだと思ったら、なんだか嬉しくて」
道弥は目を見開く。
梅雨里は柔和な目元を細めて、先程まで子供たちがいた噴水の辺りを見つめた。
「子供は好きですから、ついお節介を焼きたくなってしまいます。偽善だと言われても仕方ありません」
「……」
「ですが……無駄なことだったとは私は思いませんよ。あの子が変わるだけで、何かが変わってくれるかもしれない。それはもしかしたら、私たちにとっても希望かもしれませんよ?」
梅雨里の言葉は、道弥には綺麗事に思えた。
「あいつらが変わっても、俺たちがこの世界から脱出できるわけじゃない」
「さて。それはわかりません。可能性はゼロではありませんから」
「梅雨里……」
「現状を嘆くだけでは何も変わりません。道弥さんは、そう思いませんか?」
聡明な光を宿した瞳が、道弥を映す。
「……店に戻る」
道弥は逃げるようにその場を後にした。
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