師走―5

「遺体が見つかった」

「……えっ……え?」

「所持していた身分証から人物が特定された。瀧嶋琴音だ」


 おおよそ理解できない言葉の羅列に感じました。だって今、この部屋の中に居るのは瀧嶋琴音さん、その人のはずです。さっきまで顔を合わせて会話していた人物が遺体になっているなんて、そんな事あるはずがない。

 私は部屋の戸を開けて室内に入りました。モデルルームのように美しく整えられたリビングには息を切らしている颯くんと勧修寺先生、俯いた姿勢でソファに座る琴音さんと、その姿を庇うようにしている瀧嶋さんがいます。颯くんの視線の先には白いワンピースの女性の姿がありました。お札の効力のせいか、時折風が吹くようにゆらゆらと薄くなったり濃くなったりを繰り返しています。

 私は、その時気付いた事実に息を飲みました。

 この二人の女性がほとんど同じ顔立ちをしていることに、颯くんは気が付いたでしょうか。よく似た姉妹、という言葉では足りないくらいに瓜二つの姉妹。つまり、この二人は。


「双子、だったんですね」


 ソファに腰かけている女性が弾かれたように顔を上げました。

 そう考えると辻褄が合うのです。白いワンピースの女性がゆっくりとこちらに体を向けました。その瞳から私の胸の中に、悲しみを湛えた感情の波が流れ込んできます。


「あなたが、琴音さんですね」


 白いワンピースの女性は、問いかけを肯定するようにふわりと一度大きく揺れました。ワンピースに縫い付けられたガラスビーズのひとつひとつが輝いて、それから、琴音さんの声が私の中に届き始めました。



 *



 あの日、この部屋のインターフォンを鳴らしたのが妹だったこと、本当は少しだけ嬉しかったんです。私は良い姉ではありませんでしたから。先に拒絶したのは私の方だったことを、忘れてません。

 妹は私の暮らしぶりを見にきたようでした。結婚式以来に顔を合わせた妹でしたが、少し痩せたように見えました。おまけに、ファンデーションで入念に隠しているようでしたが、頬に大きめの傷があるようなのです。ダイニングテーブルに向かい合って座った時、光の加減で気が付いた私は驚きまして。


「柚葉ちゃん、それ、どうしたの?」


 思わず声に出すと、妹は顔を伏せました。


「お姉ちゃんには関係ないわ」

「でも、だいぶ大きい傷よ?」

「……うるさいな」

「ねぇ、良いお医者さん、紹介しようか?」

「うるさいって言ってるのっ!」


 バンッ! 両手の平をテーブルに叩きつけた妹がそのまま手元のティーカップを中身ごと私に投げつけました。熱さと痛みで驚いて動けないでいる間に、すぐ真横に妹が来ています。背後で椅子の倒れる音がして我に返り、顔をあげるとちょうど妹の手が私に向かって伸ばされたところで、それは全く躊躇せずに私の首を絞めました。

 やめて。離して柚葉ちゃん。言葉は声にならずパクパクと口を動かすだけで、たちまち頭の中にチカチカと金色の光が満ちていきます。テーブルから滑り落ちたティーカップがカーペットにシミを作っているのが見えました。でもだんだんと視界は白くなっていきます。柚葉の顔は泣いていました。泣きながら、息だけの声で呪文のように唱える言葉が耳に届きます。

 同じ顔はいらない。私はひとりでいいの。私は私だけでいいのに。いらない。姉さんなんていない。最初からいなかった。いなかった。

 抵抗していた手の力が抜け落ちていくのを感じながら、そこで私の意識は途切れました。


 次に気が付いた時、マンションのエントランスに立っていました。帰らなくちゃ。そう思うのに身体が上手に動かせません。おまけに部屋には妹がいる。妹は私の服を着て、私の鞄を持ち、私のカップでお茶を飲んでいる。誠太郎さんは気が付かない。柔らかく笑いかける妹に魅了されているのか、もしかしたら元からどちらでも良かったのかも知れません。

 私は少しずつ柚葉ちゃんの近くに行くことが出来ました。今日は三階、明日は四階。近くなるにつれて柚葉ちゃんの顔に影が差し始めましたが留めることは出来ません。柚葉ちゃん。ねぇ、お姉ちゃんだよ。ここにいる。ねぇ、今日はまた近くなったよ。柚葉ちゃん、塞いでいるのね。可笑しな子。柚葉ちゃん、なにをそんなに怯えているの? 柚葉ちゃんが始めたことじゃないの。ねぇ、自首をしたらどうかしら。そうじゃないとあの人たちが着いてしまう。見えてしまう。柚葉ちゃんもう時間がないみたい。柚葉ちゃん。ねぇお姉ちゃんだよここにいる。柚葉ちゃん泣かないで。柚葉ちゃん。柚葉ちゃん。



 *



「……けまくもかしこき 伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ

 筑紫つくし日向ひむかたちばなの …………」


 気が付くと、颯くんが祝詞を唱えているところでした。いつの間にかいくつもの涙の筋が頬を伝っていて、私はそれをこっそりと拭います。

 鞄からそうっと小瓶を取り出して蓋を外しました。琴音さんの姿はもう既に全体が淡く光を帯びていて、端の方から静かに粒状の流れに変化し始めています。これを瓶に納めなければいけません。


「……はらたまきよたまへと もうす事をこしせと

 かしこかしこみももうす……」


 颯くんの祝詞の余韻と鳴らした水琴鈴の残響が消える前に、琴音さんだったものが綺麗な糸を紡ぐように綯われ、撚り集まり、球形に溜まり始めました。ゆっくりと近寄って小瓶を傾けます。光を全て小瓶の中に収めると蓋をしました。いつものように颯くんが軽く息を吹きかけて封が完了です。

 鞄にそれをしまう時、私はもう一度だけこっそりと頬を拭いました。

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