勧修寺双樹―3

「本館東、本館東……」


 口の中で唱えながら通用口をすり抜けて、バタバタと足音をさせて角を曲がる。歩道は数名の通行人が群れをなして埋めていて、僕はその横を「ちょっと失礼」「通りまぁす」と細かく声掛けしつつ通過する。どうやらこれは外国人観光客だったようで、意味が通じていたのかいないのかは定かでは無い。たぶん僕の勢いに押されてくれたんじゃないかと思う。人間、勢いは大事だよ。

 普段は見ないアングルからの庁舎の眺めは不思議なもので、こんな所に窓があるのかとか、外壁はこんな明るい色してたっけとか、僕の思考は落ち着かない。もしかしたら、これじゃ颯くんに怒られるんじゃなかろうか。そう思い至って首をすくめた。うん、たぶんそうだ。怒られる。


「えーっと、お札を掲げて」


 和紙でできたそれなりに厚みのある細長い紙。それにはものすごい術式が封じ込められているらしいのだけど、僕にとってはただの紙なんだよね。けれど、そう思ってはいけない。何しろこれを大真面目に取り扱っている人々が僕の身の回りにはたーんと居る。颯くん、梅小路さん、胡桃沢さん。颯くんのご実家もそうだし、それに僕の実家の面々は皆一様にこういった類のものを扱い慣れている。

 実は僕の父も母も視える人だ。

 僕が母の胎内で一緒に居た兄だか弟だか、ひょっとしたら姉か妹も、その素質があった。素質と言うか、既にがあったのだ。一族がみんな期待にワクワクと胸を躍らせるほどに強い力があったのだそう。

 でも彼だか彼女だかは、その力を遺さず持って出かけて行ってしまった。その時の親族の落胆と言ったら、祖父なんて残り少ない頭髪が一夜にして消失したと聞く、なんて酷い。

 それだったら僕にちょっとくらいくれても良かったのでは。狭量だぞ、と僕は何度も胸の中で抗議したものだが、それも今となっては仕方のない話だ。


 颯くんが現場で祓っている時、僕には何も見えていない事がどれだけ不満か、彼らにはわかるまい。

 聴き取りをして、分析して、恐らくこういう事だろうと思い当たる情報を発信して。そこから颯くんがやっと何が見えているのかを教えてくれて、僕に集積された知識の中から状況の更なる分析とその結果に見合う方法を推理して、提案した方法を用いて颯くんが祓う。

 確かに、颯くんが水琴鈴を鳴らしたり祝詞を唱えたりすれば、何と言うか、その場の空気がになる、という体感はあるのだ。依頼者のも僕は認識できる。祓いを終えた後の颯くんの疲労感も、あの小瓶が納められている棚の戸が自分じゃ開けないことも、全部解る。

 けれど僕には見えていない。



「適材適所だよ、颯くん」

「はぁ? 適材だと?」


 四年前だった。あの日、途方に暮れているらしい颯くんを僕はこの対怪異浄化情報収集室に勧誘した。それはもう、力一杯に。

 僕らはとある怪異に遭遇していて、見えていて闇雲に祓おうと手こずる颯くんと、何も干渉できないのに方法だけは思い当たる僕とが、初めてタッグを組んだ出来事だった。読みは見事に的中し、とりあえずの難は逃れたものの颯くんは結構なダメージを受けていた。それにプライドも傷ついたんじゃないかと思う。


「俺みたいなのが適材だとしたら、その適所とやらは相当イカれてる」

「否定はしないね」


 絶句した颯くんに僕は好機を見た。これは逃さず落とすしかないだろう、って。だから押した。颯くんの背中を。勢い良く。


「じゃあ意地の悪い言い方をしようか。これから先、君にはこの類の怪現象がわんさと押し寄せるだろう。いや、僕には解る。だって君は優しいから。優しい人のところに困ってる輩が吸い寄せられるように集るのは、生きてるのもそうでないのも同じさ。そうした時に今回のように怪現象を解きほぐして、分類して、正しく効率の良い方法で対処が出来る自信が君にはあるかい?」


 颯くんは答えない。座り込んだ姿勢のままで、ただ視線を落としている。


「もしも無いのだとしたら、どうだろうか、僕の所に来て経験を積めば、いつかは僕なんかに頼らずとも、君ひとりで、的確な対処が出来るようになるだろう。その時になって君がここを出たいと言うなら勝手にしたらいい。僕はサンプルが欲しいだけだからね」


 おまけに給料も出る、と付け足す。うーん、あと一押しかな。


「それにね、食事は悪くないのだよ、ここの食堂。定食は日替わりでなかなか旨いうえにご飯大盛り無料。米は農林水産省お墨付きのブランド米だ。何なら甘いものだってある。あぁ、生クリームには一家言ある僕でも驚きの北海道指定牧場謹製ホイップがオススメだよ」

「…………つべこべとうるせェよ、先生は」


 あれは今まで僕が聞いた中で一番捻くれた了承の返事だったと思う。視線は落ちたままだったけれど確実に見えたのだ、颯くんの口角が少しだけ持ち上がったところが。



 未成年だった颯くんを臨時扱いとは言え公務員枠に引き込むのはわりと苦労したものだけど、胡桃沢巴の手腕でその辺りはあらかたクリアされた。おかげでまた彼女に借りが出来たんだけど、そこはまぁ、あれだ。うん、颯くんにも背負って貰うとして。

 あぁ、またほら、こうやって気持ちが迷走してしまう。颯くんに怒られるし、場合によっては胡桃沢さんにもどやされるかも知れない。梅小路さんだって最近は怒る時は怒るから、危ない。集中だ。


「頑張れ、颯くん……」


 歩道の街路樹をざわざわ言わせながら吹いてきた風にぺらりと翻るお札を掲げたままで、僕は静かにエールを送るしかない。頑張れ颯くん。負けるな颯くん。人間、勢いが大事なのだよ。そして勢いついでに、僕にも興味深い結果を見せてくれ。

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