烏丸颯
屋敷から出られないとわかった瞬間はさすがに驚いたものの、七人ミサキに取り込まれるにはタイムラグがある。それは以前に先生から聞いた覚えがあるので把握していた。だから気付けた部分もある。
きっと浄化室の誰かしらが自分を迎えに来るだろうとも思っていた。なるべく玄関付近に留まりたかったけれど、魂だけの状態と言うのはなかなかに不便で、七人ミサキの移動につられて、自分までもがふらふらと動かされる羽目になってしまった。
「……くっそ忌々しい」
あとできっちりお返ししてやる。そう思うくらいには元気だ。足元が比喩ではなくふわふわと浮き立つようで、なんとも居心地が悪い。
怪異たちは元居た奥座敷に入り、襖をぴっちりと閉め、その中で自分は下座につく。これから儀式的な何かが行われるらしく、その後に最古参が成仏し、新入りが加入させられる流れになるらしい。襖を閉める数秒前のタイミングで、また例の子供がこちらを覗いているのが分かった。表情は読めない。この家の怪異の中では古そうだ。
七人ミサキの上座にいる一人目と、二人目、三人目くらいまでは見るからに時代が古そうな雰囲気がある。七人目と六人目は恐らく警察官と自衛官だろう。二人ともかなり良い体格をしている。
助けが来るまでに自分でも何か出来ることをしておきたい。考えろ。考えろ。七人ミサキ。先生はなんて話してた? たしか、由来は水難事故。水辺の祟り神。水辺の神はだいたいが龍神だから、それ由来の呪を解くとしたら?
儀式は目の前で着々と進んでいく。
三方の上に椀と箸が置かれて、
続けて
「……お願い、します」
声が聞こえて、続いて襖がおずおずと開かれる。隙間から覗いたのはさっきの子供。そうか、こんなにはっきりと屋敷に干渉出来るってことは付喪神か。それを認識した次の瞬間には、後ろにいた翠子が襖にぶつからんばかりの勢いで奥座敷へと滑り込んで来る。それから、大あわてで七人ミサキへ向けて結界札を行使し、弱いながらも空間の固定に成功した。
「……で、できたっ」
上気した頬。いくらか乱れた髪。肩から鞄を下げたまま走ったのか、襟元はぐずぐずになっている。
「颯くん、助けにきました」
「……遅ぇよ」
「すみません。ちょっと準備がいったものですから」
こんなに慌てて、と思ったくせに、口をついて出た言葉は平素と変わらず憎まれ口だった。
鞄から取り出したのは身代わりの術式を封じ込めた札入りの編みぐるみ。事前に教えた手順通りに稼働させ、それによって無事に七人ミサキの呪縛から自分の身が免れたのが解る。ほっと胸を撫で下ろし、あとはこの屋敷からどうやって出るか。……の、前に。頭をよぎった可能性にパッと振り返る。血の気の引く思いに反して、翠子はキョトンとした目でこちらを見た。
「翠子、親指!」
「あ、それは大丈夫なんです。手袋してますし、」
そもそもですね、と言って見せたその赤い手袋を目の前で外したので息を飲んだけれど、そのあと盛大なため息を吐く事になる。
「ほどいてきました、指」
細い毛糸のような淡桃色の塊が手袋の中からふわりと姿を見せて、本気の絶句というやつを味わう。馬鹿なのか? とか、無謀にも程があるだろ、とか、何でそこまでして、とか。言いたいことが山ほど湧いてはその言葉じゃ何も足りてないって事に気が付いて。結果、何も言えずに口を閉じた。
「あの、ちょっと失礼しますね」
輪っかにしてあった糸の端を俺の手首にぐるぐると巻き付けると、そこはかとない浮遊感のあった身体が少し重力の影響を受けるのがわかった。なるほど、これで魂だけの状態から体を持って生きている方へと天秤が傾く訳だ。「それと、」と小さな声で呟いてから翠子はこちらを真っ直ぐに見つめた。
「颯くん、ここを出たらインペリアルラウンジにお茶しに行きましょう」
「……は?」
「お茶ですっ、三段重ねのアフタヌーンティー!」
これから七人ミサキの怪異を祓おうかという場面で、何を言い出すのか。翠子の目は大真面目にこちらを見据えたままだ。三段重ね? 何が? めちゃくちゃに意味が分からな過ぎて脳がバグる感覚になる。もしかしてこれって夢だったか。夢ならこれはもう、ここを出てそのなんちゃらラウンジとやらで茶でも何でもするしかないだろう。
「よく分かんねぇけど……了解」
「良かったぁ。約束ですよ?」
ぱぁっと笑顔になった翠子がもう一度、自分のかけた結界の方を向く。つられて見ればやはり脆い箇所から剥がれ落ち始めているのが分かる。逆に、剥がれ落ちる瞬間を狙って祓ってしまうのも手段としては有効だった。それを覚えていてか、こちらを振り返って煽るように覗き込んだ。
「颯くん、これ祓えますか?」
「……ったく、人使い荒すぎんじゃねぇ?」
そんな顔、いつからするようになったんだか。ポケットから取り出した水琴鈴がくすぐる様にしゃらりと音を立てた。
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