奥座敷―5

 屋敷の中は先程の光景が嘘のように静まり返っていました。七人ミサキの怪異も、大広間の妖たちも、見当たりません。颯くんはどこでしょう。私はキョロキョロしながら廊下を歩き始めます。

 飾り棚の花瓶に活けられた南天も、台所の湯気の立つお釜も、さっき見たのと同じように存在していますが、颯くんの姿は見当たりません。やはりあの奥座敷にいるのでしょうか。となると少し厄介なのですが。

 背後でトトト、トト、と音がしました。


「あなたは、さっきの」


 痩せた顔色の悪い男の子が、柱に抱きつくような姿勢でこちらを覗いています。


「あぶないよ」


 舌足らずな声。何歳くらいでしょうか。真冬だというのに淡色の浴衣を着て兵児帯を締めています。裾から伸びる脚は細く、板の間を踏みしめる足元は裸足です。

 勧修寺先生の見立てによれば、七人ミサキなどの怪異ではないけれど仏間の障子をあけるなど建具に干渉ができる存在と言うことは、この子供は元々この家に生まれた子供だったのかも知れない、ということでした。もしかしたら既に付喪神つくもがみ化している可能性も高いだろう、と。


「あぶない、ですか?」


 子供はこくりと頷き、そのまま廊下を駆け出しました。「あぶない」とは私のことでしょうか。それとも颯くんの。


「あの、待って下さい! 颯くんを見ませんでしたか?」


 たまらず後を追いかけます。子供は廊下を進みながら時折りこちらを振り返る様子を見せました。まるで私が後を追ってくるのを待つように思えます。

 廻り廊下を駆けて、曲がり角を越え、中庭に面した広縁に出たところで足を止めるのが見えました。障子で仕切られたその先にあるのは、先ほどの仏間のはずです。子供は手を伸ばして障子に触れると、そろそろと開きました。

 読経の声。啜り泣き。誰かが誰かを責める潜めた声。追い付くと子供の顔が見えました。寂しそうな、とても困った顔でした。


「これは、あなたのお葬式なんですね」


 置かれた写真立ての中の人物は幼い子供。いま隣で立ち尽くしている子供と、まるきり同じ顔をしていたのです。


「かあさまのせいじゃなかったのに」


 さっきから誰かに責められている人物はこの子供の母親なのでしょう。この子はそれを気にして、母親が屋敷に住まなくなってもなお、心がこの場所に縛り付けられたままなのです。私はしゃがみ込んで子供の顔を覗き込みました。


「大丈夫ですよ。あなたのお母さんは、きっと先に天国に行って待っているはずです」

「てん、ごく?」

「はい。亡くなった方が向かう場所です」


 着ているものから推察しても、この子供が生きていた時代はずいぶん昔のこと。となると、この子のお母さんも、もうとっくに亡くなっているはずです。


「天国とか、浄土とか、呼び方は様々ですがそういった場所があるそうです。きっとそこでお母さんとも会えますから、心配いらないと思います」

「かあさまと、あえる……」

「はい、きっと」


 浄化室に勤めるようになってから、人が人を思う心が醜く変化してしまう場面をいくつも見てきました。大切に抱いていたはずの想いが執着に変わることや、憎しみに変わること。欲に溺れるあまり悪事に手を染めてしまうケースや、大切なはずの相手を妬んでしまう気持ち。

 この子供の一番奥底にあるのは後悔の念、です。自分が亡くなったせいで母親が責められている場面が、ずっとずっと、この子をここに留め置き続けている。


「あの、あなたにお願いがあるんです」

「おねがい?」

「はい。あの襖を、開けて貰えませんか? あの部屋の中に、あなたを輪廻へと送ってくれる人がいるはずなんですが……実は私、いまちょっと手が使えないんです」

「……あぶないよ」


 やはり、この事を言ってたんですね。きっと何人もの人が七人ミサキに取り込まれていくのを見てきたのでしょう。まだ幼い顔が不安そうに唇を突き出しています。


「あなたは優しい子ですね」


 この子をこの場所から切り離して、輪廻へと還してあげるのがいちばん良いと思うのです。それができる人を私は知っています。


「あの中にいる颯くんは、とってもとっても強いんです。外で待ってる勧修寺先生も、胡桃沢さんも、ここを救うために色々なことを考えてくれました。私もちゃんと準備をして来ました。だから、私たちに任せて貰えませんか?」


 信じてほしいという気持ちを込めて正面から瞳を見つめます。

 少しだけ迷った後で、それでも男の子は仏間に歩を進めました。切れ目なく続く読経の声の中、私もその後に続いて、あの襖の前に立ちます。


「……お願い、します」


 子供が意を決したように襖の引き手に指をかけます。ぐっと力を込めて開いたその先には、白装束の七人ミサキ。それとは別に一番手前には颯くんがいます。

 練習していた通りに七人ミサキに向けて結界を張ります。結界札をかざし、範囲を展開し、手早くそれを広げて覆います。包囲。未熟ではありますが、なんとかなったみたいです。私はあわてて颯くんに駆け寄りました。


「颯くん、助けにきました」

「……遅ぇよ」

「すみません。ちょっと準備がいったものですから」


 相変わらずの憎まれ口を聞くところを見ると、どうやらお元気そうです。いえ、魂だけの状態になっている方に「お元気そう」はちょっと違うかも知れませんが、それでも取り込まれる前に間に合いましたから、良しとして貰いましょう。

 私は鞄を開くと中から編みぐるみを取り出しました。そう、出発前に万が一のためにと作ってきた、あの編みぐるみたちです。


「身代わりくん、です」


 颯くんは口の端をにいっと上げました。これは勝利を確信した笑み、です。そう思った私も、状況が状況だというのに気が付けば笑顔になっていました。



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