奥座敷―3

 そのお屋敷は古い住宅地の奥まった一角にありました。少し高低差のある道なりに最近できたような新し目の戸建てがいくつか並び、駐車場と猫の額ほどの雑木林を抜けると、朽ちかかった鉄製のフェンスが見えてきます。フェンスは一部が扉になっていて、大振りな南京錠でロックがかけられていました。その仰々しい鍵に「こりゃ完全に失敗だな」とぼやきながら取り掛かるのは胡桃沢さんです。


「失敗……と仰いますと?」

「うん、たぶん侵入者に対する威嚇の意味でこんなの付けてるんだな。けどこれじゃ逆効果だ。煽ってる……ほら」


 指で示された先には勧修寺先生が立っていて、まるで頭から湯気でも出ようかという勢いでその身を興奮が包んでいるのが分かります。私たちはお互いに顔を見合わせると、やれやれと首を振ってから敷地内へと踏み込みました。

 お屋敷の一部は屋根瓦が崩れ落ちており、どうやらだいぶ不安定になっています。慎重を期して、胡桃沢さんは屋敷の外で待機して貰う事になりました。

 建て付けの悪い引き戸を腕力でクリアした颯くんが屋敷の中に踏み込んで、その背中に続きます。今にも床を踏み抜きそうで少し恐々としながらも、失礼ながら、靴のままでお邪魔致します。

 それから何気なく振り返った視界の中で、立て掛けたままの扉の内側に貼られた侵入禁止のお札が目に止まりました。かなり昔の物らしく、端の方は剥がれかかっています。戸の内側に侵入禁止とは。


「使い方として間違っちゃいねぇが……」


 視線を追ってか、同じく侵入禁止札に気付いた颯くんが訝しげに首を傾げます。

 こちらの札で屋敷の中にいる何かを封じ込めるのが目的だとしたら、たぶん、普通は外側に封印の札を貼るのがスタンダードだと思うのですが。

 この侵入禁止札はこの後、屋敷内の他の窓や戸にも貼り付けられていて、私たちはその都度首を傾げることになりますが……本当の意図に気が付くのはもう少し先のお話になります。

 頭の片隅に謎を残したまま、私たちは先へと進むことにしました。


 今日は冬らしい薄曇りのお天気でしたが、屋敷内部の暗さと相まって、ところどころに零れ落ちる陽の光がいっそう明るく感じられます。


「おい、これ」


 颯くんが顎でしゃくった先は玄関横の靴箱でした。作り付けの背の高い棚は真ん中あたりが飾り棚になっていて、そこにはシンプルな形の花瓶がひとつ置いてあります。

 活けてあるのは南天の赤い実がたわわに付いた一枝。艶のある美しい葉は、たったさっきまで庭先で陽を浴びていたかのように瑞々しいものです。


「いやぁ、廃屋って言うからもっと凄いのを想像してたんだけど、割と普通だなぁ」


 勧修寺先生が気にせず先へ進むと言うことは。


「……怪異ですね」

「だな」


 事前に収集していた情報「玄関横の飾り棚の生花」とも合致します。これ自体には特に害はなさそうですし、あまり気にせずに、先生を追うことにします。

 室内の調度品に埃が積もっていることと全体的に空気が埃っぽいことを除けば、不思議なほど状態が良いように見えました。応接間のダイニングテーブルの上に置かれたガラス製の灰皿。ビューローには羽根付きペンが刺さったペン立て。台所の入り口にかけてある玉簾。まるでつい先日まで誰かが住んでいたような雰囲気があります。

 その後も先生は、見取り図を手にしているのをいいことに屋敷内を縦横無尽に歩き回ってはいましたが。誰かが早足で追い越していく廊下の軋みも、障子の向こうから聞こえてくる啜り泣きも、台所のお釜から上がり続ける湯気も、どれ一つとして感知出来ていないようでした。

 そうしている内に、私はあることに気が付きました。私と颯くんが怪異に遭遇している時、半透明に透き通った腕が、先生の耳や、目を、どうやら塞いでいるようなのです。それは颯くんにも見えていた様子で、何度目かのそれが見えた後、どちらからともなくコソコソと顔を寄せ合いました。


「……なぁ、あれ」

「……えぇ、何かありますね」


 背後からトトト、トト、と物音が聞こえました。これは足音でしょうか。そっと盗み見てみれば柱の影から小さな肩が覗いています。


「……子供がいますね」

「しっ、構うな。懐かれたら面倒だ」

「す、すみません」


 思わず気にしてしまいましたが、今はそれどころでは無いのでした。でもこんなに小さな子供が廃屋にずっと居るなんて、やっぱり少し不憫に感じてしまいます。屋敷を祓う時に正しい場所へと導いてあげられたら良いのですが。

 そんなことを考えてしまってから視線を戻せば、先生の耳のあたりにはやっぱり半透明の手が現れて、そっと耳を塞ぐ仕草をしました。


「これ、きっと」


 前に先生がお話されていた双子の、という言葉が私の口から出かけた時、その手がひょこりと動きました。そうしてこちらに軽く手のひらを見せたかと思うと、人差し指をそっと立てます。


「……内緒、ですね?」


 手は、満足したように再び先生の耳を塞ぎます。恐らく磁場の具合でそういったものが見えやすい状態になっているのでしょう。これまでも先生が何かに遭遇しそうになる度、きっとこんな風に遮ってきていたのだと思います。どうりて何も感知しないはずです。

 私たちの視線を他所に先生は軽やかなステップでも踏むかのようにターンすると、大広間への襖を引き開けました。

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