奥座敷―2

 件の奥座敷はそもそも参勤交代で江戸へ来ていた大名家の末裔が住まうため建てられた邸宅でした。土佐の山内家に所縁があるそうで、建てられたのは大正二年ごろ。戦火を逃れ、人が住んでいたのは二十年ほど前までで、以降は空き家になり、完全に人の気配が途絶えた今では立派な廃屋となっています。

 情報を集めて分析してみると、屋敷の部屋ごとにいくつかの怪異が観測されることが分かってきました。


「玄関横の飾り棚の生花に、誰かに追い越される廊下。人の気配がある台所と、泣き声のする納戸……んんん、趣深いなぁ」

「これだけの情報が集まると言う事は、既に相当数の方が肝試しに行かれているのですね」

「酔狂な奴が多くて平和な国だよ、ここは」


 その他にも細々と、中庭の池に佇む人影やら、後をついてくる子供なんかのオーソドックスな怪異がある中で、ただ一箇所だけ、屋敷の中心に位置する大広間だけはぐっと情報が少なくなります。


「大広間の奥にあるのが、文字通り『奥座敷』だよ。大広間は『何があっても親指を隠していること』というルールがあるみたいだけど、残念ながら奥座敷本体に関しては殆ど情報がないね。なんでも、大広間にいる段階で帰りたくなるほどの恐怖空間なんだとか」

「さすがに禍々しいだろうな」


 恐らく、まず「奥座敷」本体の怪異が屋敷の中にあり、それが磁場を曲げるか何かしており、呼ばれる形で他の怪異が集められてしまっている、というのが先生の見立てです。


「でも逆説的に言ったら、奥座敷さえ浄化が出来れば、その他の怪異は自然と散って行くんじゃないかな」

「だな。……そしたら、一点突破狙いで奥座敷を速攻で叩けば……」

「……この量なら僕も怪異のひとつやふたつ、遭遇できそう……」


 えーと。早くも作戦に乱れが発生しそうな気配がありますが、何とか、奥座敷の浄化を成し遂げたいと思います。




 浄化室の事務所には勧修寺先生が持ち込んだ火鉢が置いてあります。私は先ほどからその横に陣取り、ちまちまとかぎ針を動かしていました。奥座敷の怪異の目をくらます為の準備のひとつとして、編みぐるみを作っているのです。最悪の場合そういう目的でも使用できるように、身代わりの術式を含ませたお札を内蔵してあります。

 象牙色の地に薄墨で幽霊画が描かれた火鉢は骨董物だそうで、信楽焼という話でした。

 パチリと火鉢の中で炭が爆ぜました。温かいは温かいのですが、一酸化炭素中毒が心配です。それで、換気のために細く明けた窓から風が吹き込むので、膝に手編みのブランケットをかけています。

 こうしていると、少し前までの事を思い出します。祖母と暖炉の前で編み物をしながら過ごした日々。あの頃は自分が東京で暮らす日が来るだなんて、思いも寄りませんでした。

 三個めの編みぐるみを作っていると、颯くんが戻って来ました。


「いくつ出来た?」

「いま三個めです」

「……もう少し欲しいな。道具、余分にあるか?」


 手持ちのかぎ針の中から適当なサイズの物を手渡すと、颯くんも人形を編みはじめました。意外なことにするすると軽快な手付きです。あんまりじろじろ見ては失礼かと思いましたが、こちらの視線に気付いた颯くんが顔を上げました。


「それ……ブランケット、」

「あぁ、はい」

「印が結んであるって先生が言ってた」

「……え?」


 思わず視線を落とします。膝の上に無造作にかけたこれに、印が?

 颯くんは、このブランケットの編み方が特殊な手順で編んであることや、編み込まれている印の影響で体力回復のような効果があることを、編み物をしながらお話してくれました。思えばこれは祖母から教わった梅小路家に代々伝わる編み方です。今はもう影もないと思っていましたが、意外なところで陰陽師っぽい要素が出てきて少し嬉しくなります。


「それ、余ってたら一枚貰えねぇ?」


 ……これを? と一瞬だけ宇宙空間に放り出されたような気持ちになりました。ですが直ぐに正気に帰ります。これは、たぶんチャンスです。


「いえ、編みます!」

「は? いや、そこまでは」

「編みます! あの、先日の、お礼に」


 腑に落ちない顔をされたので手をぐーぱーぐーぱーして見せると、あぁ、と低く唸った颯くんは目元を綻ばせるように柔らかく笑って「んじゃ、頼むわ」と言い、それで私は手袋のお礼にブランケットをもう一枚編むことが決まりました。思いがけず悩み事のひとつが片付いて、知らず鼻歌まで出てしまいそうです。

 何色の毛糸にしようか、なんて事を考えながら、私はにっこりと笑いました。


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