五章 件の奥座敷の怪

奥座敷―1

 公園の噴水が凍りついているのを横目に出勤したその日、事務所の中では颯くんが凍りついていました。


「今回の依頼は『くだんの奥座敷』と呼ばれる廃墟でね」

「……待て」

「その建物がある土地、建てられた当時はもちろんその土地の有権者の持ち物だったんだけど、とある事情から実は今、国有地になっててね」

「……おい」

「この度そこに地域ふれあいセンターが建つことになったから、取り壊すにあたって屋敷を浄化して欲しいという話なんだよね」

「……待てっつってんだろうが」


 浅く腰掛けた椅子の上で両肘を膝についた前のめりの姿勢のまま静かにストップをかけていた颯くんが、頬杖を解きながら先生を見ました。警戒心の強い猫みたいなポーズだなと思っていたのですが、猫にしては顔が、怖いです。

 対する勧修寺先生は何も意に介さないとばかりに大変な笑顔で、効果音をつけるとするならウキウキ、ワクワクが当てはまります。


「なぁ先生、そこは筋金入りの心霊スポットだ。知らない事ないよな?」

「もっちろん、存じているよ! ここ十五年で確認されているだけでも六人の行方不明者を輩出し、のみならず調査に訪れた屈強な自衛官や手練れの警察官までもを取り込んだ、超一流の廃墟だね」

「……正気か」


 これまでの中でいちばんの、心底嫌そうな顔をした颯くんですが、ほんのちょっとだけあきらめの色が見えるのは気のせいでしょうか。かく言う私も、先生のこの手のワガママからは逃れられないのだと学びつつありますから、特に反論などはしない所存です。


「それにね、これまでとは状況が変わったこともあるのだよ。先日、屋敷の敷地内で白骨化した遺体が発見されたんだ」


 コンコン、と開きっぱなしのドア横の壁を軽くノックしたのは胡桃沢さんです。追加資料を持って来てくださったのが分かり、私は立ち上がって受け取りに伺います。

 勧修寺先生の言葉を引き継いだ胡桃沢さんが、口を開きました。


「それも、二体。片方は死後十五年ほど、もう片方は十三年経過の見立てだそうだ。そっちは今、DNA鑑定中だ。新年早々からご苦労なことだ」

「ずいぶんと古いご遺体が出てきましたね」

「しかも保存状態は悪くない。遺留品も綺麗なもんだ」


 ファイルをパラパラとめくって見せて下さった衣類は確かにくたびれてはいました。ですが、きちんと原型を留めています。


「それにねぇ颯くん。もしもこのまま浄化をせずに地域ふれあいセンターなんて建ててごらんよ? 地域のふれあいに訪れた善良な住民たちが忽然と姿を消す、恐ろしい施設になり兼ねない! そうなる前にきちんと浄化を施して、地域住民のみなさまには安全に過ごして貰いたいという僕のこの純粋な気持ちを、颯くんは諦めろというのかい?」

「…………わかった」

「よっっっし!!」


 渋々過ぎる顔で颯くんが頷き、先生がガッツポーズを決めました。


「おい先生、そしたら持ってる情報寄越せよ。これ準備がいるやつだろ」

「そう来なくっちゃ!」


 軍配が上がるのは見えてましたが、こうなると完全に先生のペースです。次から次へと取り出された資料がテーブルの上に積み重ねられていきます。


 私はと言えば、ひとつ、別件で考え事がありまして。実は先日、先生から素敵な頂き物をしました。

 日比谷公園を望む素晴らしい立地にある、かの有名な帝国ホテル。そちらの十七階インペリアルラウンジと言えば、格調高い雰囲気と非日常感満載の空間が楽しめる、ドラマや映画でもよくお見かけする憧れの場所です。そのラウンジで季節ごとに開催されるアフタヌーンティーと言ったら、それはもう、甘いもの好き、又は紅茶好きならば一度は訪れたみたい、言わば聖地です。

 そしてなんと、私はそのインペリアルラウンジのアフタヌーンティーペアチケットを頂いてしまったのです。

 古い伝手で届いた物だそうなのですが、先生はもう何度か行った事があるそうで、私に譲って下さいました。それではと胡桃沢さんをお誘いしましたら、実は胡桃沢さんはそれほど甘いものはお好きでは無いとのことで、颯くんをお誘いしようかと考えているのですが。

 あれから、通勤の際や現場に赴く際には颯くんに頂いた手袋を着けています。柔らかな皮の手袋は大変暖かくて、それに、とてもお洒落で、身に付けていると気持ちも明るくなります。

 これに関しては何かお礼をしたい所なのですが。

 ペアチケットは頂き物なのでお礼にするには適していないように思えます。ですが、上京してからの私に友達と言える友達もまだ出来ておらず、お茶をしに行くならお誘い出来そうなのは颯くんです。

 ここでスマートに「チケットを頂いたのでお茶に行きませんか?」と声をかけ、何か良さそうなプレゼントを「先日のお礼です」とお渡しすれば良いだけのお話なのですが、不思議なことに、上手くお誘い出来ない状態に陥っているのです。

 颯くんは先輩であり、上司であり、もっと言えば私のピンチを何度も救って下さった恩人でもあります。恩人をお茶に誘うのは何もおかしな事はありません。ついでに言えば、手袋のお礼をお渡しするのだって、ちょっと時期はズレましたがプレゼント交換だと思えば、どこにもおかしな要素は見当たらないはずです。

 ですが、いざお誘いしようとすると、そしてお返しを何にするか考え始めると、何故か思考回路が凍りつき、言葉が上手く出てこなくなるのです。普段から職員用の食堂や、出先のランチなどはよくご一緒していますから、ご一緒すること自体には問題がないはずなのに……。

 チケットの有効期間は年度末まで。それまでに、何とか機会を掴みたいところなのです。


「ねぇ梅小路さん、編み物できたよね? ちょっとお願いしたいんだけど」


 先生の声に一旦思考が途切れました。私はぐるぐる回る気持ちの波に若干強引に区切りをつけて「もちろんです」と応えながら、話の輪に加わりました。

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