終 ほどけない

最終話 前

 地上十七階から眺める日比谷公園は意外と緑が多いものです。冬にもかかわらずこれだけ青々しているということは、常緑樹が多く植えられているのでしょう。噴水広場と、たまに通る遊歩道と、園内を流れる小川が一望できて、とても興味深い風景です。石垣が積まれて一段高くなっている向こうは皇居。その向こう、変わった形の屋根は武道館、という建物だろうと目星をつけたところで、こちらを見ている視線に気が付きました。

 私は手に持ったティーカップに口をつけて紅茶を飲んでから、ほぅ、とため息を零してしまいます。


「本当においしいお茶ですねぇ」


 香り高く、瑞々しい、まるで果物のような芳醇な紅茶です。

 テーブルを挟んで正面に腰かけている颯くんは、さっきからとても言葉少なです。二人の間に置かれた三段重ねのティースタンドに手を伸ばすと、迷うことなくサンドイッチを摘まみました。ちら、と一瞥してから一口で食べてしまいます。もぐもぐと咀嚼し、ふと動きを止めたかと思うと再びお皿に手を伸ばしました。どうやらお気に召したんですね。


「こちらのスコーンも美味しいと思いますよ。温かいうちがおすすめです」

「……パンじゃねぇのか」

「スコーンです。こちらのジャムと、クロテッドクリームをつけて食べてから、すかさず紅茶を飲むのが流儀、らしいです」


 ふぅん、という半信半疑の顔をした颯くんがスコーンを手に取り、ジャムとクリームをつけてから大きな一口で頬張りました。いまひとつ、という表情が、紅茶を口にした途端にぱあっと変化するので、私は笑いをこらえるためにタルトを一切れ頂きました。バターの風味と柑橘の爽やかさが相まって、とても幸福を感じます。

 やっぱり颯くんをお誘いしてよかった。そう思いながら私はまた紅茶を一口頂きました。


「それにしても、なんでまた急にこんなとこ来ようとか言い出したんだ?」


 ティースタンドの中身を気持ちの良い食欲でひとしきりお腹に収めて満足したのか、あらためて颯くんが聞きました。

 こんなとこ、とは言いますがインペリアルラウンジのアフタヌーンティーなんて、私なんかが気軽に来られる場所ではありません。今回も勧修寺先生提供のチケットがあったからこそ実現したものです。


「あれはですね、先生からのアドバイスがあったんです」

「アドバイス?」

「はい。こういった場面には人間の三大欲求に訴えかけるべきである、と」


 件の奥座敷の調査へ赴いた際、お屋敷内に颯くんが取り残されてしまった時。必ず連れて帰るつもりで対峙した私に勧修寺先生がおっしゃったこと。私は手のひらを見て、指折り数えながら答えました。


「食欲、性欲、睡眠欲、です」

「……はぁ?」


 こういったケースでは、その人の「戻りたい」という気持ちが大変重要であると助言をいただきました。更に、外さない為には人間の三大欲求に訴えかけることなのだ、と。睡眠欲はあの状況では誘発できそうにありませんし、そもそも眠っている成人男性を運べるはずもなく。胡桃沢さんならまだしも色仕掛けなど出来る自信もなかった私が選べた選択と言えば。


「ですから、食欲です! 美味しいものを食べようという楽しみが頭に浮かべば、より、あのお屋敷から生還しようという気持ちになるものだと思いまして」

「……どっから突っ込んでいいか分かんねぇ」


 呆れ顔の颯くんは窓の外に視線を投げて、でも、と続けました。


「それにしたって。付喪神を調伏するとはな」

「あれは、その、偶々ですよ」


 この話になるといささか居心地の悪さを感じてしまうのですが、自分でも、あれが本当に「調伏」という代物だったのかさえ、いまだはっきりと自覚できていないのです。それでも、陰陽師の系譜を汲んでいるという事実の裏付けになるということで、部署の皆さんが喜んでくれているのもまた本当のこと。


「アンタが怪異に向き合い過ぎて、いちいち同調しまくって危なっかしいと思ってたが……同じ目線に立つことで得られるもんがあるって事だろうな」


 確かに、同調しすぎているから気を付けるようにとは、最初から颯くんに指摘されていた事でした。それで、意識して怪異と一定の距離を保つことを気を付けるようになったことがプラスに働いたのだと思います。


「正直、最初はアンタをチームに入れるのはどうかと思ったけどな。……今は、それも悪くねぇと思ってる。まぁつまりは……」

「……つまりは?」

「……何でもねぇ」


(あんたが陰陽師の家系だってんなら、俺は俺で参考にできる事があるかも知れねぇってだけだ)


 加座間邸から帰還したあと、私が帯同することを渋々ながら承知した時の颯くんの言葉を思い出しました。これから色々と調べたり、試すことを繰り返して、実用的な技術としてきちんと習得出来たら良いと思います。

 言葉を濁すようにお茶を飲んだ颯くんが、横目で時間を確認したのがわかりました。そろそろ出た方が良いようです。またいつか、ここに来られたら良いなと思いながら、カップの中の明るいオレンジ色を飲み干しました。

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