帰還

「ふふふん、ふふん、ふん〜〜」

「……うぜぇ」


 勧修寺先生の鼻歌が鳴り響き、颯くんのぼやきが転がり出ています。無事にお屋敷から帰還した私たちは、いつもの浄化室で思い思いに過ごしています。


「しかし、考えてみれば今回は危ない橋を渡ったもんだな」


 ミーティングテーブルの端で頬杖をつきながらこちらを見ていた胡桃沢さんが、カップを手に取りました。鮮やかな椿の柄が絵付けされた九谷焼のカップは、年始に帰郷した際の私からのお土産になります。私の前には同じく九谷焼の、桜の絵柄のカップが置かれています。


「うっかり七人ミサキに捕まったのは完全に俺のミスだよ」

「いえ、でも、颯くんは私の事を助けようとしてくれた訳ですし」

「まぁ颯少年のそれはミスはミスだが、おかげで例の付喪神を調伏するきっかけにもなった訳だし、一概に無駄とも思えんよ」

「まさか勝手に浄化されるとはねぇ」


 獅子舞の絵柄付きのカップを持った勧修寺先生がにこやかに答え、猫柄のカップを傾けていた颯くんがまた手元に視線を落としました。先程から、かぎ針を使って私の指を編み直して貰っているのです。

 片手とは言えかなり景気よくほどいてしまったので、紐はなかなかの量になっています。それにやはり指を編むのは複雑で難しいため、原型をとどめたままの右手と見比べながらの作業は、とても大変そうです。


「本当にすみません、お疲れの所……あの、明日でも大丈夫ですよ?」

「片手じゃ生活し難いだろ」

「一晩くらいなら何とか……」

「うるせぇ。黙って編まれてろ」


 はい、と返事をして口を閉じると、胡桃沢さんが面白そうに目を細めるのが見えました。

 あの後、颯くんはきちんと元の状態に戻りました。お屋敷から転がり出るように脱出した私の前で颯くんが目を開けた時、ホッとして涙が止まりませんでした。きっと大丈夫だとは思っていましたが、やっぱり少し、不安な気持ちもあったのです。


「無謀ではあったかも知れないけどね、僕はいい作戦だったと思うよ」


 事前準備と日頃の練習の大切さ。地味な話ですが、そのひとつひとつが実を結んで今回の結果を出せたのでした。

 それにしても、指を編んで貰うのは本当に明日で良いのにな、と思います。何しろお屋敷の中で魂と体が分離されていたのみならず、その状態で七人ミサキの祓いを完了させた訳で、かなりの消耗をしているのではないでしょうか。

 その心配を見透かしたように颯くんが再び口を開きました。


「アンタに貰ったブランケット、鞄に入ってたんだ」


 ネイビーの毛糸で編んだ、梅小路家に代々伝わる編み方のブランケット。それには印が編み込まれていて、体力を回復させる効果がある事が判明していました。それで、頂いた手袋のお礼にと、颯くんの希望で一枚編んでプレゼントした所だったのです。


「梅小路が屋敷に入ってから、思い付いて掛けて置いたんだ。体力勝負になる気がしたからな」

「だからそんなに疲れてねぇよ」

「ほーんと、ファインプレーだよねぇ」


 上機嫌の先生が同意しながら話の輪に加わり、そのまま私の顔を覗き込みました。先生の口角が、上がっているのが分かります。ちょっとだけ腰が引ける感覚を味わいながら私は目を逸らしました。


「あの、何か、ありましたでしょうか」

「うんうん、梅小路さんが付喪神を調伏した時のことを聞きたいんだけどね!」


 あのお屋敷の付喪神の男の子については、そんなに語るべき事もないのでして。


「ほ、本当に、少しお話したら納得してくれただけなんです」

「例えば何か呪文とか、印を結んだとか」

「無いです」

「依代を用意したとか」

「いえ」

「約束とか、代償を渡したりは」

「何もお渡ししていません」

「おい、邪魔だ先生」


 ぐいぐいと近くなる距離にたじろいでいたら颯くんからストップがかかりました。助かりました。先生の、好奇心から距離を詰める癖は、改めたほうが良いのではと思ったりします。


「ここへ来て陰陽師の系譜が覚醒するとは……まぁ、ちょっと思ってたけどねぇ。これはますます興味深い事態だよ」

「実績も増えたから、来年度の予算増も期待されるな」

「それだよ!」


 先ほどからの上機嫌はそれが理由だったようです。


「また禄でもねぇもん買いやがったら承知しねぇぞ」

「ううん、実用的なものしか買わないよ」

「どーだか」


 *


 夕方過ぎ、やっと左手が編み終わり、今回のお仕事も片付いたような心持ちになりました。私たちは三々五々、帰る支度を整えて部屋を出て行きます。また明日からも様々な案件が待っているのです。体はしっかりと休めておかなくてはなりません。

 すっかり葉を落とし切ったけやき並木は寒々しく、吹いてくる風の冷たさに首をすくめました。


「おい、翠子」


 ふと、声がかかりました。振り返ると颯くんが通用門に寄りかかりながら立っています。


「あら、帰らないんですか?」

「……あれ、いつにする」


 颯くんがこちらを見ないまま言って、私の頭の上にはクエスチョンマークが浮かびました。あれ、とは。何だったでしょうか。視線を外した颯くんが不貞腐れたように口を開きます。


「行くんだろ。なんとかラウンジに」


 ……あ、そうでした。お屋敷での混乱に乗じてお誘いしたようですが、あれはあれで勧修寺先生から提案のあった作戦の一環でもありまして。ですがまぁ、それはそれとして。

 私はにっこりと微笑んでしまいながら答えるのでした。


「インペリアル・ラウンジ、です!」

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