蔓を巻く―8

 後片付けを終えた午後の食堂は閑散としています。たまに自動販売機のお茶を買いに来る人がいるくらいで、それも足早に立ち去るため、この時間のここに滞在する人影はほとんどありません。

 戸口から覗き込んでみると、窓際のテーブルに颯くんの姿がありました。窓の外に視線を投げたまま、さっきまでの機嫌の悪さが嘘のように静かに腰掛けています。窓の外には黄色く色づいた木々が風に揺られて、サワサワとわずかな音を伝えています。


「ここ、静かですね」


 呟いた言葉がしんとした空間に吸い込まれていきました。聞こえていないような顔のまま颯くんが小さく息をついて、手元に視線を落とします。

 かわいらしい鈴ひとつで場の空気を変えて、浄化対象の正気を取り戻させ、怪現象を紐解いていく。以前、私に祓い方を教えてくれた時に、颯くんはその際の心の持ち方を「在るべきものを在るべき場所に送る」と表現しました。それは人の想いだったり、魂だったりします。

 自動販売機で温かいココアをふたつ買い、ひとつをテーブルに置きました。


「安っ」

「あ、これはそういうアレとかでは無くてですね!」


 ふはっ、と噴き出した颯くんはそのままクククと喉の辺りで笑ってから「わぁってるよ」と言いました。こちらをチラリと視線で撫でてからプルタブを起こします。


「本当に、今回もありがとうございました」

「……うん」

「あの、結局お役に立ててなくて」

「ホントにな」

「はい、あの、」

「やめとくか」

「辞めません!」


 はは、と今度は声に出して笑ってからココアをひとくち飲み、そのまま動きを止めました。何かを迷っているように見えたので、私も何も言わず、ただ窓の外に視線を向けます。

 蔓巻さんは無事に帰れたでしょうか。怪異に同化していた人は、祓った後に虚脱状態になることがあるそうで、蔓巻さんには少しだけそういった症状が見られました。しばらくは地方の病院に入院すると聞きましたが、療養するにしてもやはり自分の故郷の空気の方が良いように思えます。


「昔、六つ上に兄がいたんだ」


 颯くんは下を向いたまま、落ち着いた声でぽつり、ぽつりと語り出しました。


「そいつ、小学生の頃に川で溺れてる子供を助けようとして、流れに足を取られて。そのまま亡くなった」

「そう、ですか」

「自分も小さい子供なのに『溺れてるから助けなくちゃ』って、碌に泳げもしない癖に川に入ってさ」


 そこで言葉を区切ってテーブルに缶を置きました。まっすぐの瞳で私を見ながら、颯くんは続けます。凪いだ黒の瞳は揺らぐことはありません。


「自分の実力以上のことをしようとすんな、奢るな、見誤るな。そうじゃねぇと……百歩譲って自分が危ない目に遭うのは自業自得だとしても、他人の心に消えない傷を付けることになる。それだけは、忘れんな」


 颯くんの心に深く刻まれているであろう消えない傷のことを考えました。こんなに強く、大変したたかに見える颯くんでも、やはり抱えているものがあるのです。

 この人に心配をかけたくないなぁと、漠然と思いました。強くなりたくて、うまく出来なくて、それでも諦められなくて。次は失敗したくない。けれど、きっとまた私は失敗してしまう。それが怖くて、でも乗り越えて強くなりたい。どうしたら良いのか、まだ、答えは出ません。

 私たちはココアを飲み終えてからもしばらく窓の外を眺め続けました。颯くんの視線は、私には見ることの出来ないどこか遠い空を眺めているようで、その横顔をいつまでも飽きることなく見つめていました。この日のことはきっと甘いココアの味と一緒に、いつまでも覚えているだろうと、そう思いました。

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