蔓を巻く―6
るるるる……るるるる……。
小さなボリュームで何かが鳴っています。何の音でしょう。あ、目覚まし時計? ……仕事!
慌てて跳ね起きるとスマートフォンが鳴っているのがわかりました。どうやらあのままソファで眠り込んでしまったようです。手に取ったスマートフォンの画面には、始業時間を少し過ぎた時刻と、浄化室の電話番号からの着信履歴が表示されています。
身体を起こすと顔のそばで丸い葉を茂らせた蔓がふさふさと揺れました。
「昨日よりも、増えてる……」
兵糧作戦はどうやら失敗のようです。くくぅ、とお腹が情けない音をたてました。残念ですが空腹は私にしか効いていません。
観念するとキッチンでお湯を沸かして、とりあえずカップスープの蓋を剥がします。それから浄化室に連絡を入れました。意図していた作戦は全て空振りに終わりましたが、それでもこの一晩を過ごしてみて分かった事があるのです。
「あ、勧修寺先生ですか? おはようございます、梅小路です」
*
通い慣れてしまった噴水前のベンチ。やはりそこには期待通りの人が居て、ひとまず安心した私は歩みを進めます。
「蔓巻さん、おはようございます」
「おや、ご無事でしたか。さすがですね」
「えぇ、お陰様で」
ベンチに腰掛けた蔓巻さんは、私の頭の横で青々と葉を茂らせた蔓を愛おしそうに見つめています。蔓巻さんの頭に巻き付いた蔓植物は、昨日よりも更にくったりと萎れて、今にも枯れ落ちてしまいそうです。
「貴女ならきっとこれを育てて下さると思っていました」
「蔓巻さんは初めからそのつもりで人を物色していたんですね」
「物色だなんて人聞きの悪い」
「……これが、あなたの一族に伝わる怪異というのは嘘ですね」
昨夜、蔓植物と過ごしている間に、この植物から伝わってきた思念が読み取れました。これが求めているのは人の感情の動き。答えを求めて思い悩んだり、迷ったり、あるいは何かにワクワクと胸を躍らせたり、そんな感情の膨らみを吸収して育つものです。
きっと本来的には子供などに寄生して育つ怪異なのだろうとは、今朝の勧修寺先生との通話で分かったことです。人の感情を摂取して育ち、花を咲かせ、胞子を飛ばしては繁殖していく種類の怪異なのだとか。
これ自体は人体に大きな害も無いものだそうで、視えてさえいなければ普通の暮らしが送れます。
「貴女はこれがどれほど美しい花を咲かせるか、知らないから。ねぇ、一度でもあれを観てごらんよ、間違いなく虜になる。この公園には薔薇やダリアが丁寧に植えられている。何でだと思う? 美しいから。そうだよね、僕と同じだ」
同じ、なのでしょうか。美しいとか、好ましいとか、そういった基準は人ぞれではありますが、美しいものが好きという気持ちは分かります。私がこの公園の薔薇や、紅葉を美しいと思って眺めているように、蔓巻さんはこの怪異が咲かせる花が好きなこと、これを本気で言葉にしていることは分かりました。
「これまで僕が居た集落は何もないところでした。何の起伏も刺激もない土地なものだから、花を咲かせるような出来事もなくて、そもそも子供も、むしろ人の数自体が少ない。そこで、人の多い都会に出てみたわけです。ところがどうだろう、都会の人は皆んな、気持ちの振れ幅が少ないと言うか……感情を抑え込むことに長けている。子供も皆んな感情の管理が上手だ。これには驚きました」
蔓巻さんはゆっくり立ち上がると私に向き直りました。心なしか蔓植物が少し生気を取り戻したようにも見えます。
この蔓植物自体は悪いものではないのです。ですが、これがひっそりと息づいている郷から持ち出したこと、あまつさえこれを不特定多数に植え付けようとしていること、ましてやそれが私利私欲のためならば、それは良いことではありません。
「そこで貴女に出逢った。貴女は何かに思い悩んで、迷ったり、焦ったりしている。ねぇ、そうでしょう? だってその証拠に、植物の葉がこんなにも美しく伸びている。一晩でこんなに成長するだなんて、貴女にはきっと才能があるんですね」
「才能……?」
「そうです。貴女は、何に悩んでらっしゃるんですか? そんな煩わしいことは捨て置いて、僕とこの花をたくさん育ててみませんか? 僕は、この素敵な花でできた花園を観たいんです。きっと美しいでしょうね」
静かな微笑みを湛えた蔓巻さんは、私の側へゆっくりゆっくりと歩み寄りました。手を伸ばして丸い葉に触れて、それから「あぁ」と声を漏らします。
「蕾だ。わかりますか? ほら、ここに。ここにも。嬉しいなぁ、きっと美しいだろうね。貴女はほんとうに素晴らしい」
蔓巻さんの瞳が何だか怪しい色を帯びたような気がします。優しい言葉も相まって、見つめていると頭の中がふわふわしてくるような、不思議な気持ちになってきます。
その時、聞き覚えのある音が辺りに響き渡りました。
シャラーー……ーン……
リィー……ーーン……
「……おい戻れ、翠子」
意識が浮上するような感覚。ハッとして振り返れば、そこにはいつの間にか颯くんが立っていたのです。
颯くんは厳しい顔付きのまま更に水琴鈴を鳴らしました。
「そいつから離れろ。
動きを止めたままの蔓巻さんに歩み寄ると、私の肩を引き寄せて自分の背中へと庇うように移動させました。再び、鋭い視線で対峙します。
「お前は浄化対象に指定されている」
「……君は誰?」
「対怪異浄化情報収集室所属、烏丸颯。今からお前を祓ってやる」
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