蔓を巻く―4

「まぁしかし、双樹そうじゅの奴はあんなだし、颯少年も苦労するなぁ」


 辛そうな担々麺の真っ赤なスープの中を蓮華で掬いながら、胡桃沢さんが唸るように言いました。つい漏れてしまったというような常よりも気安い呼び方に少しだけ引っかかるものがあります。「双樹」は勧修寺先生のファーストネームですが、今までそんな風に読んでいるところを聞いたことはありません。


「あの、胡桃沢さんは、勧修寺先生とは親しくていらっしゃるんでしょうか」

「ん? あぁ、昔の癖が出たか」


 思い切って伺ってみると、それでようやく気づいたというように目を細めた胡桃沢さんが言葉を続けました。


「うん、双樹とは大学が同じでな。私が入学した時、アイツは大学六年生だった」

「六年生……と言うと、大学院とは違って」

「そう、留年だな。可笑しな事ばかりに首を突っ込んで、あっちをふらふらこっちをふらふらと……まぁ、今とあまり変わらないって言ったらそうだが、輪をかけてそういう奴だったな。私も巻き込まれた方だけど……」


 当時のことを思い返しているのか胡桃沢さんの口許がゆるくカーブを描きました。


「おかげで知り合いが多いだろう、双樹は。どこへ行っても顔が効く、ほんとうに変なヤツだ」


 確かに、先生と官庁街をご一緒していると、まっすぐ目的地に辿り着けることの方が少ないくらい、寄り道が頻発します。ご自分から立ち寄る場合もあれば、呼び止められて招かれる事もとても多いです。


「アイツの名前の由来、聞いた事あるか?」

「元は双子だった、とお聞きしました」

「そう。それでいくと私は三人目の子だったんだ。巴紋がルーツでね。あれの意味は諸説あるが、私の場合は三つの魂という意味らしい。上に二人、兄が居たんだ」

「……そう、だったんですね」


 いつの間にか食べ終えていた丼の乗ったトレイに箸を置き、手を合わせた胡桃沢さんは「それにしても」と話題を変えるように声を張りました。


「アイツの兄だか弟だかは、かなり気の利いた人物だな。だって考えてもみろ、仮にアレが力を持っていたとしたら……」

「……持っていたとしたら……?」

「……たちまち怪しげな信仰宗教の教祖様になりかねない」


 あまりにも想像が安易すぎて思わず噴き出すと、向かいで胡桃沢さんもあははと笑い声を立てました。つい先ほどまでどんよりとしていた私の心は、まるで秋の空模様のように、明らかに晴れ渡ったのでした。


 *


 翌朝、私はまた少し早く起きて公園に立ち寄りました。目指すは雲形池のベンチ。足早にたどり着くと、そこには思い描いていた人影が座っています。


「おはようございます、蔓巻さん」

「……あぁ、おはようございます」


 振り返った蔓巻さんの首元からは相変わらず蔓が伸びて葉を茂らせていますが、濃い緑色の葉が、やはり昨日よりも更に元気がないように見えました。

 私はひとつ息を吐くと、決心して蔓巻さんの隣に腰かけます。蔓巻さんは少し驚いたようにこちらに顔を向けました。髪の間から覗いた葉がカサカサと揺れます。


「良かったら、蔓巻さんのお話を聞かせてもらえませんか? もしかしたら本当にそれだけになってしまうかも知れませんけれど、でも、聞くことなら私にも出来ますし、何かお役に立てることがあるかも知れません」


 昨日、食堂で胡桃沢さんとお話していて気持ちが落ち着いたように、私にもお話を聞くくらいならできます。それに、これは家に伝わる種類の怪異でもあります。

 お話を伺ってみて、もし必要そうならば、浄化対象として報告すれば先生にも相談が出来るわけです。そうすれば何か良い手段をご提案できるかも知れません。

 対怪異浄化情報収集室は特務機関として機能してはいるものの、その存在はあまり口外してはいけないものなのでまだ身分は明かせませんが……案件として取り扱わないにしても、私でも何か力になれるかも知れません。


「……本当に、いいんですか?」

「はい!」


 返事をした後、ほんの一瞬だけ感じた違和感。それを見過ごしてしまったことを私は後から大変後悔することになりますが、それは後の祭りというものです。

 蔓巻さんは私をじっと見てから、少しだけ、口元を緩めました。良かった、笑ってくれた。そう思った瞬間、私の意識は遠のき、次に気が付いた時の私の視界の中には、あの平たい丸い葉が揺れていたのでした。

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