梅小路翠子―4

 小瓶の中身は、まるで兵児帯のような愛らしい色合いのビー玉でした。正確にはビー玉ではありませんが、胡桃沢さんも「そのビー玉、今どのくらい溜まってるんだ?」と颯くんに訊いていたので、きっとビー玉の形状に近い形が共通認識なのだと思います。時々、勧修寺先生だけが、鍵付きの戸棚に並んだ小瓶の群れを、何か言いたそうに眺めています。


「そろそろ浄化の頃合いじゃないか?」


 胡桃沢さんの言葉で気が付きましたが、そう言えば颯くんの「祓う」場面は何度か目にしましたが、それを「浄化」する場面にはまだ立ち会ったことがありません。小瓶の並ぶ棚は厳重に鍵をかけた上で干渉禁止の術札が貼られていて、これを解けるのは今のところこの部署では颯くんだけです。


「颯くん、私も浄化の方法を知りたいです」

「ぁあ?」


 面倒そうに唸り声をあげた颯くんは機嫌がよくありません。声をかけてしまった後で、そう言えばタイミングが悪いことに気がつきました。何しろこの大きな建物を丸ごと結界で包んだ後ですから、その労力は大変なものです。これはさぞお疲れでしょう。


「ごちゃごちゃ煩せぇなぁ……物には順序ってもんがあんだよ」

「……すみません」


 始末書の用紙にペンを走らせていた先生が顔を上げました。心なしか表情が緩んでいます。それ、そんな嬉しそうな顔で記入するような書類ではないと思います。その隣で口許をムズムズさせた胡桃沢さんが面白そうにこちらを見ました。


「いやぁ、颯くんはなんだかんだで梅小路さんの事はちゃんと認めてると思うよ? だって、今のも否定はしていないからねぇ」

「憎からず思っているんだろう、颯少年?」

「……あぁ……ウゼぇな」


 機嫌の悪さを隠そうともしない颯くんの目が、室内を一瞥しました。ぎくり。その迫力に思わず肩が跳ねてしまいます。


「先生はさっさと書類出しちまえよ。胡桃沢さんも余計なこと言うな。あとアンタ、いつも危なっかしいんだよ」


 ぼそぼそと全方位的に吠えてから、颯くんは少し口ごもりました。


「えぇと、何か、余計なことをしましたでしょうか」

「余計ってんじゃねぇけど」


 あふ、と大きな欠伸をひとつ。これはもう、本当に限界でしょうか。颯くんは事務所の南側に陣取った革張りのソファへ歩み寄ります。その足取りはおぼつかなくて、今にも倒れ込んでしまいそうです。


「……とにかくアンタは……翠子は、同調し過ぎなんだ……気ぃつけろ」

「あの、はい」

「…………寝る」


 どさり。身体を投げ出すように横になると、それきり穏やかな寝息が聞こえ始めました。先生が苦笑いで肩をすくめ、胡桃沢さんは笑顔のままでやれやれと首を振ります。

 同調し過ぎ、とは、一体どういう意味でしょうか。私はのろのろと袖机を開くと、中からブランケットを取り出しました。モスグリーンの毛糸で編んだもので、まだ存命だった頃の祖母から教わった編み方で作ってあります。空気の含まれ方からなのか、このブランケットを羽織っていると、不思議と他のものよりも暖かくて疲れがよく取れるような気がするのです。

 ソファに横たわる颯くんは近づいてみると明らかに顔色が悪くて、くるくるした髪の向こうでは、眉間に皺を寄せているのが見えました。

 颯くんは一体いつ頃から「祓う」ことをしているのでしょうか。詳細を伺ったことはありませんが、確か私よりもいくつか年下のはずです。

 眠っている顔が何故だかとても幼く見えます。私は起こさないようにそうっとブランケットを広げると、寝たままの颯くんの身体の上に掛けました。少しでも回復しますように。そう祈りながら。


 さっき、画像のお人形を祓う時に颯くんが祝詞を唱えながら想っていることが、わずかですが伝わってきました。

 颯くんは、明るい光の灯る方向へあのお人形を誘導するように、優しく柔らかく語りかけていました。今の想いを抱えたままで良いから、明るくて温かい場所に行こう、きちんと輪廻に還ろう、と。そんな内容が聞こえていた気がします。


 これから自分が何を学んで何をするべきなのか、私にはまだまだ分からない事ばかりです。

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