三章 ひとに寄生する植物の怪
蔓を巻く―1
ぐんと冷え込みが強くなった月曜の朝。その日、いつもよりも少し早めに家を出た私は、銀座駅から庁舎までの道のりをゆっくりと歩いていました。
洒落たファッションビルやキラキラしたブランドショップの並ぶ大通りを抜けて、数寄屋橋交差点のガード下を潜り、少し進むと途端に視界が開けました。右には皇居のお堀、左には日比谷公園が、それぞれ美しく色付いた紅葉を携えて広がっています。いつも窓から見える外務省付近の銀杏並木も綺麗ですが、きっと公園の中の大銀杏やモミジの葉も見頃なのではと思っていたのです。
まだ人の少ない歩道に足跡を響かせます。銀座はキラキラと着飾った人の多いおしゃれな街ですが、庁舎に近い公園辺りは意外とスーツ姿の人が多いので、あまり緊張せずに済みます。
公園の歩道に差し掛かると、私はゆっくりと辺りを見回しました。木が多い公園は新しい空気に満ちているようで、やはり深呼吸したくなるものです。昨夜の雨に濡れた落ち葉の香り、すれ違うビジネスマンが手に持つ紙カップからはコーヒーの香り。美味しそうです。私も事務所に着いたらコーヒーを飲もうと思います。
ひときわ紅葉が美しいと評判の雲形池に差し掛かると、池の前の東屋に座っている人影がありました。ちょうど見ようと期待していた首賭け銀杏の側でしたので、邪魔にならないようその方の横を通り過ぎようとした私は、驚いて思わず足を止めました。その方は勧修寺先生くらいの年齢の男性でしたが、その首元から、植物の蔓がするすると伸びて頭に巻き付いていたのです。……私は寝ぼけているのでしょうか。
男性は足を止めた私に気が付くと、こちらを見て「おや」と呟きました。
「もしかして、お嬢さんにはこれが見えますか?」
「あの、これ、というのは、その……」
「この蔓のことです」
やはり、寝ぼけているわけでは無さそうです。噴水からパシャンと水音がしました。どうやら池の魚が跳ねたようでした。私はもう一度瞬きしてみてから、その男性の側に少し寄りました。
「蔓が、巻き付いていますね」
「そうなんです。ついでに言えば、私の名前は
「蔓巻さん」
鸚鵡返しの反応をしてしまいましたが、蔓巻さんは気を悪くした素振りもなく、静かに微笑みました。
「少し、話を聞いて貰っても?」
まだ始業には早い時間。今朝は清掃もなければ特段イレギュラーな用事もなかったはずです。頭の中でもう一度タスクを確認してから頷いて、その方の座っている東屋の側に半歩ほど寄りました。
「これは、僕の家系に代々伝わるものなんです」
「その、蔓が」
「はい。一族の中でも素質のある者には蔓が現れる事になっているんです」
どこかで聞いたよう話です。蔓巻さんのお家にも、私の生家と同じような呪がかかっているのでしょうか。私は自分の手足の先が紐状に解けてくる呪のことを思い出しましたが、口にするのはやめておきます。これがどういった類の怪異なのかまだハッキリと確信が持てませんし、亡くなった祖母から言われたことを思い出したせいでもあります。見えているものを黙っておく事も必要なのだと祖母は言っていました。私に見えているものは確かに私にとっては当たり前に存在するものですが、同じ屋根の下に暮らす母や父には見えていなかったように、皆が同じものが見えているとは限らないのです。
「こうして偶に陽にあててるんです。やっぱり植物だから、大事なのかなって」
「それじゃあ日向ぼっこしてるんですね」
「そうですね、日向ぼっこです」
そう言って穏やかに微笑む蔓巻さんは困っているふうにも見えなくて、こうやって家に伝わる怪異と共存している人というのは意外といるものなのかも知れません。
乾いた風が吹いて色付いた葉が一枚、ひらりと足元に舞いました。
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