烏丸颯―1

 猫を撫でる感覚に似ている。そう答えたのを思い出す。その時の質問は「颯くんは浄化対象の怪異を読み取ろうとする時に、いつもどんな事を考えていますか?」で、質問を発したのは梅小路翠子だった。

 質問に対して最適解だったかどうかはともかくとして、猫と答えたのは、あながち間違ってないはずだった。怪異の方を向いているとき、あれらは姿を隠そうとするし、逆に怪異に興味がないスタンスを取る時は狙い澄ましたようにこちらへと忍び寄ってくる。

 興味のないふりをするのがそこそこ上手くなってしまったのは単に自分の生い立ちに起因する。

 そこへ行くと先生は、猫に対する好意を剝き出しにしてにじり寄るばかりかひげを引っ張ったり果ては追い掛け回したりなどの暴挙を、すべて無自覚でやってのける上に何も見えていないわけで、とても困る。それはまぁひとまず置いておくとして。とりあえず今は面倒臭いことに、いつもながら、対怪異浄化情報収集室がピンチだ。


 話は朝に遡る。

 朝飯の習慣はしばらく無かったのに、ここに来るようになってから食べるようになった。何しろ、いつ何処で何がどのくらいのボリュームで起きるんだか見当もつかない。だから、食べられる時に食べられるだけ食べておかないと、肝心な時に力が出せないことがある。

 まだ人が少ない職員用の食堂でコンビニの袋から四つ目のおにぎりを取り出したところで、斜め向かいに座ってスマホを弄っていた胡桃沢さんが一旦席を立ったかと思えば、片手にそこそこ大きめの保冷袋を下げて戻って来てそのまま俺の横に来てそれを押し付けていくから、釈然としないまま受け取らざるを得なかった。


「汁物も食え、少年」


 もう成人したから少年じゃないし冷凍パウチのスープなんてわりと高価なもん、ほいほいくれるってことはまた何処かで巻き上げて来たんだろうと思ったけれど、これはこれで先生の栄養補給にもなるし悪くないだろう。先生は、あの人は、いつもいつも何かにつけて危なっかしい人なので、俺は必然的に世話を焼かされていてとても困る。迷惑していると言っても過言ではない。けれど知識と人脈だけは豊富なので助かってもいるのだ。不本意ながら。


「あざす」


 視界の端からもみじの柄のついた着物の裾が消えていくのに向かって礼を言って席を立つ。先生がどんな駄々を捏ねたのやらあの部屋には電子レンジと冷蔵庫があるから、出勤してきたら出してやろう、などと考えながら。


 事務所に入ると先に来ていた梅小路翠子がパソコンの前で首を傾げていた。ちゃんと見習い中の自覚があり、勝手に危ないことはしない辺り、とても助かっていると思う。あまりにも基本的なことだけど。


「あ、颯くん。おはようございます」

「……なんだそれ」


 挨拶よりも先に疑問が口を突いて出る。後輩とは言え仮にも自分より少しばかり年上に対する口のきき方ではないと、実家にいた頃なら怒られるだろうが今この瞬間は仕方ないと思う。反射で出てしまった言葉だった。


「絶対なにか起きてますよね」

「だろうな」


 パソコンのデスクトップ画像がおかしいのだ。確か夜中の竹藪だったはずの背景がぼんやりと明かりを帯びている。つまりは、早朝か夕方の空模様に差し替わっていた。画面の中に立つ小柄な人影は着物を身に着けていて、前回見たときは判然としなかった模様がうっすらと判別できるようになっている。画像に何か仕掛けがあるんだろうか。それとも、時間経過で差し変わるように設定されているとか。


「夜明け、でしょうか」

「何でわかる」

「この竹藪の向こうに民家の様なものが見えているの、分かりますか?」


 言われてみれば、明るくなった竹藪の竹と竹の間にある隙間から、日本家屋のようなものが見える。


「これ、玄関の戸と、こっちは縁側じゃないでしょうか。となると普通はこの規模の住宅の庭や玄関は南向きにすると思うので、向かって右が明るいということは東の方向です」

「……すげぇ」


 思わず漏れた呟きに「そんなことは」と照れたように頭を掻く仕草をしているが、これは実は素直に喜んでいる場合じゃないと思うんだけど。その辺り、この新人もやっぱり一筋縄じゃ行かなそうな予感がしてくる。

 まぁ、こんな場所に飛び込んで来た時点で既に普通の感覚を持ち合わせていないって説もあって、やっぱりどっかちょっと壊れているのかも知れないなと、そんな風に思いながらもう一度画面を覗き込んだ。

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