祓う―3

 シャラーー……ーン……

 リィー……ーーン……


 想像していたのとは少し違う、柔らかく澄んだ音色が滔々と室内に広がりました。これは、さっき私の意識が遠のく度に導いてくれた音です。この音だったのか、と驚きましたが、尚も颯くんは鈴を鳴らし続けます。


 シャララ……シャラン……


 ふわり、と何かが目の前を横切りました。糸にも見えましたが、空気の流れに沿うように漂うこれは、どうやら念を顕在化したものです。

 そのふわふわした波状の思念の塊は、形を変えて漂いながら集まり始めました。いつの間にか開かれた掃き出し窓を通って、お庭から、廊下から、私たちのいる部屋の中へ。


 シャラァーー……ーン……

 シャリィィー……ーーン……


 部屋中の至る所からふんわりした煙や形を持たないものたちが湧きあがっては集まり、撚り、螺旋状に綯われ、ひとつの大きくてきれいな流れが編み上がっていきます。


 シャララ……シャラン……

 リィ……ーーン……


「……わたくしは」


 誘われるように柳井さんが口を開きました。呆然と開かれた目。力なく下げられた両腕。これは恐らく無意識の吐露でしょう。柳生さんの身体の至るところから、細く長い煙が吐き出されて流れに加わります。


「わたくしは奥様の美しさを愛していました。この世の全ての幸福をその身に受けた輝くばかりのお顔も、しなやかな手脚も、そよ風のようなお声も。その反面で、それらが妬ましく、憎く、どうしようもなく憎悪する心もありました。

 旦那様が奥様の元から離れられた時、言いようのない優越感がわたくしの中に現れたのです。

 ご両親を亡くされ、お子様もなく、旦那様に去られたいま、奥様にはもう、わたくししか縋る相手はおりません。このわたくしに。たかだか召使風情の、卑しい町の出の、美しくも賢くもない、このわたくしの手に奥様が縋る様は愉悦でしかありませんでした。

 お美しい奥様のお姿をもう一度取り戻したい。

 ずっとずっとこのまま、苦しんで縋り続ければいい。

 どちらの気持ちも抑えきれなくなりました。柔らかな布に、芳しい香りの精油を染み込ませる時、その布で奥様のお身体を優しく撫でる時、罪悪感と幸福感の狭間でわたくしは……わたくしは……」


 シャラーー……ーン……

 シャララ……シャラン……


「……けまくもかしこき 伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ

 筑紫つくし日向ひむかたちばなの …………」


 低い、でも朗々とした声で、颯くんが口にしたのは祝詞でした。驚いて息を飲む中で、慣れた口調で、丁寧に、切れ目なく、颯くんは静かに祝詞を唱えていきます。部屋の空気がしんと張り詰め、例えば夜明けや、新雪の積もる夜ような、凛とした清浄な気配が満ちていくのを感じます。

 左手の手のひらに何かを受けるようにそっと差し出すと、そこへ念のうねりが集まりだし、颯くんの左手が光を帯びるのが見えました。


「……はらたまきよたまへと もうす事をこしせと

 かしこかしこみももうす……」


 シャラーー……ーン……

 シャララ……シャララン……シャラァン……


 祝詞を読み終えたあと、颯くんは私を見てひとつ、こくりと頷きました。それで役割を思い出しましたが、そう言えば、事前に渡されていたものがあったのです。

 鞄に入れてきた透明な容器をそっと取り出し、颯くんの左手の上あたりにふんわりと浮かんでいる光の塊を、聞いていた通り金魚掬いをするような仕草で、そうっと掬い入れました。ゆっくりと慎重に蓋を閉めると、そこへ、颯くんがふうっと軽く息を吹きかけます。

 瓶の中身は一瞬だけ強く発光して、それから、ことん、と小さな音がした後は静かになりました。覗き込むと飴玉かビー玉にもよく似た不思議な色合いの塊がひとつあります。そしてもう、光り出すこともないようでした。

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