浄化室の日常 後
さて、画像のお話です。私はマグカップを諦めて、もう一度この呪いの画像に目をやりました。
「こちらは確かに念を感じはしますが、なんと申しましょうか……念の種類が即物的というか」
じっと画像を見て、そこから流れてくる人の念と向き合います。颯くんに教わったように、息を深く吐いて、それからその物の念を一緒に吸い込むようなイメージで大きくゆっくりと息を吸う。
「……これは」
「うんうん、どうだい?」
確かに見た目は怖いような気もしますが、負の感情の手触りはしません。
こうやって念を感じ取る練習を始めて少し経ちますが、どちらかと言えばハンドメイドのぬいぐるみの方が怖い感情が詰まっていたりすることが多くあって、なかなか油断ならないものだと学びつつあります。
「なるほど。悪意ではない、ということか」
「あ、はい。悪意や憎悪ではなくて、どちらかと言うと『注目を浴びたい』といったような種類のようです。なので、怖がりたい気持ちで画像を見ている人には影響を及ぼしますし、そうでない場合は特に問題はないということになります」
「つまりは眉唾もんってこったな」
いつの間にやって来たのか、颯くんが話に混ざります。部屋の中央にあるミーティング用テーブルに書類の束をどさりと置きました。くるくるの巻き毛の間から、いつもながらの鋭い目付きが見えています。
パーカーにダメージジーンズという姿がまるで学生さんのように見えるこちらの男の子は
どこでノウハウを身につけてきたかなど、その辺りはまだあまり詳しいお話をお伺いしていませんが、私にも素質があるからと少しずつ教わっているところなのです。
「なぁ、先生。『他人のPC画面を勝手に呪いの画像に差し替えるのは止めてくれ』って、前にも俺、言わなかったか?」
「うん、聞いたような気がするねぇ。でもほら、結果としてコレは呪いの画像じゃなかったわけだし」
そうでした。今朝パソコンを開いたら設定した覚えのない画像がデスクトップ画面になっていました。これには少しびっくりしましたが、初めての出来事ではないので、そこまで驚くほどでも無かったのです。
「結果じゃねぇよ、俺は過程の話をしてるんだ。結果として死ななかったら殴っていいって訳にはいかねぇだろ」
「なるほど興味深い話だね!」
話が少々物騒になってきました。話題を変えた方が良いかもしれません。先ほど颯くんがミーティングテーブルに置いた紙束に向き直ります。
「こちらは、新しい案件ですか?」
「……あぁ、どいつもこいつも他人を呪うばっかだよ」
「人の心は複雑だからね。おかげで僕は興味が尽きないよ。それに、素晴らしいことに本物が紛れてるんだから、この世は不思議に満ちているのだよ」
「そーかよ」
呆れたように呟く颯くんを他所に、書類の束に飛びついた先生がまるで貪るように目を通し始めます。
「おお、真夜中に動き出す石像、実に興味深い。必ず心霊写真が撮れる塔、ふむ、定番だね。わぉ、こちらは食べると悪夢を見る木の実、ぜひ食べてみたいッ!」
「……それで、どちらの案件から取り掛かりましょうか」
「とりあえず、急ぎのやつから片付ける」
書類の中から赤墨汁で「急」と走り書いてあるものを探し出すと、そこにある文字列を横から覗き込んだ先生が読み上げました。
「脱皮する人間」
「脱皮ってあの、爬虫類なんかが成長する時に体の皮が脱げていく、あれですよね?」
「らしいな」
「人間が脱皮ねぇ」
皮膚病で肌の表面の皮が剝けてしまう状態は見たことがありますし、実際、日焼けした夏の終わりなどは自分の皮が剥けてしまったこともありますが。あれは大変幼いころのお話なので、記憶が少し、定かでは。
「よしっ、行こう颯くん!」
私が記憶の糸を辿ろうと頭を回転させている間に、どうやら勧修寺先生のエンジンに灯がともってしまいました。こうなってしまうと、ほとんど手のつけようがありません。「面倒が起きなきゃいいが」という、呆れたような、諦めたような颯くんの呟きがきこえました。その息遣いからは実は先生に対する優しい感情が感じられるのですが、それは内緒にしてあります。
「……出かけられるか?」
こちらを振り返った颯くんが何でもない事のように問いかけました。これは、私も同行するという事になるのですね。
実は、実地調査に同行するのは今回で二度目です。少しだけ緊張しますが、でも、望むところです。先生の勢いにも負けないくらいの気持ちで「もちろんです!」と答えてから、デスク横の鞄に手を伸ばすと肩にかけました。
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