ほどける 3

「おい先生、やっぱコイツだ」


 廊下を小走りに近づいて来る足音がします。続いて勢いよく扉が開け放たれ、銀縁の丸眼鏡をかけた顔が覗きました。頬は上気しており、今にも輝き出しそうな笑顔でしたので私は大変驚きます。


「いやぁ、長いことこんな仕事してるけど実は僕の方はさっぱりでね! その点、はやてくんは大っ変優秀なんだよ! 実に、羨ましいッ!」

「……ごちゃごちゃとウルセェんだよ先生は。この、祓っていいのかよ」

「あぁッ! 待って! ね、お嬢さん、写真を撮っても良いかな? 良いよねッ! 撮影して確実に映るって保障は無いんだけどね、世の中にはある種の媒体を通した時にこそ鮮明に顕現する事象もあって、まぁいわゆる心霊写真とかその類の物なんだけど」


 返事を待つ隙を与えず矢継ぎ早に喋り続ける「先生」が、鞄からカメラと言うよりは写真機と呼んだ方がしっくり来る大仰な機械を取り出して、三脚にセットし、それから流れるようにストロボが何度か光りました。イライラした様子で腕組みしていた「颯くん」が舌打ちをします。


「……おい、もういいだろうが」

「もうちょっと! あと二枚だけ!」

「あーもー……ウルセェ。おわりだ終わり。祓うぞ」


 先生を押し退けた颯くんが私の正面に胡坐をかいて座りました。そっと私の手を取ると、また再びじっくりと指先の糸を検分します。懲りずに覗き込んだ先生に迷惑そうな顔をしながらも、あぁ、と低く唸りました。


「やっぱりしゅかい?」

「……だな。でもコイツじゃなくて、このしゅがかかってやがる」

「家に呪いが?」


 思わず口を挟むと、颯くんの目が私の方を向きました。強い光。何故だか後ろめたいような気持になり視線を逸らします。


「そうだ。アンタじゃなくて、アンタの両親よりも前の代の誰か……かなり酷いことしてきたのが居そうだ。もしかしたらウチで働いてたって奴の可能性が高いな。……だとすると、すぐには祓えねぇ」

「恨んだ誰かがこの家を呪って、結果、比較的がある為に体質的に影響を受け易かった貴女に現れた。まぁ、よくある話だよ。これまでの事案から察するに……糸になるのだったら、か、あるいはのが良さそうだねぇ」


 先生の言葉を受けてしばらく思案顔をしていた颯くんは、ふと部屋の中を見回してからある場所で視線を止めます。立ち上がって「借りるぞ」と言いながら手にしたのは、机の上で編みかけのぬいぐるみと一緒に出しっぱなしになっていたかぎ針でした。それを構えると再び私に向き直り、小指から出た糸に絡め始めます。


「僕にはただの指にしか見えないのだけどねぇ」


 先生が首を傾げつつ、珍しそうにしげしげと見つめる中、かぎ針に絡め取った糸を残っている指先に近付けます。するり。金色のかぎ針は抵抗もなく差し込まれました。特に痛みもありません。

 顔をあげると伺うような表情で颯くんが私を見ていましたので、無事を示すためにひとつ頷きました。颯くんはまた指先に目線を落とすと、続けてかぎ針を動かします。

 優しい丁寧な手付きで丹念に糸を編み込み、先端をそっと絞り止めにして端の糸を潜らせれば、それは一瞬だけ淡い光を帯びた後に元どおりの小指になりました。次いで右足、左足と指先を編んで貰い、私は久しぶりに心から笑うことができました。




 それから少しして私はこの機関に勤めることが正式に決まり、数か月間の研修の後、晴れて希望通りにこちらの部署へと配属になりました。

 初めてこの部屋を訪れた時、颯くんには少しだけ反対されました。


「いいのかよ、良家のご息女様がこんな汚れ仕事の部署で」

「いいえ、むしろ志願して参りましたから」

「他にもあんだろ……ほら、受付嬢とか」


 尚も渋る颯くんでしたが、私ももう、決めたことなのです。


「あのにあのまま居ても手頃な有力者の所に嫁に出されるだけです。だったらせめて、信じたいんです。自分ので出来ることを」

 初めて会った時と同様に前髪の間から鋭い視線を投げかけられました。ですが、今度こそ逸らしません。想いを込めて、颯くんの深い黒の瞳をじっと見つめます。

 先に視線を逸らしたのは颯くんの方でした。仕方ないというように溜息を洩らし、小声で悪態をつきます。


「……ったく。だりぃのが増えんのかよ」


 颯くんが言い終わらないうちに廊下のほうから派手に何かをひっくり返すような音がして、続いて扉がノックされました。


「おおーい、開けてくれないか。すまないが両手が塞がっているんだよ」

「あー、うぜぇのが来たか……っておいっ! 先生!」


 現れた先生が両腕に抱えていた物は巨大な木彫りのクマでしたが、黒い煙の塊が覆い隠すように取り巻いています。いかにも邪悪。見るからに呪物です。


「まんまとヤベェの掴まされてんじゃねぇか!」

「おやおや、僕には単なる木彫りのクマに見えるんだけどなぁ。そうかぁ、トロイの木馬とは恐れ入ったなぁ」


 慌てての準備に取り掛かる私たちでしたが、こういったことはこの部署では日常的に起こります。

 そうそう、私の手足の先は未だにほどけてくるんです。でもその都度、颯くんが編み込んでくれますので、とりあえずは平穏といったところです。

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