二章 電脳を駆ける少女の怪
勧修寺双樹―1
朝いちばんに口にするのはお粥と梅干し、ひじきの煮付けときんぴらごぼう、黄色い沢庵、それから黒豆茶と決めている。これは一般的な修行僧の朝食メニューを参考にした物で、彼らは肉や魚を摂らない事によりに俗世との関わりを断ち、あちらの世界へとより近い存在になるとかならないとか。是非とも僕も、そちらの世界とお近づきになりたいがため、そのような食事を心がけるようにしている。
……というイメージを頭の中で固めたまま、冷蔵庫から取り出したゼリー飲料のキャップを捻る。肉や魚は含んでいないばかりか栄養素を固めたゼリーなのだから、実質同じなんじゃないだろうか。そんな事を思っても、頭のどこか片隅で違和感がちりりと主張した。
プラスチックのタブを口に含めばひんやりした感触が喉を通り過ぎていく。胃も冷たい。冷たいんだなぁ、胃も。いや、これは胃が冷たさを感じていると言うよりは、胃の周りの血管が冷やされてそこから神経を伝搬して自覚するに及んでいるわけで、いやいや、でも、事象としては間違いなく胃が冷たいってことになる訳か。
なんてことを考えながら歩いていたらいつの間にか僕の足はいつもの事務所へ到達しているのだから習慣とは馬鹿にならないものなのだ。
「おはようございます、勧修寺先生」
「梅小路さんだ、早いね」
僕の言葉に不思議そうな表情を浮かべた梅小路さんは、事務所の壁にかかった時計を見た。僕もつられてそちらに目をやると、始業から一時間近く経っている。
「え? 何で? 僕はこの小一時間ほど何処で何をしてたんだろうか……いや、これはもしかすると怪異に巻き込まれていたのでは?」
「どーせ寝坊だろ、ほら」
颯くんが湯気の立つマグカップを手渡してくれたので覗き込んでみれば、中身はコーンスープだった。やぁ、これは有難い。温かい。胃に染み渡る。いや、胃の周りの血管が温められてそれが体内を巡るから身体の温度が上がるのか。ん? これはコーンスープ? ではなくて、何か他の物のポタージュ? そもそもスープとポタージュの違いとは? あとで調べておく必要がある。それにしても温かい。美味しい。何のポタージュだかはさっぱりわからないけれど。
「あぁ、五臓六腑に沁みるねぇ」
「先生が召し上がってるのはサツマイモのポタージュスープで、他にはボルシチとか、酸辣湯もあるんですよ。胡桃沢さんが差し入れしてくれたんです。何でも、景品だったとかで」
「おおかた巻き上げたんだろうよ」
彼女ならその可能性は大いにある。何しろ
僕だって見境なくあちこち火をつけて廻ってる訳ではないのだ。
「有難いねぇ」
あ、そうだ。有難いと言えば。
「颯くん、お姉さんそろそろ帰ってきてる? いつもの有難いお
急に話題を振ったせいか颯くんがゴボゴボと苦しそうにむせている。その横で梅小路さんがぱちくりと瞬きをした。
「颯くんてお姉さんいるんですか?」
「……いちゃ悪りぃのかよ」
「いえ、何と言うか、世話焼き体質に見えたので、どちらかと言えば妹さんか弟さんがいそうな」
そこまで言ってからふたりは考え込む素振りの後、一斉に僕を見る。
「僕に何か?」
「いえ」
「別に」
それから何か納得したような顔でスープを啜る。
「環境も要因になりますよね」
「ったく、なりたくてなった訳じゃねぇからな」
少々腑落ちしないのは何故だろうか。あ、そうか、と思い付いて「僕なら双子だよ」と声をあげれば、二人ともちょっと飛び上がるくらい驚いたので笑う。
「冗談だろ? こんなの二人も居んのかよ!」
「あの、先生の双子のご兄弟は現在は何をされてらっしゃるんですか?」
「うん、いないんだよね」
これには少し説明がいるのだ。僕の双子の存在は僕らが母親の胎内にいる間に消滅してしまった、いわゆるバニシングツインと呼ばれるものだ。
心拍が確認出来た時には確かに二人分の鼓動が存在していたのに、僕が吸収してしまったのか、あるいは途中でこの世に生まれることを諦めたのか。いずれにしても、僕らが双子だった時には確かにあった力が、心拍が一人分になった途端に消滅したと聞くのだから、僕の双子の兄弟はなかなかに意地が悪いと見える。おかげで僕の家も一時は上を下への大騒ぎってやつだったらしい。よほど諦めきれなかったと見えて、存在はしなくとも側に居て欲しいとばかりに「双樹」と名を付けた。沙羅双樹の双樹。有難い二本の樹。そんな名前だ。
「じゃあ勧修寺先生のご実家も陰陽師筋の家系なんですね」
「うーん、僕の実家の場合はどちらかと言えば憑き物落としがお家芸だったみたいだね」
だから生まれ育った環境にはそれこそ膨大な文献や逸話や、曰く付きのアレやコレが山ほどあって、望めばいくらでも資料は手に入った。ただ、周囲に望まれる力だけが僕にはひとかけらも与えられていない。この浄化室に居るにも関わらず浄化対象を視ることが出来ない、それだけの事だった。
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