八月十日 「搾」

 相模原は、昨日留佳と別れた後からの事を、昨日と同じ芝前珈琲で落ち合い、話をした。

「島田昇太は、今まで島田亜美の関与を一切話さなかったが、昨日、島田亜美が逮捕された。島田亜美が自らの命に区切りをつけようと、最期に書き記した、いわば遺書に、事の顛末が書かれていてな。殺人教唆罪に問われるだろう。」

「手紙にはどのようなことが?」

「事件の詳細な経緯と、後はとにかく息子の島田昇太への謝罪だ。」

「そうですか。相模原さんは、亜美さんが何かする前に間に合ったんですね。」

「いや、どうやらその決断もできず、一人焦燥に駆られていたらしい。」

「そうだったんですか……でも、罪を認め、背負っていくのであれば、それはよかったです。」

「車谷悠介と交換殺人の契約を結んだことで、車谷悠介は殺人を犯したため、実行犯二人とは異なる罰になるだろうが、重い実刑は下されるだろう。」

「罰は何年刑務所にいるかということよりも、昇太君のしたことと想いを、深く受け止め、自覚することです。遺書にそのようなことが書かれていたということは、自責の念が高まったのでしょう。亜美さんも、これからです。」

「島田亜美が自白したことで、昇太も嘘をつく必要が分からなくなったらしい。正直に話してくれたよ。それが、少しおれの想像とは違ったがな。」

「と言いますと?」

 お互い、珈琲を一度啜った。

「島田昇太は、七月下旬、島田宗吾が殺害される前から、母親に成り代わって車谷悠介とループで連絡を取り合っていたそうだ。」

「亜美さんの携帯を何かの拍子に見て、交換殺人のやり取りを目にしたことをきっかけに、ということですか?」

「そのようだ。そして、そこで、交換殺人なんてやめてくれ、なんて言葉、言えないだろうが、言えればよかったのかもしれないが……」

「そういうこと……だったんですね。昇太君は、はじめて交換殺人のやり取りを見たときには衝撃だったでしょうね。ですが、母さんが望む父の死は、叶えたいと思った。でも、母さんが知りもしない神田先生という人を殺すことは、許せなかった。この段階で、既に亜美さんの知らない物語が描かれていくんですね。」

「そうだ。そこで島田昇太が考えたのは、車谷悠介に先に島田宗吾殺害を実行してもらって、その後、連絡を断つ。そうすることで、こちらは島田亜美は手を汚さずに、しかし願いは叶えられる。実際の実行犯は車谷だけになるため、車谷自身が警察に訴えることはできないだろうし、下手に群馬に行き来することも危険だからしないだろう。車谷の犯行がバレることは、本人だって望まないはずだから、悔しい気持ちで静かに神田龍弥殺害は諦めてくれると、そう考えたようだ。そして七月二八日、島田亜美が友だちとご飯に行くと言っていたのを聞いていたため、その日が決行日だと思い、昇太は車谷に決行すべきだという連絡をした。それに合わせて、島田昇太も友達の家に出かけた。これでアリバイができたため、遺族の島田家に疑いの目が掛かることはないと思った。ということらしい。」

「なるほど……。でも、そうもいかなかった?」

「そうだ。車谷は、島田宗吾を殺した後、自分のした殺害方法について、島田亜美に電話で伝えた。ループを使って、やり取りが残ることを恐れたのだろう。しかし、島田昇太としては、まさか車谷と自分の母親が電話番号まで交換していたなんて、想定外だった。二人の電話のやり取りを七月三十日に部屋の奥で聞き、その日の夜に島田亜美の携帯から車谷の電話番号を見て、自分の携帯に登録した。島田昇太は元々は七月二八日以降、どんな連絡がきても無視するつもりだったわけだが、島田亜美が車谷とやり取りできる関係だったために、当初の計画は崩れ、連絡が繋がってしまった。」

「悠介君が亜美さんと連絡を取れる以上、悠介君を放っておくわけにはいかなくなったわけですね。そして、今度は七月三一日に昇太君から悠介君に電話をした。ここで初めて、悠介君からすると、昇太君という人物と関わるわけですね」

「実はループでのやり取りも、途中からは昇太が演じていたわけだが、そこはアカウントを変えたなどと言っていたため、車谷は相手が亜美から昇太に変わったことを知らなかったからな。だが、なんにせよこの電話でおれは、車谷が脅し、昇太は重々神田龍弥を殺害せざるおえなくなったのかと思っていたのだが、そうではないらしい。どうやら、車谷としては、自分が殺害をしたという事実に対する精神的疲労から、もう交換殺人などどうでもよくなっていたらしい。しかし、島田昇太は、自分の意思で神田龍弥殺害事件を実行したそうだ……」

「昇太君が、見ず知らずの神田龍弥を、殺意をもって、殺害した、ということですか?」

「そうらしい。その辺の結末は、弁護士の仕事だがな。」

 留佳は、深く考え込む様子になった。

 七月三一日と、八月一日。昇太君と悠介君は、どんな話をしたのだろうか。

 

「相模原さんは、どうして今も私の面倒を見てくれるんですか?」

「急にどうした?どうしてって、そうだな……」

「私の両親が亡くなった事故に関わっていた責任感からですか?」

「はじめはそうだった。けれど、何だろうな。やはり責任感なのかもしれん。だが、はじめの事故に関わる責任感から、今は図々しいようだが、一保護者としての責任感といえるのかもしれんな。」

「そう言ってもらえて光栄です。相模原さん、私は、事故当初、完全に虚無の中にいました。もう何でもどうでもいいと思っていたんです。でも、ここで命を投げうるのは、両親に申し訳がたたないとも思いました。自分だけが生き残ったのは、両親の最後の愛だと思ってるんです。そんな時に、相模原さんが来てくださいました。太宰治は、「君が死ねば、君の空席が、いつまでも、私の傍に在るだろう。君が生前、腰掛けたままにやわらかく窪みをもったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷たい椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席をふさいでくれることはできないのである。」と記しています。両親の空席は、太宰の言う通り、空席のまま、誰にも座れません。それでいいと私は思っています。ですが、悲しいことに、瞬間記憶能力をもつ私でさえ、時を経るごとに、本当に僅かながらも、クッションの窪みが戻っていくんです。悲しみや後悔が、薄らいでいってしまうんです。それが、私は怖くて仕方ありません。太宰は空席のことを、我執の形と記していましたが、全く本当にその通りだと感じました。」

「ああ、おれも亡くした妻との日々が、虚ろいだしている。苦しくて敵わん。」

「そうでしたか……。ですが私は、相模原さんと出会えたことで、新しく隣に座ってくれる人と出会え、今、幸せを感じています。そばにいるべきが親なのは間違いありませんが、そうでなくても、愛を目一杯表現してもらえると、人は充足するものです。昇太君と悠介君にも、きっとこれからまたたくさん愛を表現してくれる人が現れるはずです。本来社会はあったかいんですから。」


  留佳の表情に、重たい空気が感じられた。

 

「相模原さんの話によれば、悠介君は、島田宗吾を殺した後、交換殺人の提案に努めず、もう自分の人生などどうでもいいという気持ちだったそうですね。本当に、この国はニヒリズムが蔓延しすぎています。ただ、悠介君自身、自分がこの世からいなくなることは、島田明子、悠介君のお母さんにとって最大の苦痛であることは感覚的に理解していたから、それだけは選択できなかった。という気持ちだったのでしょう。

 対して昇太君は、車谷悠介という人物を使って、母の願いを叶えようと努めたわけですが、車谷悠介という人物はてっきり大人だと思っていた。それが、実際に電話をして話していくと、同級生だったということが分かる。昇太君としては、衝撃だったでしょう。そして、同じ中学三年生の悠介君の、母を想う気持ちと、学校に対する虚無感、この二つの境遇が、昇太君に強く重ね合わされた。母を想うが故に実行した悠介くんに、自分も母を想うが故に殺害を仕向けさせたことが重なる。」

「その行末が、痛み分け、か。」

「どこまで昇太君の真意に近づけるか、それは弁護人の仕事ですが……。子どもの心は無垢で胡乱です。想像難い。一服、行ってきます。」

「おれも行こう。」

 二人は禁煙席を後にして、喫煙ルームに入り、いつも留佳がいる角の席に向かった。

 留佳は机上の灰皿を手元に寄せて、一本吸い始めた。

「太宰治は、「先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらは私たちは、一言も教えられたことはなかった。」と記しています。無論、私のようにそうではない家庭もありますが、現代も親は子に対して礼をもたず、甘えている家庭は数多あるでしょう。なぜ自分の子に甘えるのかというと、子どもは、「信じる」という、親に対して無償で揺るがない愛を与えてくれるからです。この世で、最も純粋で屈強な愛は、子の親に対する愛です。親はそれに無自覚すぎるんです。無自覚に、でも子どもが親を慕うのはまるで当たり前であるかのように振る舞うんです。そうして、子どもたちの無垢な愛は搾取され続け、されど供給されず、その行末に、愛が枯渇し、ニヒリズムへと向かっていきます。現代社会の大人は、自分が愛されるための方策には全力を投じますが、愛し方の鍛錬など積もうとしない。それでも、運命的な出会いが、恋が愛に深まる出会いがあると思っている。愛が、恋の上位互換なら、子どもを一体どうやって愛するつもりなんでしょうか。私にはそのような感性が理解できません。車谷明子が神田先生にそうであったように、教師という職業に愛の搾取をし、子どもたちからも直接愛の搾取をし、奪った愛で自慰行為をする社会。子ども社会に、愛が満ちることは、ないのでしょうか。」

 甘え。搾取。愛。抽象的な言葉が、一つの実体となって相模原の脳内に、落ちていった。

 留佳が煙草のカプセルを潰した音を、はじめて聞いた。思いの外、弱い音なのだな、と感じた。


「いのちがけで事を行うのは罪なりや。弱さ、苦悩は罪なりや。」

                                太宰治

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る