八月九日 島田亜美

 昇太が警察に、連れて行かれた。

 警察が家宅捜査に来たけれど、私に対しては事情聴取で終わり、嫌疑がかけられている感じではなかった。

 昇太が、私の罪を背負って逮捕された。

 その時、私は何もできなかった。

 もう、終わりにしよう。

  私はもう、これからどうやって生きていけばいいのか分からない。刑務所に入れられても、反省も何もない。私が更生して、何になる?昇太にさせたことが、何か変わる?変わらない。もう、めちゃくちゃだ。最期に、昇太に手紙を書こう。でもきっと、私の姿が見つかった時には警察の方が来て、その人がこの手紙を読むだろう。この手紙を遺せば、きっと刑事さんが昇太のしたことを減刑してくれるはず……。

 あの時、昇太が捕まる時、ただ俯いていた私は、もうあの瞬間に母でも大人でも人間でもなかった。生き苦しい。



 島田亜美は、昇太宛に、息子宛に、手紙を書いた。


 八月九日、島田昇太宛

「昇太へ。お母さんなのに、情けない姿ばかり見せて、その挙げ句、昇太に人殺しまでさせてしまって、本当に母親失格です。言い訳みたいに聞こえると思うけれど、お母さんは、お父さんと出会った時、本当に幸せな毎日を過ごしていました。それはもう、色々なところへ出かけたり、一緒にご飯を作ったり。昇太が生まれた時には、お父さんは病院で泣いて喜んで、それからも、昇太の卒園式や、小学校の運動会、色んなイベントを、父さんと二人で駆けつけて、夜には二人でその日の昇太の動画を見ながら、お酒を飲んでお話ししてました。幸せでした。でも、二年前辺りから、宗吾さんは変わりました。昇太も感じていたでしょう。今年のはじめには、仕事帰り、いつもよりお酒が進んで、どこかお父さんがイライラしていると思っていたら、机の上に置いてあったセロハンテープを投げて、私にぶつかりました。足にあたって、骨折して。二年前から、お父さんは仕事から帰ってくると、溜まっているストレスを私にぶつけるようになっていました。その時に、すぐに警察に頼ればよかったんだと思います。でも、お父さんは、優しいんです。警察に突き出すような人じゃないんです。仕事の疲れとか、私の振る舞いとか、そういうのが今はうまくいってないんだって、そう思っていました。それに、すごく私に謝って、昇太の今後についても、そのために変わらなくちゃだって言ってくれていたんです。でも、そうして一年以上経ちました。もう、隠す方が昇太に無礼ですね。私は、かつての父さんとの幸せな日々を思い出したくて、出会い系アプリで不倫を重ねてしまいました。人生の過ちです。二.三人の方と、食事に行くなどしたけれど、私の気持ちは埋まりませんでした。そんな時、車谷悠介君とマッチングしました。それからは、昇太も知っている通り、車谷君から交換殺人の話が持ち掛けられました。不倫でも埋まらないこの気持ちの原因が、宗吾さんであることは間違いない。それに、今は危害が向いていないけれど、もし宗吾さんが昇太に手を出したら、私はその時宗吾さんを殺してしまうと思う。であれば、その時にそんな凄惨な思いを、昇太にさせないために、先に手を打とうと、そう思ったんです。それでも、遅くてもその時に警察に頼ればよかった。警察に頼るべき時はたくさんあったのに、私はそれができませんでした。どこかで、不倫している自分が露見する不安から、自己保身からそのような行動をとっていたのかもしれません。本当にごめんなさい。車谷君に、承諾の連絡を送って、交換するターゲットの情報を送り合いました。でも、それから話が進展しなかったので、やきもきしながらも、これならこれでいいんじゃないかとも、考えていました。だけど、七月二十七日、宗吾さんが殺された。まさかとは思っていたけれど、七月三十日、車谷君から電話があって……。私は、何もできなかった。辻塚留佳さんという探偵さんが言った通り、私がきっかけを作ったにも関わらず、その責任を取らずに見て見ぬふりをしてしまっていました。八月二日、昇太が夜中にどこに行っていたのか、親なら問い詰めて、怒るべきです。でも、なんだか怖くて、何も聞けずに過ごしてしまいました。私は、昇太のことを、本当に、心から愛しています。なのに、それなのに、こんなお母さんでごめんなさい。昇太は立派だから、素敵な方を見つけて、素敵な人生を生きてください。でも、その人生の大きな部分を、私のせいで奪わせてしまって、ごめんなさい。昇太、愛しているのに、本当にごめんなさい。」

                            島田亜美より


 手紙を書き終えた今、自分の人生に区切りをつける勇気を、むしろ失ってしまった。

 自分の書いた手紙を読んで、自分の憐れで見窄らしい人生に、心から後悔し、涙が止まらなくなった。反省したとて、取り返せるものは何もない。これから大人になっていく昇太の人生において、母親という存在はどううつるのだろうか。

 嫌悪か、羨望か。私が子ども欲しさに勝手に生んだのに、本当に……

 電気の消えた暗い部屋で、滂沱の涙を流していた時、インターホンが鳴った。


「島田亜美さん、いらっしゃいますか?」

 刑事の声だ。もう、関わらないで欲しい。そう思っているのに、自分に区切りをつけることも、私はできないのか。

「亜美さん、いらっしゃいますよね?お返事をください!」

 亜美は、涙が枯れ、ただ、机に頭を垂れて無心でいた。

 しばらく、音沙汰がなかったが、

 ガチャッ。

 という音とともに、刑事が入ってきた。

 相模原、と言っただろうか。ああ、近くの契約会社から鍵を調達したのか。

 島田亜美は、どこかふわふわと、冷静に物事を捉えていた。

 刑事が激しく声をかけてくる。

 刑事が手紙に気づいた。ああ、私は捕まるのか。いや、それよりも、これで昇太の罪が軽くなるなら、それに尽きる。

 島田亜美は、自分が何を求めていて、何をしたいのか、よくわからないまま、刑事に身を任せた。

 島田亜美は、「選択・判断」ができない人間だった。

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