七月二九日 群馬 「傷」

 昼過ぎには、島田宅に着いた。島田宅は、木造で、縁側のようにウッドデッキがあり、雨晒しだったためか、一部風化したように思われるベンチが置かれていた。緑色に塗られた屋根には煙突があり、庭に置かれている薪を見るに、近年ではあまり見ない、本物の薪ストーブの家のようだ。しかしその薪を割る斧や台が見当たらなければ、薪入れに入っている薪も、ごくわずか、湿気っているように思われた。

 決して貧しいわけではないが、この外景色から、家の中で幸せな暮らしが行われているようには思えない。相模原の率直な感想は、このようなものだった。

「寂しい家ですね。」

 この感覚は、留佳も同じようだ。

「話は入れてある。お邪魔させていただくとしよう。」

 インターホンを押すと、すぐに玄関ドアが開き、女性が出てきた。

 彼女が、島田宗吾の妻、島田亜美か。息子の昇太君を二十歳の時に産んだため、現在は三五歳。若ママだが、見た目以上に若く見える。旦那が亡くなった後ということもあり、化粧っけはないが、少し垂れた目と小さめな口、茶色く、ゆるく外側に跳ねた髪が、幼さを演出している。

「この度は、ご愁傷様でした。私、群馬県警刑事の、相模原です。こちらは、私の助手でして、県警の者ではないのですが、刑事の助手の役割を県警公認で務めてもらっております。同席の上、お話お伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 留佳は、静かに、丁寧に頭を下げた。

「そういう方もいらっしゃるんですね。そうですか、はい、断る理由も分かりませんので、承知いたしました。どうぞあがってください。」

「あの…入ってすぐで申し訳ないのですが、お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか?」

 留佳は、少し恥じらいながらも、恥じらいよりも申し訳なさが強く見える素振りで、トイレに行った。

 

 家の中は、片付けがよく行き届いている、綺麗な家だった。島田亜美は、綺麗好きなのだろう。もしくは、来客が来るとなって、重い気ではあったが、わずかでも綺麗にしておかなくては、という思いが働いたのだろうか。まあその辺はどちらでも良いわけだが……。


 

「今日は、お時間を取っていただいて誠にありがとうございます。」

「いえ、お話をするのであれば、私が伺うべきだったでしょうか。わざわざお越しいただいて、すみません。」

「いやいや、そんなことはありません。それにしても、随分と部屋を綺麗にされているのですね。」

「いえ、そんなことはありません。細かく見られてしまっては、誤魔化しが露見してしまいます。」

「家宅捜査じゃありませんから、そんなことはしませんよ。」

 すぐには本題に入らず、島田亜美と簡単な会話を重ねた。部屋の生活感からも感じられたが、かつて理想の女性像なんて言われていた「二歩後ろを歩く妻」といった印象だった。つまり、部屋が綺麗な理由は前者ということだろう。

 相模原は、疑っているというニュアンスが込められないように、ごく自然な空気で切り出した。

「ちなみに、亜美さん、七月二七日の夜は、どちらに?」

「昨日の夜は、学生時代の友達と、久々の飲み会で、その後、カラオケにも行ってました。親しくしている友人も、みんな子どもが大きくなったので、ここでちょっと私たちも甘えようって話になって、久々に集まったんです。本当は一次会で解散の予定だったんですけど、カラオケ行こうよっていうノリになって、みんなそういうのも何年もなかったから、楽しくなっていて……それで、朝帰ってきたら、宗吾さんがいませんでした。」

「その時に、通報はされなかったのですか?」

「宗吾さんは個人で運送に駆り出されることがほとんどなので、お勤めの時間がある程度は一定ですが、他もまちまちなんです。なので、もう仕事に行ったのかなって思って……。でも、そもそも私がカラオケなど行かず、きちんと帰っていれば、こうはならなかったんでしょうか……」

 声を震わせながら、島田亜美は昨日のことを振り返っていた。

「いえ、死亡推定時刻から考えるに、きっと亜美さんがカラオケにいかれた時にはもう……。なので、何か旦那さんの死で亜美さんが悔いるようなことはありません。相手のことを想っていればいるほど、人は後悔します。ですが、人の死を、誰が予見できるでしょうか。全ては旦那様に手を下した犯人が悪です。罪を犯した人間の後悔を、懺悔といいます。事件について、すべき後悔はありません。あるべきは、ただ懺悔です。」

 留佳は基本的に事情聴取中には口を出さず、辺りをキョロキョロしながら、話を聞いているだけだが、相手が感情的になったり、泣き出したりすると、その感情に対して、時には寄り添うように、時にはある種つけ離すように話し始める。ただ、どちらも相手を想ってであることは、相手が何よりも感じていることだろう。相模原にとっては苦手な分野であるため、このようなタイミングで話し始めてくれる留佳には心底助かっている部分が大きい。とはいえ、相模原は刑事としての仕事をしなければならない。

「事実確認のため友達の連絡先をお伺いしてもよろしいですか?」

 島田亜美は、黙って頷き、携帯を開いて机の上に置き、我々の方に向けて操作した。

「電話」のアプリを開くと、まず通話履歴が出てくる。

 08063824394―027395836941―03568429386―080694823841――…………

 若い人は近年はLINE等のアプリが増えたことにより、連絡先に登録しないというニュースを見た。留佳もそうだが、電話番号の羅列を見ると、島田亜美も、電話番号を、連絡先登録はしていないのだろう。

 亜美がスクロールしていく通話履歴一覧は、LINE通話の履歴が主であるが、多くの通話履歴が見られた。お淑やかな雰囲気は、決して「陽キャ」ではないが、一緒にいると心地がよい、誰からも好まれる学生生活でも送っていたのだろうかと相模原は感じた。

「この携帯番号です。」

「失礼します。」

 メモに取ったのち、島田亜美は携帯を手元に戻しながら、画面をスワイプし、ホーム画面に戻して画面を閉じた。

 後にその友達から確認を取れば分かる。カラオケも、店の防犯カメラを確認すればすぐに分かる。アリバイは確定だろう。被害者(夫)について話している口振りからも、彼女が犯人であることはないだろうと思われた。

「ちなみに、息子の昇太さんは、今はどちらに?」

「平日なので、普通に学校に。」

「ああそうでしたね。失礼しました。それから、これは仕事上形式的にお伺いすることで、誠に申し訳ないのですが、息子の昇太さんは、昨日の夜はどちらに?」

 亜美の言うところによれば、息子の島田昇太は、学校の友達の家に、泊まりに行っていたという。近くのコンビニにも寄ったらしいので、亜美同様、明確なアリバイがあった。そもそも、中学生の父殺しという事件も、なくはないが、そのような場合は家庭に大きな問題を抱えている。家に侘しさは感じられるが、昇太は学校に当たり前のように通っている。そのような子どもが、父殺しなどはしないし、できない。まあ何よりも、アリバイが全てだ。

 可哀想だとかの感情ではなく、アリバイといった事実に基づく論理で、建設的に事件を整理していくと、この島田家は、悲しき遺族であり、それ以上もそれ以下もないだろう。

 もう聞くこともないだろうと思ったとき、留佳が亜美に声をかけた。

「あの、申し訳ないのですが、一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい?」

 島田亜美は、穏やかに、だが留佳の改まった口ぶりにどこか拍子抜けした声で返した。

「あまりリビングに花瓶や雑貨といったインテリアが置かれていないようですね。ですが、先ほどお手洗いをお借りした際に、とても愛らしいうさぎのガラス細工が二つ、飾られていました。また、トイレの前の洗面台に、お化粧道具がとてもたくさん置いてありました。今では安価でもとてもよく魅せてくれる化粧道具が多い中で、いくつか、高価なブランドのものも見られました。亜美さんは、まだ三五歳とお若く、服装やお化粧にも、とても気配りされているように思います。いえ、気配りというよりは、亜美さん自身が、お好きなのでしょう。あのようなものは、気配りで買う範囲ではありませんもんね。私もあのブランドのものはご褒美に買うことがありますが、勿体無くて使えていません。使うために買ったのに、といつも思うんですけどね。失礼。私が気になったのは、にも関わらず、リビングの見えるところに、一切インテリアがないということです。なぜ、リビングだけは、何も置いていないのですか?」

 相模原には、留佳の質問の意図がわからなかった。

「さあ?無意識に、リビングには何もない方が、居心地がいいからですかね?すみません、あまり考えたことがありませんでした。」

 島田亜美は、はじめの拍子抜けした声のまま、言葉を返した。

「そうでしたか。一つと言ったのにも関わらず、申し訳ないのですが、もう少し、重ねて質問を失礼します。もうすぐ八月ということで、もう最近は暑い日が続いています。リビング奥のクローゼット、空いていたので勝手に眺めさせてもらったのですが、長袖のワンピースや、ティーシャツしかありません。衣替えはとうに終わっているはずだというのに、なぜでしょうか?」

 辻塚留佳は、一つの論理の組み立てが、一定の高さを超えると、そこへの探究心がだいぶ強くなってしまう。まさに今、その状態である。

「日焼けが避けたいので……何か、おかしいでしょうか?」

「いえ、私の杞憂であれば、構わないのです。ですが、お庭を見させていただいた時の印象と、リビングの様子から、一つ、危惧することが浮かびましたので。では、最後のお願いになるのですが、私に、亜美さんの身体、いえ、腕だけでも構いません。見せてはいただけないでしょうか?それで、本日は失礼します。」

 亜美の表情に翳りがみえた。

「あ、もちろん相模原刑事には目隠しをして庭に出ていって、地面に座っておいてもらいますから、安心してください。」

 島田亜美は、留佳の羅列する言葉に負け、承諾した。

 相模原は何も言わず、言われた通りに玄関ドアを開け、外へと出た。

 十分ほど経ち、留佳は相模原を家の中に招いた。

「全く暑かった。だが、必要なことだったんだな。」

「はい。いつもご理解ありがとうございます。」

「亜美さん、もう一度お伝えしますが、あなたにはアリバイがあります。なので、この事実を理由に、相模原刑事が、あなたを容疑者として疑い出すようなことはありません。ですが、得られる情報の全てが、真相解明のキーとなり得ます。犯人を見つけるために、ご協力お願いいたします。相模原刑事にも、お伝えしてよろしいですか?」

 島田亜美は、静かにうなずいた。

「皆まで言わんでいい。家庭内暴力があった…といったあたりだろう…?」

 外に出されている間に、暑い頭で考えた。リビングに小物があり、投げつけられたことがあった。だから共生するリビングには、カッとなって投げやすいようなインテリアなどを置くのはやめた。また、亜美は宗吾の感情や昇太のことを想って、それを隠すために長袖を着ている。といった辺りだと考えた。 

「でも、ちがいます!ちがうんです……他の家庭内暴力とは違うんです。宗吾さんは、私や、昇太をすごく愛してくれていました。ただ、不器用なんです。私にこうして欲しい、昇太にこうなってほしい、そういう思いを、うまく言葉で伝えられなくて、それで…」

「いつから、どのような暴力があったのですか?」

 相模原は、場合によっては今後重要な情報になるやも知れぬと思い、詳しく実態を聞き出すことにした。

「昇太に対しては暴力を振るったことはありませんでした。留佳さんに指摘された、リビングに物を置かなくなったのは、今年に入ってからです。」

「そのきっかけは?」

「その日、宗吾さんは帰ってきた時から不機嫌でした。仕事で疲れているのだと思い、「お風呂にしますか?」と聞いた時です。ふざけるなって叫んで、リビングの棚の上に置いてあったセロハンテープを、台ごと私に投げてきて……」

「亜美さんに当たった?」

「私の足の指にあたって、骨折しました。病院では、強く壁にぶつけたと……それ以来、リビングに物は置かないようにしました。」

「そりゃまた、随分理不尽な思いをされてますね。」

「きっと宗吾さんは、まだお風呂に入りたくないのに、急かさないで欲しい、という思いだったのかもしれませんね。お風呂に入るか聞かれた=急かされた、という認識になってしまったのかもしれません。」

 留佳は、そういう人の気持ちにも理解が及ぶのか、と相模原は感心しつつ、どこか怪訝な気持ちにもなった。

「それから、はじめて亜美さんが暴力を振るわれたのは、いつ頃ですか?」

「二年前辺りからです。元々数年前から、感情の起伏が激しいというか、何に怒っているのか分からないけれど、イライラしているような姿を見ることが多くなっていました。仕事上の疲れだったのかと思います。私に対して、直接殴ることは滅多にありません。今までに、四回です。そのうちの一回が、腕に青痣として残ってしまって……」

「では、平時はどのような暴力を?」

「暴言と、それからソファや机の足を蹴ることが度々ありました。それも、毎日ではありません。先程のお風呂の話のように、私と上手くコミュニケーションが取れなかったり、昇太のことで私が話しすぎたりした時、週に一度や二度です。」

「亡くなった方に失礼ですが、行なっていることは歴とした家庭内暴力ですね。」

「ですが、お伝えした通り、宗吾さんは少し不器用な所があって、愛情表現やコミュニケーションが苦手で少し暴力的な手段を取ってしまうだけなんです……それだけは、ご理解ください……」

「苦しい話をさせてしまい、申し訳ありませんでした。亜美さんは、お優しい方なんですね。きっと、昇太君も立派なご青年なんでしょう。お会いしてみたいものです。では、本日はご協力、ありがとうございました。」

 他を当たっている警察からの話では、特別めぼしいものはなかった。それらに対し、妻の島田亜美には、家庭内暴力を受けていたという動機がある。その恐怖から解放されるために、行動を起こすことは起こり得るだろう。しかし、亜美には明確なアリバイがある。事件解決を辿る糸は、まだ何も見えていない。また、足を使って調べていくとしよう。


 

「亜美さんは何か隠しています。」

 島田家を後にしてすぐ、留佳はそう言った。

「なぜそう思った?家庭内暴力のことを伏せようとしていたのは、言えば殺人の動機として明確だから、疑われると思ったのだろう。きちんとアリバイがあるのだから、我々もそれを無視するはずがないのに、刑事も舐められたものだ。」

「いえ、その事ではない、別のことです。」

 留佳は自分の四歩先あたりを見ながら、歩を進め、一定のペースで話し出した。

「亜美さんの友達の連絡先を見せてもらったときに、亜美さんは私たちに携帯を手渡そうとはしませんでした。あくまで机の上に置いて、亜美さんがスクロールしていました。私は、彼氏がそうしてきたら、不信に感じます。何か、見られたくないものでもあるのかな、と。」

 相模原は、その例えがあまりしっくりこず、首を傾げた。

「そこで携帯画面の記憶を辿ると、亜美さんが手元に戻す一瞬、ホーム画面になった時に、気になるアプリが見えました。「ループ」です。」

 相模原には聞いたことがないアプリだった。

「俗にいう、出会い系アプリですよ。「ループ」は他の出会い系アプリに比べ、会員登録等も安易で、必要な個人情報が多くありません。そのため若年層をターゲットに広がっているアプリですが、出会い系アプリとして主流のアプリの一つです。少し雑な言い方で言うと、真剣ではない出会い系アプリです。亜美さんは、その出会い系アプリをインストールしていました。インスタやTwitterとは違い、出会い系アプリの見る専なんてあり得ませんから、実際に出会いを求めて使っていたのでしょう。隠し事といっても、アリバイは明確なので、ただ出会い系アプリを入れていることを、心象を気にして見られたくなかったのだと思いますけどね。」

「不倫していたかもしれないということか。」

「断定はできませんが……。」

「所轄の刑事に、そのことは伝えておこう。」

 電話で部下に伝えた後、相模原と、辻塚留佳は、次の聞き込み先である、島田宗吾の職場へと向かった。

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