七月二九日 群馬 「歪」

 島田宗吾の職場は、運送会社であったため、話ができる場所は、大きなコンテナの中に併設された待合室のような場所だった。

 ここで仕事をするという訳ではないため、コンテナに対して待合室は手狭に感じられた。

 待合室にいる人に声をかけると、受付対応の人が出てきて、少し外で待っていて欲しいとのことだった。

「ここはだいぶ長距離運送も扱ってる会社らしいから、人間関係がそんな密ではないと思うが、職場の聞き込みは必須だな。」

 相模原は、コンテナを眺めながら言った。

「近年はより職場の人間関係とプライベートを分断していく傾向も強まっていますからね。」

「俺なんかは、プライベートの付き合いがなきゃ、仕事のパフォーマンスも落ちると思ってるんだが、もう古いんだろう?」

「もう資本主義国家としては飽和しており、これ以上パフォーマンスを高める必要もないんじゃないでしょうか?勿論、刑事さん等の公務はパフォーマンスを落とすわけにはいかないかと思いますが。」

「もう世の中が飽和か……。なのにどうにも、人間関係の恨みつらみの事件が絶えないのか、なんでなんだろうな。」

「みんな、愛するものがあるからですよ。映画なんかで見る「世界を敵に回しても」ってキザなやつです。実際世界は、主人公以外、数多の人がそういう想いを抱え、目の前の人を敵に回して事件が起こるんじゃないでしょうか。」

「それでも、刑事は刑法に則って犯人を捕まえる。好かれない仕事だな。」

「愛には秩序がありませんから。刑法による取り締まりは必要不可欠です。感謝いたします。」

 

 そんな話をしていると、扉が開かれた。

「お待たせしました。こちらへ。」

 受付の人に付いていくと、仕事机が並ぶ待合室の奥、パーテーションの裏に、黒いソファと天板が透明ガラスになっている机があった。

「もうすぐで来ますので、しばらくお待ちください」

 パーテーションには、分煙を進めるポップな張り紙が貼ってあった。

「こういう場所も、分煙が進んでるんだな。」

「禁煙と書かれていないので十分素敵です。」



「時代には逆らえませんからねえ。」

 野太い声と共に、パーテーションから大柄な男性が姿を見せた。年齢は五十代だろうか。

「いや、お待たせしてしまって申し訳ない。島田宗吾の上司にあたります、崎島と申します。」

 そう言って、名刺を渡してきた。崎島傑。傑とかいてすぐると読むらしいが、漢字通りの豪傑な風体だった。

「本日は、七月二十七日に亡くなられた、島田宗吾さんについて、お伺いできればと思いまして。」

 相模原は、名刺に対して、警察手帳を見せた。

 崎島は丁寧にお辞儀をして、座るように手で示すと、二人が座るのを待たずに、崎島は座った。

「宗吾さんは、いつからお勤めで?」

「高校卒業と同時にうちで働き出して、今に至るまでだから、十数年になるな。もう本当に、この会社になくてはならない存在だったよ……」

「ご愁傷様です……」

「いやあ、まったくです……」

 時間にして約三秒、体感は十秒程の沈黙がパーテーションに隔離された空間にのみ流れた。

「宗吾さんは、職場ではどのような様子でしたか?」

「宗吾は、本当によく働いてくれたよ。商品は丁寧に扱うし、積み荷も丁寧。職場の人間にも親切で、よくこの部屋に飲み物を買ってきてくれたりもしたもんだ。」

「あまり存じ上げておらず恐縮なのですが、運送業の人間関係というのは、密なものなのですか?」

「密とは言わないが、むしろあまり良くない形で関わることが多いかもな。あいつは配送の途中でどこどこのコンビニで休憩ばかりしてやがるだとか、異常に配送の仕事が遅いからどっかでサボってるんだとか、そういう小言で繋がってることが多い。」

「直接関わる関係ではないからこそ、愚痴や噂話に花が咲くといった感じでしょうか?」

「まさにそれだな。正直うちは、そういう空気がある職場なんだが、宗吾に対してそういう愚痴が聞かれたことはないな。まあ、宗吾に対してはあり得ない。本当にコンビニに寄るなど全くしないし、積荷のルールもそんな頑なに受け取らなくていいのにって言いたくなるくらい、丁寧に守っているから、本当に信頼できるよ。」

「特定の誰かから恨まれていたなどの話は、何か聞いたことは?」

「いや、それこそ直接関わる訳じゃあないから、殺したくなるような恨みをもつほど、関わり合ってるやつがいないよ。それに、先程も言ったが、宗吾が誰かに恨みを買うなんて、考えらんないな。」


「そうですよ、恨むも何も、宗吾さんはロボットみたいな方でしたもん。」

 パーテーションの裏から、二十代後半辺りの男性が声をかけてきた。

「ああ、こいつは宗吾の二つ下の後輩にあたる、大堀ってやつです。」

 崎島に紹介を受けた大堀は、パーテーションから半身を出す形で会釈をした。

「はじめまして、辻塚留佳と申します。先程、ロボットとおっしゃっていましたが、どのような点でそう感じたんですか?」

「いやまあ、崎島さんがいる前で言うのもあれですけど、積荷とか、ルールとして書いてあることってカチカチじゃないすか?あと少し入れちゃえば今日の配送終わるって時に、積荷の重量制限怪しくても、そんな徹底的にはチェックせずに載せちゃいます。いやもちろん、明らかな無理はしませんよ?ほんと、一キロもない重さの話です。そんなことはみんなやってます。でも宗吾さんは、不安になったら一回荷物出して、測り直して、それで少しでもオーバーしてたら、一回配送に出て、それからもう一回オーバーした分の少しだけを載せて行くんです。正直非効率です。それなのに配送が終わる時間は俺らより早い。ほんと少しはどっか寄ればいいのにって思っちゃいます。まあ、宗吾さんはそういうとこが、柔軟じゃないっていうか、ロボットみたいって話です。でも俺らに実害が出ることじゃないんで不満もないですし、崎島さんからすれば安心して仕事任せられる存在って感じですよね。」

「そうですか。ありがとうございました…」

 相模原と留佳は、崎島とパーテーションに寄りかかりながら話していた大堀に礼を言い、島田宗吾の職場を後にした。

 

 駅まではそう遠くないが、そこまでの道のりは、工場が大きな音と煙を立てており、海なし県であることを忘れそうになる場所だった。

「崎島の話を聞くと、島田宗吾が暴力夫だとは思えないな。」

 相模原の言葉に、留佳は即座に否定した。

「いえ、むしろ崎島さんや大堀さんの話を聞いていると、宗吾さんは、はじめについた職を徹底して十数年続け、その働きぶりも、上司からすると好感がもてたのかもしれませんが、手を抜かなすぎる点にむしろ心配を感じました。大堀さんが仰っていましたが、ロボットのように、みんなが緩めている部分も、器用に手を抜くことができずにいると、同じことをしていても他の人に比べて当人が抱えるストレスは遥かに大きくなってしまうものです。そのストレスが、家庭へと向いてしまったのではないでしょうか。」

「仕事のストレスから、嫁に家庭内暴力を行ったってことか。島田亜美も、仕事帰りの島田宗吾の様子に不安感を抱いていたようだったから、そのようなことが暴力の原因であることはある程度分かっていただろうに、なぜ島田亜美は愛が故の暴力などと言っているんだ。我々への心象を良くしようという考えからなのだろうか?」

「いえ、愛が故だという亜美さんの思いは、真実かと思います。家庭内暴力には、主に三つの期間があると言われています。亜美さんがリビングを綺麗にして、様子を伺いながら過ごしていた緊張期。実際に宗吾さんが暴力を振るった爆発期。それから亜美さんを手放したくない思いから、急に優しくなるハネムーン期。亜美さんが、愛しているが故だと言っているのは、このハネムーン期のせいで共依存の関係となっているからです。二人の関係は、依存であって、決して愛ではなかったのだと、私は考えています。」

「島田亜美は、愛が故だと思いたかった。亜美自身も、盲目になっていたんだな。」

「愛するとは、あくまで表現の話です。内省と反省が異なるように、相手に表現して伝わらなければ、愛しているとは言えません。勿論、受け手側が素直に受け取ることができないという問題も生じますが、「愛が故の暴力」なんてものは存在しません。」

「島田亜美も、理解者ではなく、宗吾に依存していたということか。」

「とはいえ、緊張期や爆発期に、亜美さんが抱く不安や不満は、とてつもないものでしょう。それが、別の男性を求める行為へと向かったのかもしれません。」

「出会い系アプリのことだな。となると、島田亜美の方は、宗吾に依存しきっていたとは言えないかもしれない。依存していた=島田宗吾殺害の容疑者ではない、という線引きはまだできないな。」

「そうですね。私はそれより、あの家に住む息子の昇太君が気がかりです。家庭内暴力について、家で両親の様子を見て、その原因を自分にあると考えて、その結果自分を責めるという子どもも少なくありません。そもそも、家庭内暴力を見聞きさせることは、児童虐待であると法律で明記されています。また、子どもは、暴力の環境にさらされると、感情表現や問題解決の手段として、暴力を用いることを習得してしまうこともあります。虐待者である島田宗吾が亡くなった今、それについて議論することはないかと思われますが、昇太君にも、適切なアプローチがなされることを望みます。」

「学校の先生の出番だな。島田昇太をよく見てくれることを願おう。」

「……はい。」

 留佳は歯切れの悪い返事を返した。

 

「では、ここで失礼します。本日もお世話になりました。」

「ああ、じゃあまた事件捜査に進展があったら、連絡しよう。」

 気さくな雰囲気を出して別れたが、留佳の雰囲気にはどこか酸味が感じられた。

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