がらんどう

 優しい様な夜風の吹く街で、彼は独り包帯を握りしめて先の場所へ向かっていた。最期の殺しを前にした彼はその気が無くとも自然と今までを回想してしまっていた。



『おい! なにしてんだぁ!? ささっとそいつを持ってこい! ミンチにしてやるよ!』


 あの夜、ぼくの両親はうばわれた。ゴミと比べるのもはばかられるような、みにくい悪意の権化とも言える男に。


『おれ今度のたんじょう日プレゼントゲームソフト買ってもらうんだよね~! いいだろ! お前はもって無いけどおれは持ってるよ、だってお前は親いないもんね!』


 小学校、ぼくのそんげんなんて無かった。言葉の重みを知らないゴミどもが、無神経にも他人の心のきずに土足で入り込んできた。


『あ~? シャーペン返して欲しい? ヤダよ(笑) 何でお前なんかに返さなきゃいけねぇんだ。あ、何? これしかないの? へぇ、おらよっ! ははっおもろ。ん? んだよ、なめんなクソがッ! お前見てると吐気すんだよッ! うわ、吐いてるーwキショ』


 中学校、ぼくの身体は傷つけられた。ぼくの事をとても人間と思っても居ないような発言、行動、日々のうっぷんを晴らすための道具として、ぼくが選ばれた。


 未来に希望なんていだけるわけが無かった。神にすがっても、周りに助けを求めても、どうしようも無い状況を打ちやぶれるのはいつだって自分だけ。高校にも大学にも行きたくなかった。どうせ同じような生活のくり返しになるだけなら、いっそ。



 ぼくに残された数少ない選択の中から、〈皆殺しふくしゅう〉を選んだ。



 皆にうばわれて、きずつけられて、だれも助けてもらえなかったせいで知能が他人より劣っていることは自覚している。いっしゅんの判断が他人より遅いなら、事前に全てを調べ上げて対策を取って、そこから実行に移せばよい。幸い、ぼくにはその時間がありあまるほどにあった。


 今まで警察にばれなかったのを『きせき』だとは思っていない。それは当然の結果、ぼくのしいたハズレのレール上を走ってもらっているのだから。


『なんでそんなことするの、やめて、やめてやめてやめて』

『ね、ねぇ。ぼくそれ言われるのヤなんだけど、ねぇ、止めてってば……』

『返して、ねぇ、それしかないから返してよ……あ、ちょっとっ! な、なんで折るんだよ! ぼ、ぼくの何が悪いんだよ、なぁっ……! ゔッ!? ゴフッおえぇぇ……ゲホッゲホッ……』


 皆、ぼくが止めてと言ったって止めてくれなかった。当時の自分なら、謝ってくれれば許していたかもしれないのに。世の中のゴミは絶対に謝らないし、自分の欲求が満たされれば他人なんてどうでも良いと思ってるやつらばっかだ。


 食人衝動、自己誇示、不満解消、なんで、なんでぼくにばっか……っ!!!


 ふざけんじゃねぇよ!!!!!!!



 彼の心内には煮えたぎる憎悪の念が渦巻いて未だ消えることは無かった。しかし、今まで幾許と殺人隠蔽という普通では難しい事をやってのけた冷静沈着な思考がある。例え感情に心を支配されていたって、行動は何一つ変わらない。表情も歩き方さえも、先と打って変わらないどこにでも良そうな陰鬱な男に見える。彼が敢えてそうしているからだ。



 ……でも、そんなやつらを殺すのも今日が最期になる。ゴミみたいなやつらを殺しつくして、そしてそんなやつと同じ選択を取ってしまった自分も。死ぬ。


 体にふれる夜風が心地よい。こんなささいな幸せに目を向けられていたらあるいは……いや、そんな考えは止めよう。もう目的はすぐそこなのだから。



 丁度、彼がそんな思考を頭に浮かべた時。見慣れた光景が眼窩に広がった。彼の拠点にしている地下室のある一見普通の家屋である。しかしその中身は伽藍洞がらんどうで、家具も何も無い中には唯一のインテリアとも言える彼の両親の古ぼけた遺影だけが縋る様に置いてあった。

 一つ。彼は深い呼吸をした後、梯子に続く口を開ける。彼に表情かおに一抹の哀愁と喜びの入り混じったものを、或いは覚悟だろうか。それらをたたえて、すっかり染まった暗闇へと入り込む。しかし、彼の目に映った光景はまるで最初に来た時の様に寂れていた。


 壁にかけてあった武器の類は全て消失し、遂半時間前まで其の刃に奇妙な肉を馴染ませていたミートチョッパーは奇怪な音を立てて小刻みに震えている。そしてなにより。



 居る筈の男が、そこには居なかった。



 彼は驚きと焦燥に駆られた。握りしめていた包帯など放り捨てて、男がどこかに隠れていないかと必死に探し回る。しかし一頻り探したところで漸く彼は男に脱出されてしまったという事実と向き合わなければならなかった。

 もともと男の為に用意したとさえ言える大型のミートチョッパーは無惨にも其の刃の間につっかえている壁に掛けられた得物達に刃毀はこぼれを起こされて、とても状態は良好とは言えなかった。


 確認を終えた彼は覚束ない足取りで梯子の下、他の場所よりは少しだけ明るい所にへたり込む。一筋の影が射す。


「……クソ、クソッ!!! ぼくは……ぼくは、な、ど、どうすれば……っ!!!」


 覚悟の出来ていた彼にとって、突然の空虚はあまりに受け入れ難いものだった。


 優しい夜風が下へ落ちて来る。彼の空っぽの心には夜風だけでは物足りないようであった。

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ぼくがにくにしたもの、ぼくがにくにされたもの かしゆん。 @sakkiiozuma7

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